時は心なり、金は人なり
「時間とお金が無限にあったら、一体何を望むか」
この問いに澱みなく答えられる人が、世の中にどのくらいいるだろう。
時間があれば。金があれば。
僕らは、何をするのだろう。
高級外車を乗り回し、高級ブランドで身を固め、腹が膨れるくらいに美味い飯を貪り、手に余るほどの家を建て、呑み、歌い、騒ぎ、豪遊の限りを尽くす。
そんな想像の先で、内なる声が僕に問う。
「それで、次は何をするのか」と。
なんせ時間は無限に続き、手に入らないものはないほどの金があるのだ。
さあ、早く。
次は何をする?せっかく手に入れた時間と金だ。
試しに紙に書き出してみる。
全てのやりたいこと。手に入れたいもの。
埋まらないノートの見開きページを見て思う。
時間とお金で、僕は何をしたかったのだろう。
みんなは時間とお金で、何をしたがっているのだろう。
貧乏大学生の戯言だと感じたなら、ここでページを閉じてもらって構わない。
それでも、ここまで読んでくれた人の中に、心当たりのある人がいるかもしれない。
もしくは、気づいた人がいるかもしれない。
時間とお金の使い道がよくわからないかもしれない、と。
そんな人に、読んでほしい2つの物語がある。
時間泥棒と彼らから時間を奪い返す少女の戦いの記録。
ミヒャエル・エンデの『モモ』。
とある街の円形劇場跡に暮らす少女モモは、街の人々とゆったりとした時間を楽しみ、それを周囲の大事な人と分かち合いながら暮らしていた。
しかしある日そこに、灰色の男たちが迫り来る。
灰色の男たちは人々に近づき、唆す。
「本当のお前はもっと成功できる。皆から注目されたいだろ?しかしそのためには時間が必要だ。もっと時間を節約しろ。無駄な時間があるはずだ。大丈夫。節約して貯めた時間は、我々が責任を持って管理する」
人々の心の隙間に徐々に不安が流れ、あらゆる時間を無意味に見せる。
その余白を節約するたびに、人々はどんどん余裕を失う。
ひとり、またひとりと、モモのもとを訪れる人は減ってゆく。
そうやって灰色の男たちが人々から時間を奪い力を蓄える中、モモは不思議な力を持つ亀「カシオペイア」に連れられて、時間の国へと誘われる。
そこで出会った時間を司る者・マイスター・ホラは、モモに時間の正体と灰色の男たちへの対抗策を教える。
時間とは何か。
なぜ灰色の男たちは時間を奪うのか。
時間を奪われた人が、いずれどうなってしまうのか。
全てを知り、灰色の男たちから時間を取り返すべく、奮闘する少女の物語。
2冊目は「お金と幸せの答え」について読者に問う、哲学チックな物語。
川村元気の『億男(おくおとこ)』。
弟の借金を肩代わりしたせいで、妻と子供と別居せざるを得なくなった主人公、一男。
ひょんなことから挑んだ福引で当てた宝くじの中に、一等3億円の当選券が入っていた。
いきなり手にした大金に、一男は恐れ慄いた。
そこで、大学時代の親友・九十九(つくも)を頼った。
九十九は時価総額100億を超える、ベンチャー企業の社長になっていた。
彼なら、大金の上手な使い方を知っているはずに違いない。
九十九は言った。
どうするべきかは、僕が教える。
だから3億円を現金にして持ってきてくれ、と。
現金3億円とともに九十九のもとを訪れると、九十九は一男を交えて盛大なパーティを開いた。
今まで経験したことのない宴に戸惑いながらも酒を楽しむ一男。
目が覚めると、あんなに騒がしかった九十九の部屋が、もぬけの殻となっていた。
九十九が、3億円を持って姿を消したのだ。
消えた親友と3億円の手がかりを求めて、一男は九十九がかつて一緒に会社を立ち上げた3人のメンバーのもとを訪れる。
彼らと九十九のこれまでの人生を聞かされるうちに、一男はお金と幸せの答えと、今まで逃げてきた家族に向き合いだす。
九十九は一男に何を伝えようとしているのか。
一男は、家族との時間を取り返せるのか。
お金が無くても在るものと、お金を手にして失くすもの。
その2つを同時に教えてくれる、不思議かつ現実的な物語。
この2冊を読んで、僕は考えるようになった。
自分の心の中に、灰色の男たちは棲みついていないかと。
お金を、幸せのために使えるのかと。
まだまだひよっこの大学生。
奪われずとも、時間はたっぷりあるだろうし。
使い道を心配するほどの大金はない。
けれど、この本から学んだことはある。
時間もお金も、使いたいと思える何かや誰かが必要だ。
逆にそれが無ければ、時間もお金も無いに等しい。
僕は一体、何に、誰に、時間とお金を使いたいだろう。
当たり前のようで考えてこなかった問いを、頭の中でぐるぐると巡らせる。
残りわずかとなった、預金残高とにらめっこをしながら。
大丈夫。
そのための時間は、多分まだある。
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