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ああ、この瞬間が、歴史の教科書に載るんだ…という恐怖と決意と。

コロナ蔓延の「今」、絶対に歴史の教科書に載るよなぁ、と考えるお話。

「コロナ暦 1年」

こんな状況になってから、もう随分長い時間が経った気がする。
ずっと、ずっとこんな状況な気がする。

でも、まだ2か月ほどしか経っていない。日本で最初にコロナの感染者が出てから、まだ2か月くらい。自宅勤務になってからは、まだ1か月しか経っていない。

今日のTwitterのトレンドには「コロナ1年」。内容は、
〝コロナは1年では収束しないでしょう〟
というものだけれど、まるで新しい年号がついたかのようなこの字面に、気が遠くなる。

状況が悪化する速度の速さと、家にいる時間の長さとで、個人的には時空が歪んでいる。


現在進行形で「歴史」を感じる恐怖

今、時代のうねりの真っ只中にいることが、少し怖い。

私の生きるこの時は、語られることのない時だと思っていた。

心のどこかで、「歴史」と「今の時間軸」を切り離して考えていた。
これまで学んできた「歴史」は遠い世界の物語だと思っていたし、次の歴史の物語は、今からずっと未来の話だと思っていた。

でも、今息をしているこの瞬間に、ずっとずっと後の未来にも語られるようなことが次々と起こっている。

それが、怖い。

***

もちろん、「今の時間軸」を切り離すとは言っても、私がこの世に生を受けてから24年、
自分の生きている時間の中に歴史となるような変化はたくさんあったと思っている。

例えばポケベルがガラケーになり、スマホになったみたいに。

でも、それは「振り返った」からこそ分かるのであって、今「この瞬間の出来事が歴史になること」を現在進行形で意識することはなかった。
だから、今が怖いのだ。


どうせ歴史に残るのならば

多くの人が、もう私たちは「コロナの前の時代」には戻れない、という。

私は、ふと、「戻れない」ではなくて、自分たちの意志で「戻らない」のかもしれないなと思っている。

それは、ほんとはずっと前から「こうしたほうがいいんじゃないか」と思っていても、色々なものに阻まれてできなかったことが、非常事態をきっかけにして進んでいる気がするからだ。


例えば「やらない」「できない」だった時短営業や、テレワークが行われている。

例えば、ある会社や自治体が、印鑑を押さなくてもいい社会へと挑戦している。

例えば、地球の環境が少しだけ改善しているというデータがあがっている。

(かくいう私も、これをきっかけに会社の経費精算を電子化してやろうと意気込んでいる、笑)

▼職場と化した私のダイニングテーブル

もちろん、これは私の希望的観測であって、そうでないかもしれない。
でも、そんな風に思わないと、この今を乗り越えられなくて。

むしろ、みんながそんな希望的観測を持てば、本来進むエネルギーを持っていなかったものでも進むんじゃないかとも思う。

どうせ歴史に載るならば、ウイルスに負けた歴史ではなくて、ウイルスをきっかけに進化した歴史の方がいいな、と思う。

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