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木曜日の陽射し

先週の木曜日、突然、春が来た。

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家を出た途端に、あ、前日までと、陽射しが明らかに違う、と思った。空が随分高い。

水曜日までは、冬だったように思う。厚手のコートにくるまって、通勤路を、背中を丸めて歩いていた。

陽射しが違うと、近所の家々の庭木の枝の色も、公園のブランコの色も、違って見える。

風はまだ冷たい。厚手のコートでまだ丁度いい。

それでも、いつもの通勤路の、前日までよりも軽やかな色彩に、背筋を伸ばした。

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昨今のニュースの報道は、感染症に関する事が主だ。気持ちが重くなるのは仕方が無い。

でも、ものすごく正直な事を言えば、感染症の報道のお陰で、この時期に、ある程度はニュースをチェックする事が出来る。

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ここ数年、三月は、テレビをつける事を避けていた。あの日の特集が流れると、自分が調子を崩す事を知っていたから。

私は、内陸住まいだ。あの日、住んでいた家は、あちこち壊れて、結局は引っ越す事になったけれど、津波の被害は皆無だ。

それでも、やはり、三月になると、どうしても調子を崩しがちになってしまう。自分はへなちょこだな、と、思いながらも。

多分、それは、私だけではない。

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内陸に暮らしていたって、直接は、津波の被害を受けていなくたって、海沿いに、全く何の縁も持たない人は、この町には、恐らく、ひとりも居ないと思う。

私も、親戚の家があった場所は、今は更地になっている。海沿いで暮らしていた友人は、水に家を飲み込まれて、今は遠い島で暮らしている。同僚には、家族を亡くした人が居る。海の近くのお墓参りに向かう川沿いの道は、九年前とは、もう、風景がまるで違う。

二度と訪れる事が出来ない場所を持たない人は、きっと、この町には居ない。

そもそも、あの日がほんの十日くらいずれていたら、私はお彼岸のお墓参りをしていた筈だ。標高が高い墓地の墓石に、しばらく、津波の喫水線は残ったままだった。

あの頃、安置所になっていた、県内でいちばん大きなスタジアムに、冷たい私の体が運ばれていても、おかしくはなかったのだ。私だけじゃない、この町に暮らす人は、みんな。

街中の商店街も、駅前の大通りも、すっかり日常を取り戻して、随分長く経つけれど、この町で暮らす人がみんな、ここ数年、三月になると、少々調子を崩してきたのは、やむを得ないと思う。

この町で暮らす、というのは、そういう事だから。

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こまめな手洗いと消毒、マスクの着用、人込みを避ける事、換気。睡眠を十分にとって、滋養のあるものを食べて、暴飲暴食は避ける事。

ニュースで報道される感染症対策は、そのくらいのものだ。

でも、それが、案外難しい。完璧に徹底的にやろうとしたら、生活など、出来はしない。

出来る範囲で、出来る事をするしかない。

手はしょっちゅう洗っている。洗いすぎて、手荒れしてきたくらいだ。

だけど、仕事をしない訳にはいかない。混雑する時間帯は極力避けるけれど、やっぱり通勤電車に乗らない訳にはいかない。人混みを避けるというのは、生活の上で、そもそも無理がある。

でも、出来ない事については、もう割り切る事にする。

そうしないと、私は、不安とストレスで病んでしまう。その事を、自分で良く知っている。

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あの年は、あの日からしばらく、ずっと泣いてばかりいた。あまりものが食べられず、激やせしてしまった。

もう少し強いつもりでいた。繊細と言えば聞こえはいいけれど、ストレス耐性がまるで無い自分を思い知った。

同じ事を繰り返したくは無い。

出来る範囲で対策を取って、後は考えない。

対策を取れるだけ、ましだと、自分に言い聞かせる。

もしかしたら、地震や津波と、深刻度は変わらないのかもしれない。それでも、身構える事は出来る。

そう、出来る範囲で、出来る事をするしかない。

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あの日は、私の人生観を変えた。

明日がやってくる保証は、どこにもない。

地面が少し震えたくらいで簡単に崩れ去る、まぼろしのような危うい世界で、私達は暮らしている。

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だけど、このまぼろしのような世界は、なんて美しいのだろう。

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こんなに脆い世界の地上に、大切な人たちが沢山居る。

沢山しゃべったり、笑ったり、時には喧嘩したり、仲直りしたりしながら、かけがえの無い時間を、一緒に過ごす事が出来る。

ひとりの時間には、本を読んだり、音楽を聴いたり、歌ったり、何かを書いてみたり、そんな事を自由に楽しんでいる。

季節の訪れを感じ、今日、今、この瞬間を、味わい尽くす事が出来る。

この脆く、美しい世界の地上の、今、この瞬間の輝きは、決して消えたりはしない。

誰にも消す事は出来ない。

たとえ、明日がやってくる保証が、どこにもなかったとしても。

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もしも、本当に、もう、明日が来ないとしたら。

今日は、何をしたいだろうか。

誰と一緒に過ごしたいだろうか。

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木曜日、定時ジャストに仕事を終え、ビルの外に出たら、まだ、外は明るくて、少し驚いた。

水曜日までは、外に出たら、宵闇の中だった筈だ。いや、気持ちに余裕が無くて、明るさに気が付いていなかっただけなのだろうか。

どちらにしても、明るさに気持ちが浮き立った。一駅分を歩いてみようと思うくらいには。

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ウィルスが猛威を振るおうと振るうまいと、春の光は、やはり美しい。

それならば、陽の光を浴びて、大好きな人たちと一緒に、笑っていたいと願う。

今年の春の景色は、今年しか見られないから。

今日の陽射しは、今日しか見られないから。

お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。