読書レビュー①『頼朝と義時 武家政権の誕生』(呉座勇一)

2022年のNHK大河ドラマが『鎌倉殿の13人』(脚本・三谷幸喜、主演・小栗旬)ということで、源頼朝と北条義時及び鎌倉幕府の成立を改めて学び直そうと手にとったのが今回の呉座勇一の『頼朝と義時 武家政権の誕生』(講談社現代新書、2021、以下本書)である。

1.この本を選んだ理由


呉座勇一(以下、著者)といえば『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(中公新書、2021、以下、『応仁の乱』)がヒットし、一躍世間に名前を知られた中世史が専門の歴史学者である。この本がヒットしたことで、日本中世史がにわかに活気づき、特に出版元の中央公論新社の中公新書では、「承久の乱」、「中先代の乱」、「観応の擾乱」と次々に日本史の教科書で名前は出るけれど、結局よくわかりづらい中世史の「乱」についての本が出版された。
『応仁の乱』は以前に読んでおり、同時代の奈良の高僧が残した日記をもとに「応仁の乱」の一連の流れが記述されており、この戦いへの理解が進んだ(※1)。本書が難解な「応仁の乱」を紹介した本を書いた著者であるという点は大きかった。
もう一つは、著者が『鎌倉殿の13人』の時代考証を務めることになっていたからである。 

 NHK2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証の話をいただいた時は、私自身、十分に把握できているとは言えない二人の人物像、そして歴史的意義を学び直す好機だと思った。その成果発表として、講談社から本書刊行の依頼を受けた。

『頼朝と義時 武家政権の誕生』あとがきより

あとがきにもあるように本来の予定であれば、本書は『鎌倉殿の13人』の立派な「副読本」になりえたのであるが、結果、著者の愚行により時代考証を降板したことにより、表立って「副読本」とは言えなくなった。
とはいえ、時代考証のために多くの史料を読んだであろうことは間違いないだろうし、数多くある説検討したことであろう。その研究の成果をこうして読めるということは平安末期から鎌倉初期の時代理解へつながると思うので、躊躇なく選んだ。

2.本書の特徴

1.全般

本書は源頼朝と北条義時にスポットあて、2人の行動やその時の時代背景や状況を検討していくことで鎌倉幕府の成立と確固たる武家政権となるまでの過程をみていくという作りになっている。2人を同時に追うのではなく、全8章のうち前半の4章を源頼朝にさき、鎌倉幕府の成立までの過程を追っていく。後半4章で北条義時にスポットをあて、源頼朝亡きあとの幕府がいかに政権を維持し、北条家が実権を握っていったかを見ていく。時代的にかぶる部分(源頼朝が亡くなるまで)では、北条義時がなぜ幕府を指導する立場になりえたかを描いている。

源平の戦い(治承・寿永の内乱)は、軍記物語(『平家物語』、『源平盛衰記』etc……)や鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡』を中心にした伝記、偉人伝スタイルをとるものが多い。しかし、本書では同時代の史料(『愚管抄』、『玉葉』etc……)や多くの通説、俗説を紹介しつつ、その出来事と照らし合わせて検討していくスタイルをとっている。
そのため深く勉強してきた人を除けば、今まで知っている鎌倉幕府の成立過程の物語が、いかに作られてきた視点での歴史だったというのがわかる。

2.歴史観と武家政権の成立への見方

本書の特徴として、公家政権と武家政権が対立関係にあり、武家政権が公家政権を打倒したという「公武対立史観」から離れ、歴史を捉え直している。
この史観に立つと「治承・寿永の内乱や承久の乱は、「朝廷に対する武家の独立戦争になる」と表現できるほど単純なもの」だが、実際はそう単純なものではなく、源頼朝が「朝廷に仕える「王家の侍大将」という貴族社会の一員であるという自己認識がゆえに、朝廷との関係には妥協的な一面があり、鎌倉幕府成立以後も公家は武家に対して優勢だったと著者は書いている。

そして、その体制(公家>武家)は源頼朝の死後も続いたが、承久の乱の結果より覆ったが、その勝者である北条義時は、「院政や荘園制といった既存の政治・社会体制を否定」しておらず、あくまで承久の乱も「革命」ではなく、共存を図った。しかし、幕府が朝廷より軍事力を取り上げたことによりその関係性に変化がおき、「武家が政治の中心を担う武家政治が中近世社会の基調」となっていったと書いている。

3.源頼朝の敵は誰だったのか?

本書を読んでいくと源頼朝の敵が平家だけではなく、同時に地方に散らばっていた多くの有力源氏であることがわかる。

平治の乱時点では、父の源義朝が「源氏の棟梁」であり、その嫡男である源頼朝は御曹司であったが、破れたことにより、伊豆に流されている。その間に平清盛に味方した源頼政が従三位に加階され、「源氏の棟梁」とみなされていた。(※2)また、木曾義仲や甲斐源氏の武田信義なども以仁王から令旨をえており、その貴種性においては対等であったと考えられていたと説いている。

この喫緊の課題である「源氏の棟梁」になるため、平家との共存も考えており、「政治家としての強かさ」があると評価している。そのため、後白河法皇と木曾義仲の関係悪化の際には、東山道、東海道の実質的な支配を認める寿永二年十月宣旨を引き出し、さらに討伐することで、その地位を固めた。また甲斐源氏においては、武田信義の長男である一条忠頼は暗殺、三男であり板垣兼信は隠岐に流されている。また、同門の安田義定も首を斬られており、完全に排除されている。

さらには兄弟である源範頼や源義経も排除しており、一連の源氏一門の粛清を息子である源頼家への権力移行の準備としているが、治承・寿永の内乱が結果的に武家の棟梁の「勝ち抜きトーナメントの側面」を有していると評価している。

4.鎌倉幕府の成立は「イイハコ」なのか?

