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一人からの卒業は、誰かのために自分を赦せるようになること。【アートとコピー#FIN】


「全力」


と言う言葉に、どこか苦手意識を感じていた。


50m走とか短い距離で全力疾走って何?って思っていたし、力を全部出すという感覚がわからなかった。え、まだいけた?頑張ったけどまだスピード出せた?「100%」とか「必ず」とか見えない強いワードも、どこか自分に嘘をついている感覚になる。


そんな捻くれ者の私。
気がつけば、いつも”頑張ったフリ”をしていた。

社会人になって1年、諦めかけていた広告のクリエイティブの世界と運命的な出会いをしたと盛大な勘違いをして、いろんな講座・コミュニティに飛び込み始めた。そして社会人になって2年目の終わり、勇気を出して声を上げてマーケティング戦略の部署へ異動した。
今、私は仕事はまだまだ半人前ではあるけど、すごく生き生きと仕事ができるようになった。それもこの世界と出会えてお陰だ。

でも、なぜか私はいつもどこかでわだかまりを感じていた。

いろんなことに挑戦しているから見られているからこそ、「色々頑張っているね〜」とは言われるようになったものの、私本当に頑張っているのか?と、心のどこかでいつも消化不良を感じていた。

最近、その原因がわかった。

多分、私にとっていろんなことに挑戦することは”保険”なんだ。
ひとつ何か極めるって、失敗したら後戻りできなくなる。そして分散投資をしているから、自分でどこかブレーキをかけてしまう癖がついてしまった。


”まあ、私コピーライターじゃないし”

”まあ、私広告専門じゃなかったし”

”まあ、私サイトを主軸にしたいわけじゃないし“


・・・


この心の声、意外と割と思った瞬間あったな、とすごい書いてて辛くなってしまった。
そして、そんな加減をした瞬間、それを見逃さなかったもう1人の自分が、「お前は頑張ってない」と烙印を押してくる。そんな自分に嫌気が差していた。


じゃあどうやったら「全力」って使えるのかな?
何になら「全力」を出せるのか?



そんな中、コピーライターとアートディレクターがペアを組む「アートとコピー」という講座に出会った。

1年前の冬。
1期生が講座終了後、Twitterには驚くほどの活躍をされる1期生の皆さんの成果が流れるようになった。
正直すごいなと思いつつ、心底羨ましかった。

広告やサイトのクリエイティブの戦略を考えることは楽しい。
でも、まだまだ足りない。企画書の外に出て、もっと世の中をよくすることができるできる人になりたい。

私も、早く見つかりたい。
そして、今まで頑張ろうとしつつもどこか頑張りきれていない自分を自分の力で認めさせてやりたい。

そのためには、1人で頑張ることだけではとても果てしなく険しすぎる道のりであることを非常に痛感していた。そして、一度挫けてしまうことで、きっと一緒に頑張ってくれる周りの人をがっかりさせてしまう。きっと全部が全部そうではなかったけど、中にはこれまでがっかりさせてきたこともあっただろう。


もうこれ以上、自分も、他の誰かもがっかりさせたくはない。


「誰かのために、未来の自分のために頑張れる人に。」


この言葉は、そんな自分自身への戒めで贈ったこの講座の受講理由。


そして、講座の受講を決意しポートフォリオにありったけの想いを書いて送った。すごい迷惑レベルの熱量を送ったからかわからないけど、阿部さんに買ってもらった。


「全力」を出すための答え探し

初回の講義で阿部さんが仰っていた言葉は、今でもずっと忘れられない。

「こういうもんでしょで失われる輝きがある」

初回講義より

この言葉、「全力」というワードに呪われていた私には、一番グサッときていた。全力って難しい。どこかで提出は来るけど、できるだけ粘る必要もあるしどこかでこれで行こう、という決断は必須だ。
しかし、妥協は、見るひとにバレてしまう。とても恐ろしいことだ。

ここから8ヶ月間、悔いなくやりきるために自分に対してちゃんと貸すことでペアの人と課題に向き合った。「全力」の答えを求めつつ、私はこれをすれば全力だろうということを気をつけて課題に臨んだ。

1.リサーチから勝ちに行く
→課題についての分析、発想・視点はインプットの質から出る。かなしいかなまだ経験も知識も浅い私は、リサーチ力やこれまでの別講座で取り組んだ取り組み方の姿勢で成果を出すことが必要だと思った。誰にでもできるけど誰もやらないことをすれば、どこかで差をつけることができる。そのうちの一つが、「徹底的かつインプットから発想を変える」ことが重要だった。
資料の取り寄せや書籍の読み込みをしっかり行うことが、いいアイデアを作ると信じていた。

2.いい意味で遠慮しない・尊重する
この講座は、アート生の方と2人で課題を提出する。ペアの方を尊重するために、アイデアを出し合い、意見を言い合う。最終的なところを目指すための「私なんかが…」という遠慮は、失礼だ。ところが、これがなかなか難しい。というか、その時は遠慮しているつもりはあまりないのだ。結果的に「あああのときそういえばこういうこと思ってたな」と気づくのだ。

