見出し画像

演劇とは相思相愛ではなかったけれど

「『はこべさんが読んでくれたとき、笑い声とかすっごい良かったよね』と言っていましたよ」

 友人から届いた、一通のメール。この一行を何度も読み返している。

 ---★---

 やみくもにnoteを始めてしまったけれど、公開された場所に、こんな風に自分の想いを綴るのは、はじめての事。

 でも、自分を表現する事に、今まで全く興味が無かった訳じゃない。

 若い時は、演劇をやりたかった。役者になりたかった。

 今日はその話をしよう。

 ---★---

 演劇に出会ったのは高校の時。

 だけど、考えてみたら、子供の頃から、ごっこ遊びや人形遊びが好きだった。中学一年生か二年生位までは、妹と一緒に遊んでいた。

 中学二年生の半ば頃だったろうか、急にそれらの遊びを止めてしまったけれど、興味を失ったというよりは、物足りなくなったという感じだった。

 高校で演劇部に入ろうと決めたきっかけは思い出せない。でも、入学した時から、部活は演劇部にしようと決めていて、まっすぐ門を叩いた。

 そして、はまった。

 ---★---

 演劇の醍醐味は、何と言っても、一期一会という事だろう。同じ役者が同じ脚本で同じ舞台を踏んでも、全く同じ芝居にはならない。観客の反応も日によって違う。

 そして完成形が無い。どこまで追いかけても、やり切った、満足した、と言う事が無い。完成形に近づけたかな、もう少し、あと少し、と言うところで、必ず幕は降りる。そして跡形もなく消えていく。だけど演じた者と観た者には、何かが残る。その潔さ、儚さ、美しさ。

 高校生の自分が、この醍醐味にどこまで触れられていたのか。

 もしかしたら、壮大なごっこ遊びに夢中になっていただけかもしれない。

 それでも今の自分の人生観に、演劇がかなり影響している事を考えると、幼いなりに、あるいは幼いからこそ、何かを受け取っていたのだろう。

 ---★---

 ただ、夢中になればなるほど、自分の限界は見えてくる。

 舞台役者に求められるのは、身体能力とコミュニケーション能力で、私にはそのどちらも欠けていた。滑舌もとても悪い。特にラ行音が苦手。そして日本語にはどうしてこんなにラ行音が多いのか。

 役への感情移入や、台詞以外の表情や目線の使い方、台詞にならない悲鳴や笑いや嘔吐などは褒められた。自分で言うのはどうかと思うけれど、何かしらの雰囲気はあったのかもしれない。

(あ、嘔吐? そう、嘔吐するシーンのある役を演じた時に、演出から「あんたのげろは絶品よ!」と褒められたのです。多分、演劇をやっていて一番褒められたのが、これ……。)

 でも、身体能力が無く(立ち居振舞いが汚い)、コミュニケーション能力が無く(人の台詞を聞かずに、自分だけでただ喋る、つまり会話になっていない)、滑舌が悪い(何を言っているのか分からない)役者が、感情移入だけが激しく、雰囲気だけで芝居をすると、大根と呼ばれる結果になる。

 高校卒業後の進路を考える時期になった時、本当は、東京に出て役者を目指してみたかった。だけど、ものになる自信は一ミリもなかった。

 それでも諦め切れなくて、出した結論は「保留、先送り」。

 地元の大学に進学して、そこでも演劇部に入った。高校の時よりも、深くはまった。そして高校の時よりも、更に自分が演劇に向いていない事を実感した。

 それでもやっぱり諦め切れなくて、大学を卒業後、地元で就職した後、地元の劇団の門を叩いた。仕事をしながら、趣味としてでもいいから、一生関わっていきたかった。

 だけど、そこで出会った現実は、高校生よりも大学生の方が、大学生よりも社会人の方が、演劇に対して真剣で、業が深い人達が集まってくる、という事だった。

 私は私なりに演劇が好きだったし、演じる事を愛していた。でも、私とは比較にならない熱量で、演劇に向き合っている人達の方が多くて、私の出来ない事を軽々と出来る人達の方が多いのは、動かせない事実だった。

 すごく楽しくて、一生続けたい、叶うなら本当はそれを仕事にしたいと、願っていたはずなのに、いつの間にか、芝居をする事が辛くて苦しくて仕方がなかった。

 26歳を最後に、舞台に立つのを止めた。

 仕事が忙しくなって、演劇に時間を割くのが難しくなったのは本当の事だ。でもどんなに仕事が忙しくても、あるいは仕事を辞めてでも、演劇からどうやっても離れられない人達が沢山居るのを知っている。結局は、情熱が枯れたというのが正直なところなんだろう。認めたくはなかったけれど。

 恋愛経験が少ないから、大きな失恋の経験も少ない。

 多分、私にとって、最大の失恋経験かもしれない。

 演劇と私は、相思相愛ではなかった。

 別れを突きつけられたのか、別れを切り出したのか、よく分からない。けれど、いずれにしても。

 ---★---

 演劇を辞めた後は、仕事にのめりこんだ。それと同時に、演劇漬けでそれまで出来なかった事を全部やろうと決めた。観劇、旅行、読書、美味しい物を食べる事、お酒を飲む事。そして、友達と沢山会う事。

 演劇を辞めてから、円形脱毛症が治った。やりたい事をやる内に、沢山の出会いがあり、一生の友達になった人も多い。だから辞めた事に後悔は無い。

 ---★---

 昨日、友人から一通のメールが届いた。

 彼女は演劇を辞めた後に出会った、一生の友達の内の一人。元々はこちらの出身の人だけど、今は遠くで暮らしている。そして今も家族ぐるみでお付き合いが続いている。

 本人も素敵な人だけれど、旦那さんもいい人で、三人の小さな娘さんが、これまたみんな可愛らしい。

 昨日のメールには、数年前、彼女の帰省の際に、私がおうちに呼んでもらって、ご飯をごちそうになった時の事が書かれていた。

 その時、私は、三人の娘さん達に夢中になっていた。三姉妹が遊んだり、笑ったり、喧嘩したりしているのを見ていると、人形遊びやごっこ遊びに夢中だった幼い頃の自分を見ているようで、とても微笑ましく、私も一緒に遊んでもらった。折り紙を折ったり、ボールを転がしたり。

 そして、せがまれて絵本を読んだ。

 彼女がその時と同じ本を、三姉妹に読んであげたら、一番上の娘さんが、こう言ったそうだ。

「『はこべさんが読んでくれたとき、笑い声とかすっごい良かったよね』と言っていましたよ」

 演劇を辞めた事に後悔は無い。

 そして、演劇に出会った事にも。

お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。