頼朝も政子も参った日向薬師に参拝 21.09.23_10:10
日向に来て彼岸花だけを見て帰るわけには行かない。
頼朝も、政子も通った日向薬師に参拝しないと・・・。
日向薬師はかつて霊山寺といい、子院12坊を擁する大寺院だったそうだ。
それが、こんな山の中、明治の廃仏毀釈で、多くの堂宇が失われた。
それでも今も薬師如来の霊場、日向薬師として参拝客が・・・後をたたない・・・は言い過ぎか・・・(笑)
重要文化財の薬師堂の屋根を葺き替えたのが数年前。
創建の頃の様式を感じられるようになったのは凄い。
って、天平の頃の様式を知る由もないけれども。
今日は日向の集落の駐車場から車で上ってきてしまったが、本当は日向から軽いハイキングのような参道が伸びている。
途中仁王門などもあり、趣は良いのだけれど、雨上がりや朝の時間は赤土が滑るのでちゃんとした靴を履いていないと危険極まりない。
ただ、舗装された道を車で上ってきてしまうと、なんだかズルをしたようで心持ちが悪い。
年々歳を取るし、参道を歩くかどうかは気持ちと体力との綱引き状態。ここのところ数年続けて楽をしているから、来年こそは・・・。
しかし、こんな人里離れたところに薬師如来をよくもまぁ。
そりゃ昔は科学も医学もろくすっぽな時代だから・・・生活で何かあれば神頼みの時代。効いたと聞けばこんな山奥にでも参拝する意識は、生きるということへの業のようなものだろうか?
すぐ目の前にそびえる、山岳信仰の大山はまだわかるのだが・・・。
最もスーパーもコンビニも鉄道もバスもない時代。町中も山の中も暮らすには大差なかったのかもしれないけれど、参拝となると別だろう。
昔の人の信仰ってものにはいつもいつも驚かされる。
執着とでも呼びたくもなる。
重機も電気もなかった時代、太陽とともに起きて暗くなったら寝ていた頃の話・・・。
って、つい100年、200年ほど前まで、世界中がそんなだったなんて・・・今となっては考えられないけど。
世界がどんどん便利になって、科学も医薬も進歩しても、困った時の神頼みってのは、1000年、2000年の間に遺伝子に染み付いたものだからなぁ。
帰りに売店で飲んだ豚汁が美味しかった。
思いの外具は少なめだけれど。
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