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腹囲が気になる福井の旅 建武中興15社 新田義貞祀る藤島神社 19.11.25 14:22

新田塚で新田義貞戦没地を参った後は、建武中興15社の一つ、新田義貞と一族を祀る藤島神社に参拝です。

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延元三年(1338年)燈明寺畷で戦死した新田義貞だが江戸時代になって兜が掘り出されたことから碑が建てられて新田塚と呼ばれるようになる。
明治時代となると建武の忠臣新田義貞の株は急騰し明治9年、福井知事により祠が建てられたが、楠木正成の湊川神社に競うように明治14年同郡牧ノ島に社殿を移した。が、その場所は九頭竜川の水害が甚だしく明治34年現在の足羽山の現在後に再び移り藤島神社となり現在に至る。

死してなお新田義貞の運命はグダグダだなぁと思わずに居られない。
楠木正成とどうしても比べてしまうが、武将としてはあまりついていないのかもしれない。人望も楠木正成ほど高くない気がする。鎌倉を攻め落とした瞬間が新田義貞にとってのピークだったと言ってもいいのだろう。その後は思いの外負けが多い。

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藤島神社が建つ足羽山は福井市街の急峻な丘。動物園などもあるらしいが今回は訪れなかったのでどんなふうなのか語る資格はない。ただ、柴田勝家はどうしてここに城を造らなかったのだろう?まぁ、落城が若干長引いたとしても秀吉軍を押し返すようなことはなかったろうが。
街からは長い石段が続いているが、車一台すれ違うのがやっとのような急な車道を上がると社の脇まで車で上がれて広い駐車場が設えられていた。

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神社全体としての印象はまだ新しいためか歴史を積んだ重厚感はない。
湊川神社程格式張った雰囲気もない。新田義貞を祀るにしてはちょっと残念な感じがする。
越前国一宮は福井市内からちょっと遠いため初詣とか七五三とかには賑わうのかもしれないが、あまりそういう感じもしない。日本中の新田義貞に対する微妙な扱いがよく表されているといってしまうとそれまでだろうか?

巨大な朱の鳥居が迎えてくれる藤島神社。
石段を上がると拝殿がある。
拝殿は立派なものだけれども、それ以上でもそれ以下でもない。
これだけ?というのが正直な思い。
宮司が新田義和氏で、新田家15代目なのだとか。あぁ、ここってそういう神社なのねと納得したり。

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藤島神社に祀られているのは新田義貞の一族。
その中には新田義貞の妻で、藤原行房の妹、 勾當内侍も祭祀としている。
そのため、恋愛成就とか夫婦仲の願いが叶うと言い出したりしていて、やばい、薄っぺら感丸出しだ。
楠木とは比べたくないが、新田では人は呼べないということか。

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福井の街が見下ろせる風光明媚な場所にあるというと聞こえがいいが、つまり繁華街から遠くバスも少ない。着いても長い石段を上がらないといけないと場所にも恵まれていない。
もう少し、福井県を上げて新田義貞を宣伝してもいいと思うが、京都を落とされ北陸で再起も戦死の要因が流れ矢にあたったでは格好がつかない。
言いたくはないが湊川で見事に散った・・・とはやはり比べられないか。

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観光目線で言うろそんな感じだけれども、ここに暮らす人達にとって藤島神社ってどんな感じなのだろうか?
聞いてみたかったけれども、案の定境内には誰も居ない。
おじいちゃんおばあちゃんが気軽に歩いてこられないって、やっぱりまずいよなぁ。




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