「鎌倉幕府はいつできたのか?」となると、「1185(イイハコ)年」や「1192(イイクニ)年」となることが多く、だいたい「イイハコ」で覚えていることが多い。

しかし、1185年説の根拠である「文治特許」では、永続的・安定的な支配体制としての守護・地頭制度を認めたものではなく、あくまで義経追討のための時限的なものであったとし、1185年に源頼朝が全国支配の根拠を得たという「「古典的見解」は、現在の学界ではほぼ否定されている」としている。(なお、守護にあってはその役職すら成立していないというのが、今の歴史学界の共通認識であるとのこと。)

となると、1192年説となるがそれも違うらしい。
この説の根拠となるのは、この年に「征夷大将軍」に任じられらたからということ。従来は、東国・奥州の支配者の地位としての称号として、「征夷」の号にこだわっていたという説だった。
しかし、本書によると、2004年に発見された『三槐荒涼抜書要』に、武家の棟梁として「大将軍」を望んでおり、「征夷大将軍」、「征東大将軍」、「惣官」、「上将軍」が朝廷で検討されたが、「征東大将軍」と「惣官」は不吉な前例があり(前者は源義仲、後者は平宗盛)、「上将軍」は中国の官職で前例がない書かれており、消去法(?)で「征夷大将軍」に決まったとしている。
そして、あくまでそれは従来あった源頼朝と御家人の主従関係を人格的結合から制度的結合に移行させるために必要な権威であり、「東国独立国家構想」に基づいたものではないと書いており、その意味でも従来の説を否定している。

本書では、1191年の「建久新制」であたえられた「海陸の盗賊や放火犯を逮捕する権限」により、幕府は成立したと捉えている。これは「戦時において形成した権力を恒久的に機能させ」ることにより、源頼朝政権が安定的に存続させることを公認したからであるとしている。
ただ、「幕府は段階的に成立した」ものと述べており、特定の時点を成立年とするのもあまり意味がないともしている。

5.「十三人の合議制」の実態と権力闘争

源頼朝の死後、息子である源頼家が後を継いだ。その源頼家の独断先行を抑制し、大江広元、中原親能、二階堂行政、三善康信、梶原景時、足立遠元、安達盛長、八田知家、比企能員、北条時政、北条義時、三浦義澄、和田義盛の有力御家人13人の合議をもって幕府の決定とするのが、「十三人の合議制」という政治制度だったというのが従来の説だった。
実際は13人の中から数名による合議を経て、頼家が最終判断を下す方式だったとされていたと紹介されており、「若い頼家を補佐するために選出された」制度としている。 

しかし、その体制も半年ももたず、源頼家を巻き込みながらも、梶原景時の変、比企氏の変へと血で血を洗う権力闘争へ突き進んでいく。その中で、北条時政の失脚があるものの、北条義時が、源頼朝の後家で姉である北条政子の協力も得つつも、権力闘争を勝ち抜き、幕府の最高指導者への地位を確保していくのである。

6.承久の乱と武家政治の成立

源実朝と後鳥羽上皇を中心にした幕府と朝廷の協調関係にも言及しており、源実朝の朝廷を尊重する姿勢を考慮すると、幕府が朝廷の下請けになる可能性もあったと述べている。
しかし、源実朝が甥である公暁に暗殺されたことにより、「公武協調路線」が暗礁に乗り上げ、後鳥羽上皇は、御家人の権利を擁護していく態度を示すようになった鎌倉幕府、ひいては北条義時への不満が北条義時追討の「承久の乱」につながったとしている。

そして、この戦いの勝利と摂家将軍(やがて親王将軍)を迎えることにより、朝廷の権威を受けるための譲歩が必要なくなり、結果として、「武家が政治を担う武家政治」が完成したとしている。(※3)

3.感想

本書は、諸説を検討しながら何が史実かを慎重に追っていく叙述スタイルなので、いわゆる英雄伝的なのりで読むには難しい。しかし、その分過去に知っていた源頼朝や北条義時を中心した北条一族が、軍記物語や『吾妻鏡』によっていかに作り出されてきたものかというの知ることができる。
治承・寿永の乱から承久の乱にいたるまでの主だった歴史上の事件や戦いなどの詳細はすべておさえており、一冊でこの時代の政治史を俯瞰できる本である。

最初に『鎌倉殿の13人』の「副読本」と書いたが、まさに「副読本」としての役に耐えうる本だと思う。さらに本書の中では多くの説や史観が紹介されており、『鎌倉殿の13人』が結果としてどの説を取っているのかを検証していくのも面白いと思う。

※1 書評としては、亀田俊和の「書評 呉座勇一著『一揆の原理』『戦争の日本中世史』『応仁の乱』」」(『史苑』第77巻第2号、立教大学史学会、2017年3月、 170-179頁。)が専門的だが、わかりやすい。

※2 源頼政については、呉座勇一が連載している「歴史家が見る『鎌倉殿の13人』」の「源平合戦の幕開け! なぜ以仁王と源頼政は挙兵するに至ったのか?」に詳しい。

※3 源実朝の実像と承久の乱については、坂井孝一の『承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 』(中公新書、2018)に詳しい。なお、坂井孝一は「鎌倉殿の13人」の時代考証を手掛けている。

紹介した本


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