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教授のご教授

僕が所属しているゼミの教授は、若い。

年齢は40代前半。
大学教員の平均的な出世スピードというものに詳しいわけではないが、見た目も若いし、多分皆さんが思い浮かべる「教授」の中ではだいぶ若い部類に入ると思う。

そんな教授は、昨年の4月から僕の通う大学に着任した。
僕が3年になったばかりの、ちょうどゼミに入り始める時期だった。

ただでさえ「ゼミ」という得体の知れないものに入るのに、その先生が初対面の先生であることが、少しばかり不安だった。

しかしその不安は、のちに杞憂となる。

僕にとってこの大学3年生の1年間は、とても楽しかった。
大学の3年間の中でも、特に楽しいと感じる瞬間が多い年だった。

僕のゼミでの主な活動は2つ。

1つは教科書をきちんと読んで、授業日までに各章の内容をまとめること。

もう1つは、自分の興味にあった論文を読んでプレゼンを行うこと。

実験とか研究とか、そういった派手な取り組みはないので、これを読んでる人が想像するゼミに比べると少し物足りなく感じるかもしれない。

だけど僕にとっては、この2つがとても重要だった。

まず僕は、運が良かった。
他のゼミに比べて僕のゼミは人数が少なかったので、わからないところがあって質問すると、教授が懇切丁寧に教えてくれた。

そしてプレゼンに使う論文は、教授が面談を設けてくれて、自分に興味のある論文をいくつか紹介してくれた。

教授はすごかった。

僕が挙げたざっくりとした興味のあるテーマに対して、ポイポイと関連する論文を見つけてくれた。

この人の頭の中はどうなっているのだろうと、本気で覗きたくなったほどである。
もし頭蓋骨が開く構造をしていたなら、隙をついて開けていたに違いない。

だけど教授の研究室にあるびっしりと埋まった本棚を見れば、なんとなく頭蓋骨の中身がわかったような気がしたので、覗くことは控えた。


この1年間がきっかけで、大学院への進学を決めたと言っても過言ではないくらい、僕にとってのゼミ活動は大きなものだった。


そして今、僕はその教授から卒業研究のための指導を受けている。


少し前に自分の研究計画について、外部の人にプレゼンをしなければならないことがあった。

なんとかスライドを作って、原稿を作って、教授にチェックをしてもらった。

おそらく、教授は今まで数々のプレゼンを行なってきたのだろう。
学期中は毎週授業で100分も喋っているのだから、言わずもがなプロだ。

僕のスライドをざっと見ながら、「ここを直した方がいいよ」とか「この表現の方が伝わる」ということを、僕がスライドを作るのにかけた時間の100分の1くらいのペースですいすいと指摘していく。

全部終わった頃には、見違えるくらいにスッキリとしたスライドができあがっていた。

その作業が終わると、教授が僕の顔を見た。

そんなつもりはなかったのだが、だいぶ多くの指摘を受けて凹んだように見えていたのかも知れない。

教授が言った。

「プレゼンは、何度もこなしていくうちに段々と上手くなっていくものです。何度も言葉にして、その度に理解し直して、そうやって少しずつ慣れていくものです。僕もそうだったから、今すぐにできなくたって大丈夫」

教授はいつでも楽しそうに話す。
僕に合う論文を探す時も、自分の授業で専門分野について教えているときも。

僕もこんなふうになれるだろうか。

自分の将来は全くわからないけれど、こんなふうになれたらいいな、とは思った。


ついさっき、ゼミの期末レポートを教授に提出した。
内容は、今年一年で調査したことと、来年度の実験計画をまとめること。

自分なりに、なんとかまとめたつもりだ。
この1年間の成果が、果たして出ただろうか。

添削ばかりだったら、どうしよう。

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