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アディアフォラと4つの星
最近友人から「アディアフォラ」という言葉を教わった。ウェーバーは『古代ユダヤ教』でユダヤ人が外の世界に関係するときの「アディアフォラ」という態度をとると指摘しているらしい。アーレントも「反ユダヤ主義」でユダヤ人の「無世界性」と言っているという。非常に示唆的だ。
これについて考えてみる。アディアフォラ( ἀδιάφορα )は「無関心なもの」という意味で、道徳的法則の外にあるもの、つまり道徳的に規定されていない行動、道徳的に禁止されていない行動を示すためにストア哲学によって使用されたという。
懐疑論者ピュロン(紀元前360年頃 - 紀元前270年頃)にとって、アディアフォリアとは「識別できない」ものであり、実際には存在しないものへの無関心となる。それは善が悪から区別できず、真実も偽から区別できない世界のことなのだけど、だからこそアディアフォラが問題になる。
ピュロンはそこからアタラクシア(苦悩からの解放)を言う。何事も知ることはできないならば、それが唯一適当な態度だという。わからないでもない。けれども、ぼくらはそんな無関心のなかにいつまでもいられるわけではあるまい。
ストア派のアディアフォラはもう少し込み入っている。すべての人間行為の対象は勇気、知恵、正義、節制の四つのカテゴリーに分類され(枢要徳 virtù cardinali)、それぞれ「善」と呼ばれ、その反対が「悪」とされる。ところが人間の活動には、そのどちらにも分けられないものがある。
たとえば富や名声。それ自体では善でも悪でもなく、倫理の分野では中立的な領域にある。善か悪かのどちらかに「差別する」(ディアフォラ)ことが「ない」あるいは「その対象外」だから、否定の接頭辞(ア)とともに「ア・ディアフォラ」なのだ。
そんなアディアフォラを連想させながら、ダンテが枢要徳について言及している箇所があるという。原文を引用しよう。
I' mi volsi a man destra, e puosi mente
a l’altro polo, e vidi quattro stelle
non viste mai fuor ch’a la prima gente.
Goder pareva 'l ciel di lor fiammelle:
oh settentrional vedovo sito,
poi che privato se' di mirar quelle!
『神曲』は煉獄編の第一歌、22-27行なのだが、現代イタリア語にパラフレーズしてくれるサイトにある該当部分はこうだ。
Io mi girai verso destra, e pensai
all’altro emisfero, e vidi quattro stelle
viste solo da Adamo ed Eva.
Sembrava che il cielo godesse di queste luci:
oh emisfero boreale orfano di queste,
tu sei stato privato di tale bellezza!
こうやって現代語にしてくれるとわかりやすい。日本語は手元にあった河出書房の平川訳をちらりと見てあきらめ、やはり講談社学術文庫の原訳を参照せねばと、Kindle版を DL。3冊ぶん散財したけれど、まとめ買いのポイントが入る。少し嬉しい。ぱっと見て、注にはきちんと「枢要徳」と示されている。こうでないと。
ぼくなりに訳してみた。
わたしは右方を向き、南の天球に
意識をむけると、4つの星を見た
始祖のほかに見たもののいないその煌めきを
天は喜んでいるようだった
おお、この星々から捨てられた北の天球よ
お前にはあの美しさを仰ぎみることができないのだ
ダンテは、東を向いて空を見上げていた。そこには東の天球がある。そこから体を右に向ける。すると南の天球が見えてくる。そこに「意識を向けた」わけだ。この訳語は原訳を借用した。原語は「puosi mente」。この「puosi」は「porre」(置く)の遠過去で、普通なら「posi」のところ、ダンテには「puosi」の形があるようだ。「porre mente a … 」という成句は、文字通りには「〜へと思考を置く」、つまり「〜を注意深く考える」(considerare attentamente)、あるいは「〜を注意する」(badare a … )ということだが、トレッカーニによればこの箇所は「注意してよく見た」(guardai con attenzione)と解釈できるようだ。
