目の前の子どもに合わせて変わる
先生は、目の前の子どもたちから学ぶ。
教え方や関わり方を振り返り、合うようにする。
やり方を通すことは大切だが、
意固地になってはいけないところがある。
自分が「変えて」あるいは「やめて」よかったなと思ったことを書く。
①「かるた」をやめる
ある年、子ども達の「静か」「集中」をつくるつもりで、
かるたをやった。
多くの子は楽しんでやっていたのだが、
ある子は、まったく勝てなかった。
視覚に入る情報が多く、整理がつかないのだ。
これは努力でどうなるものではない。
「かるた、いやだ」と大泣きさせてしまった。
それで、その学級ではやめた。
毎回入れ替わり勝負だよ!と盛り上げなくてよかった。
「静か」「集中」は、他の手段でつくるようにした。
②「5,4,3,2,1」をやめる
T「書く時間あと5秒、5,4,3,2,1・・・」
C「先生やめてくださいっ!!」
数を数えるのは、集団をすばやく動かすのにいいのだけど、
どうしても苦手な子がいた。
音が入ってきて集中できないのである。
そのプレッシャーはいやなのである。
人に追いかけられている感じなのだろう。
これはくせで怒られた後もしばらくやってしまったのだが、
この学級ではやめた。
「あと少しね」 「はい、やめ」
そして作業がやめられなければ「あと1人」と。
言われた本人もそっちの方がよかったようだった。
③「声で反応する」をやめる
思いついたことをつい声を出してしまう子がいる。
それを注意すると、反発するのだ。
「ぼくは、声に出ちゃうんです。
これは変えられないんです!」
「(習い事がある)金曜は調子が悪いんです。
だから、無理です。」
こう言い切るのである。
周りの子もうるさいと感じているし、
ついこちらも反応してしまうのだが、
余計にその子もいらいらしていく。
本人は困っているのだ。
二人のやりとりが、かえって教室の音の刺激を増やしてしまった。
周りの子の理解があり、1人でしゃべっているからよかったのだが、
先生が反応しないことが、正解のようだった。
関係ない話にいちいち反応しない。
独り言がうるさければ、こちらはじっと見て、止まる。
静寂をつくれば、話し始めないのだ。
そして授業にもどり、学習の話題にのってきたら、肯定的な反応をする。
つまりほめる。
これは、声を出す本人にとってもよかったようだ。
もちろん、先生としてもっと力があれば、
こうはならなかったかもしれないが。
④子どもの「好き」を、好きになる
なかなか先生に心を開けない子もいる。
先生に心を開けた方が、安心である。
先生は、その子の好きなものを好きになることで、
一つつながりをもつことができる。
普段読まない漫画を買ったり、
ボカロの曲を聞いたりする。
野球のデータを見たり、
tiktokを開いたり、
フォートナイトの動画を見たりする。
とりあえずふれてみて、あわよくば好きになってみる。
そして子どもと、たわいのない話をする。
「好きなことで自分の力を発揮できると、心も開く」と感じる。
鬼滅の刃のイラストを日記やポスターに書いてもいいよ、と伝えた子は、
どんどん自分の良さを発揮したし、
周りから認められることも増えた。
そこから何かと絵を描く活動を取り入れて
「善逸、やっぱりうまいなあ」と話しかける。
すると、それまでよそよそしく接していた担任にも、明るく自分のことを
話してくれるようになった。
もっと早くやっていればなあと感じたのだった。
子どもに合わせて「やめ」たり「変わっ」たりすることは、
子どもに合った先生に成長することであり、
先生の幅を広げる。
先生の幅が広い方が、子どもの幸せにつながると思う。
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