見出し画像

【東京都台東区】浮世絵を歩く 名所江戸百景第71景「上野山した」 上野公園前辺り 24.03.17_13:30

 名所江戸百景。第71景の「上野山した」あたり。

 上野辺りは今も昔も山の下だ。

 お江戸を見下ろす上野のおやまに将軍の菩提寺寛永寺があり江戸の鬼門へのまもりを担っていた。
 というと聞こえがいいが、つまり東北への守り。つまりは伊達への警戒なわけですわ。

 天海のまちづくりの驚くべき計画性。
 

 江戸百景第71景は上野寛永寺の黒門前あたり。

 もっとも、上野戦争後、寛永寺の黒門は荒川区の円通寺に移されてしまった。

 今、上野の山下で門と言えば動物園の入場ゲートか。

 伊勢屋というめしやもなく、今となっては少しいかがわしい店舗が並ぶ辺り。

 上野の山だってすでに寛永寺は端へ追いやられ、上野公園として各大名がこぞって寄進した堂宇はなく、美術館が立ち並んでいる。

 なんの桜だろう?
 上野の山への取り付き口の桜が満開。
 外国人が嬉しそうに自撮りをしている。

 上野の山にも春が来ている。

 やがてくる明治維新戦争では、彰義隊がこもった上野の山。

 めしやの二階から西郷隆盛等薩摩兵が大砲を担ぎ上げ上野の山へと射掛けたそうだ。

 パンダもびっくりしたことだろう。

 結果、江戸の鬼門に籠もった彰義隊は攻撃してくる想定であったはずの東北方面へと敗走。まさか江戸の街側から攻められるとは・・・

 そんな攻撃側の薩摩藩を指揮していた西郷隆盛は維新後西南戦争ではテロリストへ。

 今、そんなテロリストの銅像が上野の山に建つ不思議。

 江戸が東京へと生まれ変わるための一つの転機。
 上野は不思議に満ちている。
 



 


この記事が参加している募集

#休日フォトアルバム

9,834件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?