上に引いたイタリア語パラフレーズのサイトでは「 pensare a … 」と訳されている。これは「思い浮かべる」と訳すもので、たとえば恋人の顔を思い浮かべる時などに使う。ようするに、この箇所ではまず身体が右の方向に動き、ついで意識が右の方向の空/南の空へと向かうわけだ。なるほど「pensare」(考える)は、その語源が語源は「pesare」(秤の傾きで量る)ということなのだから、「意識が傾く」(pendere)ということになるわけだ。
それから「始祖のほかに見たもののいない」(non viste mai fuor ch’a la prima gente)の箇所。原訳の注にもあるし、イタリア語でもそうパラフレーズされているように、「始祖/最初の人々」(la prima gente)とは「アダムとイヴ」のことらしい。だとすれば、4つの美し星は原初の楽園では見ることができたものの、そこから追放されてから見ることができなくなったということになる。
だから、かつて楽園にあって空に煌めいていた4つ星、すなわち4つの徳(知恵、勇気、節制、正義)を、楽園追放された後の世界の「北の天球」には見ることができない。それをダンテは「settentrional vedovo sito 」(北の寡婦の地)と記し、現代語で解釈すれば「emisfero boreale orfano di queste」 、すなわち「この星々から捨てられて孤児となった北の天球」となるわけだ。
この北の天球の下にあるのが煉獄。そこには4つの星が美しく煌めく姿を見ることができない。つまり、4つの徳(知恵、勇気、節制、正義)の光の届かない地。道徳的に善と悪を「区別する」(ディアフォラ)ことを停止されている場所、すなわち「ア・ディアフォラ」。なるほど「煉獄」(Purgatorio)は、地獄でもない天国でもない。「悪」によりそこに落ちた魂を「浄化する」(purgare)して「善」へと差し向ける、そんな中間的な場所なのだ。
すなわち、この北の空のもとでは、知恵が働かず、勇気は野蛮となり、節度を失って、正義が顧みられない。4つの徳の光からは見捨てられてありながら、悪だと言い切れないし、かといって善でもない。それはなんともぼくらが生きている、この場所そのもののようではないだろうか。
思い出すべきは、あのショーペンハウアーなのかもしれない。というのも、その『意思と表象の世界』(1819年)のなかに、ダンテの『神曲』へのこんな言及があるというからだ。ぼくはその言葉をイタリア語の投稿に見たのだが、横着して原典にあたる労を省き、そのまま訳してみると、こんな感じだ。
「ダンテが地獄を描いたとき、その素材をこの現実世界から得たのでないとすれば、どこから得たというのか。そして、この世界から素材を得たのにもかかわらず、美しくみごとな地獄を描き出してみせたのだ。ところが彼は、天界とその喜びを描く段になると、超えがたい困難に直面した。その理由はほかでもない、わたしたちの世界がそのような企てに何の素材も提供しないからだ。そこでダンテは仕方なく、天界の喜びの場所に、自分よりも前に生まれた者から、彼のベアトリーチェから、さまざまな聖人たちから与えられた教えを記すしかなかった」
ショーペンハウアーがダンテの地獄について語ることは煉獄にもいえる。この2の篇が面白いのは、なるほど現実世界に素材をとったからなのだろう。ところがそこに天国を書くための素材がない。だからダンテはやむをえず過去に求めることになる。だとすれば、天国は未来ではない。それは、失われた世界への郷愁だ。
ぼくはそれを美しいガザの海岸通りに見る。ベツレヘムで平和に暮らす人々の姿に見る。こどもの大学進学に一喜一憂する家族の喜びに見る。生まれてくる子供の姿に見る。これから大人になる希望にあふれる瞳に見る。病気を直して未来を開く病院に見る。世界への扉を開く学校に見る。それは、かつて預言者が歩いた場所、ところがである…
見よ、今の姿を
見よ、分断する壁を
見よ、分断に切り裂かれた地を
その空は、あの4つの星に見放されたまま
ただ郷愁のなかで 消えた煌めきを
夢見ている