漠然 in Osaka
今週の月曜日から、大阪に滞在している。
進学したい研究室が大阪にあって、たまたまその研究室のインターン生として受け入れてもらえる事になったからだ。
期間はおよそ3ヶ月。
大学側が用意してくれた下宿先に泊まりながら、自分のやりたい研究を進めさせてもらったり、研究室の活動に混ぜてもらったりする事になる。
下宿先にはキッチンや簡単な調理用品や食器が揃えられているため、ある程度の自炊なんかもできちゃったりする。
するかどうかは、僕の気まぐれであっちゃったりする。
全く住み慣れていない部屋に、ゼロから始まる新しい環境。
なんだか懐かしいなと感じていたら、大学に入学したばかりの感覚に似ているような気がした。
静岡から東京に上京して始まった、念願の一人暮らし。
全く住み慣れていない部屋とゼロから始まる新しい環境は、僕にとってすごく刺激的だった。
しかし、あの頃とは何かが少し違う。
自炊しちゃったりしようと考えた時のための調味料や、その他消耗品を買い足しに行っている間、何が違うのだろうかとぼんやり考えていた。
多分、今回の滞在には「ウキウキ」が無い。
18歳。
晴れて迎えた大学1年生。
サークルは何に入ろうか。
どんな人と出会えるだろうか。
授業は面白いだろうか。
あの時の新生活には、「まだ見ぬ出会い」への莫大な期待があった。
そしてそれと同時に、「何にも出会えなくても、その時はそれで別に良い」という丁度いい無責任さがあった。
21歳。
やがて迎える卒業と進学。
院試は受かるだろうか。
卒論は書けるだろうか。
この3ヶ月で何かしらの成果は生み出せるだろうか。
「まだ見ぬ出会い」は未知が故の不安であり、「何かに出会えなければ、持ち帰るものが何もない」というプレッシャーが背後に迫っている気がする。
18歳の僕は、「何をしても、逆に何もしなくても良い心地よさ」に浸っていられた。
今の僕は、自分や自分が勝手に作り上げる周囲からの期待に気後れしている。
たった3年ほど違うだけで、こんなにも違う。
いや、本当にそうだろうか。
18歳の僕だって、きっと今みたいに漠然と不安で、漠然と焦る感じがして、そんな漠然から逃れるために必死だったはずだ。
僕はまあまあ気が小さくて、何かと準備しすぎる節がある。
普段は大雑把なくせに、肝心なところでは「準備は足りているだろうか」とか、「もし上手くいかなかったらどうしよう」などと必要以上に心配する。
しかしそんな性格と21年も付き合ってきたのだ。
学んだこともある。
実は意外と「足りないかもしれない」と不安になっている時の方が、準備万端で上手く行ったりするのだ。
そうしてなんやかんや上手くいってしまうと、そんな不安でてんてこ舞いだった自分などすっかり忘れて「あの頃は気楽でよかったのに」なんて筋違いの偉そうな羨望を口にするのだ。
多分きっと数年後の僕は、この大阪での3ヶ月を振り返って「あの頃は気楽でよかったなぁ」とか言って笑うだろう。
そんな少し先の自分に笑われるために、今は漠然としたいろんなものを振り落とすように頑張ろうと思う。
漠然とじゃなくて、がむしゃらに。
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