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夢を語ることと露出度高い服を着るのは同じかもしれない。

キルラキルというアニメを知っているだろうか?
全25話。amazonプライムで配信している。
いわゆる学園バトルものだが、2クール分ある長めのストーリーにも関わらず、観るジェットコースター的なスピード感、うるさいくらい濃すぎるキャラクター、一貫した爽快で超絶熱くでもちょっと昔っぽい感じのする世界観には観始めたら止まらない魅力があって、大好きなアニメである。

詳しいストーリーはぜひ本編をご覧いただきたいのだが、観ながらふと思ったことがあったのでここに。ちなみにネタバレはない。

キルラキルでは主人公が父の仇を探すためにとある学園の生徒会のメンバーと次々闘うことなるのだが、たまたま亡き父が遺した喋るセーラー服(CV.関俊彦♡)に出会い、戦闘服として見に纏うことでめちゃくちゃ強くなれるのだ。喋るセーラー服と主人公との絆は、キルラキルにとっては重要な要素になってくる。

しかしこのセーラー服
戦闘モードになると露出がとにかく凄い。
胸から腰にかけての布がほとんどない。
これも合理的な理由があっていずれは明らかになるのだが、この姿に、主人公は始め めちゃくちゃ恥ずかしがって闘っていた。

序盤はセーラー服の戦闘能力を十分に引き出すことが出来ず戦いに不利になっていたのだが主人公は途中で気づく。

自分が闘えないのは、自分に恥ずかしさがあるからだと。着こなせていないからだと。

そして露出に対して羞恥心を捨てたとき、始めて服の力を引き出すことができた。

この話を観ながら思ったのだ。

**夢を語ることと露出をすることって多分同じだなって。 **

海で水着になったり、下着になったり、露出をするって大体の人は恥ずかしいと思う。
普段は隠れている身体のラインが出る。傷跡が見える。ムダ毛が見える。裸に近くなって自分自身が凄く出る。人にもジロジロ見られる。堂々と振舞える人ってなかなかいないのではないだろうか。


夢を語ることも同様に恥ずかしい。私はやりたいことがある。自分で飯が食えるようになりたい。フリーで働きたい。ぶっちゃけて言うと、田舎で畑をやって野菜を作ったりもしたいし、自分に自信のない女の子の味方でいたい。文章を書くのが好きだから文章を書き続けて収入を得たい。旅行もしたい。スナックのママもたまにやりたい。**世の中に自分を好きな人を増やして生きたくて、私にはその才能と素質があると思っている。書き続けられれば自分をアピールし続けられれば、3年後、5年後は今よりもっと遠くの場所に行ける。自分にはそのセンスがあると思っている。 **


と文章ではなんとでも言えるし思っているのだが、実際には今の仕事終わったらどうするの?に対して…「う〜ん、就職先探さなきゃなんないんですけどね…」とついつい適当に濁してしまうのだ。

人に突っ込まれたくない、あれこれ聞かれたくない、なんか恥ずかしいと思って堂々と振る舞えない。

それってそれって
**露出度高いセーラー服を着こなせていなかったキルラキルの主人公と同じじゃない?? **

恥ずかしいと言いながら着ていたとき
セーラー服は悲しんでいた。

恥ずかしさを捨てたときから
セーラー服は喜んで全力を出していたし主人公も自分の力以上のものを引き出して闘っていた。

夢ってもしかしてあのセーラー服??

ってことは私があの夢に恥ずかしいという気持ちを抱いている限り、夢は自分の味方になってくれないし、今の自分以上のものを引き出せないんじゃ。。。

これではあたし!!!闘えない!!!!(誰と?)

と言うことで

SNSでも堂々と露出度高くしていこう。胸から腰が裸のセーラー服を堂々と纏おうと思ったのでした。

と思ってまずはTwitterのプロフィール欄を変更。最初は恥ずかしかったけど、フォロワーは増えた。

キルラキルでそんなことを思っていた矢先
私の好きな経営者ハヤカワ五味さんのnoteのプロフィール欄に「服という纏う哲学」と書いてあって、いい表現だな。と思った。

暖かい季節になったので、みんなもこの機会に2枚程、脱いでみないか?

キルラキルも最高にオススメする。


さよならさんかくまたきてしかく。

おりん

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