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ギャラリーオーナーの本棚 #11 『センス・オブ・ワンダー』 厳しい科学者の優しい遺書

私は大学生の頃に、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読み始めて途中で挫折していた。読んだきっかけははっきりと思い出せないけれど、大学で環境学を学んでいたので、農薬のDDTによる生態系破壊を訴え、その後の環境保護のムーブメントに影響を与えたその本は推薦図書のようになっていたんだと思う。

だから私にとってはレイチェル・カーソンは厳しい科学者のイメージだった。当時私が手にした本の著者紹介のポートレート写真も、厳格な女性教師といった感じだったように記憶している。『沈黙の春』ではなく『センス・オブ・ワンダー』を先に読んでいたら、レイチェル・カーソンに対して全然違う印象を抱いていただろう。
この本の中にいるカーソンは、大人になっても鳥や虫などあらゆる生命を慈しみ、自然の力に畏怖の心を持ち続けた、柔らかな感性の持ち主であり、母親を失った幼子を育てる優しい伯母である(正確には姪の息子なので、この場合はなんと呼ぶのか・・・)。

『沈黙の春』の初版が1962年、日本語訳出版が1964年とほぼ同時期に訳書が出たのに対し(当時の邦題は『生と死の妙薬-自然均衡の破壊者〈科学薬品〉』(新潮社)・・・すごいタイトルですね。)、『センス・オブ・ワンダー』の初版は1965年、日本語訳が出たのは1996年で実に30年もの隔たりがある。これは一体どういうことなのだろう。
『沈黙の春』はDDTの使用禁止を招いて米国内の産業界や保守層から猛反発を受け、政府の責任追及の声が上がるなど議論が紛糾した。『センス・オブ・ワンダー』の訳書出版が遅れたのは、そういった世論と何か関係があるのだろうか?

今、私が手にしている新版の『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子 訳 / 新潮社)は2021年に出された文庫本で、川内倫子さんの美しい写真がページを彩っている。カバーの手触りも心地よく手に馴染む。そして4名の識者が本書にエッセイを寄せており、これがとても面白い。

生物学者の福岡伸一さんは、カーソンが『沈黙の春』出版後に受けた誹謗中傷やその後半世紀も続いている懐疑論に対して批判的な見解を述べている。
批評家・随筆家の若松英輔さんは、カーソンの甥子への目線を通して、感性や霊性が土壌となって知性や理性が花開くことを読み解いている。
神経科学者の大隅典子さんは、科学者の立場から、近年もてはやされる「データ・ドリブン」に対し、データを見るにもセンスがいる、と釘を刺す。
児童文学者の角野栄子さんは、効率や合理性は人々の願いから強化されてきたものだが、それが想像的・創造的な人間の力を削いでいるのではないかと危惧する。

それぞれに、半世紀以上前に書かれたカーソンの「遺書」が、現代の私たちに教えてくれることを的確に読み解いてくれていると思う。

カーソンは『沈黙の春』を出版後、自らの死期が近いことを知って、この『センス・オブ・ワンダー』を書き遺した(さらに加筆する意思があったようだが、実現できずに亡くなっている)。これほどまでの反響を巻き起こしたことに、カーソンはどんな気持ちでいたのだろうか。
科学者として自らの使命に従い、世論と闘ったカーソンが遺した「遺書」は、その後も続くノイズを寄せ付けない、優しく美しい輝きを保ち続けている。


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