この二つについては、おそらく全ての課題でクリアできていた。だから、今まで以上に「全力」を出すことはできていたと感じた。
それはきっと、ペアでやっていたからだと思った。チームだと無意識に加減したり遠慮してしまうことが、2人だと言い訳が効かない。

この講座は、私に「全力」を出すための環境を与えてくれたし、それだけで自分への嫌悪感がスッと取れた。それだけで自分の肩の荷が少し取れた気がした。
ただ「全力」を出したにも関わらず、この講座で勝負の別れ目を変えた決定的な自分の欠陥を見つけてしまった。


それが、悲しいことに自分が本業に値する「戦略」の部分。

そう、この講座は2人のつくる「戦略の過程」を鍛える講義だったのだ。



「戦略」が勝負の分かれ目を決める

コピーの技術そのものを学ぶ場所ではない。デザインのスキルそのものを高める場所ではない。ふたりで成長して、ふたりで伸ばしていく。取り組む姿勢から、アウトプットまでをふたりの意思で決めていく。ここまでの姿勢、制作、といった過程がどうだったかの答え合わせが月1回の講義で行われる。


この1ヶ月の過程では、「戦略」→「アイデア」→「アウトプット」の順で物事が進む。

ふたりの課題へのスタンスをつくる「戦略」
方向性・テーマが「アイデア」
そして最後にコピー生・アート生がそれぞれの役割を担う「アウトプット」

みんなから最後に評価されるのは「アウトプット」だけなのにも関わらず、不思議なことに、いい企画はこの最初の「戦略」が課題の成果を決めてしまうのだ。
もちろん最後も大事なのだが、講義で選ばれるペアの話を聞くとやはりみんな「戦略」が素晴らしかった。ちゃんと話し合われていた。

この戦略がズレていてダメだった課題もあった。戦略とは「戦う」を「略す」と教えてもらった。戦わない道を選んだつもりが、戦いが起こらないけど勝ち目の少ないところにいっていたのかもしれない。統計データやユーザーニーズの調査をとることではなく、とった後が大事。ここを指揮を取れるようにならないと一人前にはなれない……


といった反省も、次の舞台に生かすしかない。


「悔しい」と思えるのは、誰かのために「全力」を出せたから

「アートとコピー」という講座を受けることで、一番よかったなと思ったのは、本気で「悔しい」と思える回数がこれまでよりずっと頻度が増えたことだ。なぜなら、今までより挑戦できる場が増えたことで、結果を出せない回数ももちろん多くなるし、代わりに知り合いで成功している人も知ることになる。

一緒に講義を受けた受講生は、驚くほどみんな成果を残していく。
それをみて悔しいと思わないわけがない。講義以外でもそれは続く。

もちろん悔しい気持ちがないわけではないが、心の底から祝福できるようになってよかった、と思った。
祝福できるということは、自分が全力でやり切っているからとわかったからだ。後悔していたら「あのときこうしてたら私も……」とか未練を置いてきてしまうから。

これからも、きっと「悔しい」と思う結果はやってくることはあるだろう。でも、私もきっとどこかで誰かに「悔しい」と思わせるような結果を出せるようにしたい。
いや、それよりも、一緒に走ってくれたペアの人に「この人と組んでよかった」と思われるようになりたい。

気づいたら、「一緒に走る誰かに私と組んでよかったと思ってもらう」ために頑張る自分がいた。それがちょっとだけ嬉しかった。
多分、もう消化不良で自分のことを嫌う自分は消えていっているんじゃないかと思った。



未来のあなたに贈る餞の言葉

この講座を受けて、私なりの「全力」というキーワードに対する答えは、「その過程でひとつでも心残り=妥協した記憶がないか」だった。

まさに、はじめに阿部さんの言葉からもあった、「こういうもんでしょで失われる輝き」。
これを思わないように細部までやり切れるか。ちょっとでも相手に遠慮して気になることを消化不良にせずに完成まで持っていくことができたか。

この8ヶ月間、相手のために悔いなく取り組めたことで、私の自分に対する後ろめたさも減らすことができた。

私は、人間は、とても弱い。
だからこそ、ここまで自分を奮い立たせて毎回気持ちを切り替えられるか。これは、ともに走る相手が居るからこそだ。

人は、誰かのためになら頑張れる。
そして、それはきっと未来の自分のために頑張ることにつながる。

この最初の私の思いは、間違っていなかったなと感じた。


この「アートとコピー」を受けようと思っていて読んでいる人の中には、「こんな私が受けていいのだろうか」「意見なんて言うのも烏滸がましい」という人もいるかもしれない。私もここまでなんか偉そうに書いているけど、「いや、コピーライターってわけでもないし未熟だし受けていいのかな」と思っていた。


ただ、受けるうちにその気持ちは間違っていることに気付かされた。

「私なんか」はこの講座では相手に対しても失礼になってしまう言葉だ。

だから頑張るしかない。スキルセットは大事だしあることに本当に越したことはないが、一緒に頑張る相手に「この人と組んでよかったな」と思ってもらえるマインドセットの方がよっぽど大事だ、と再確認できた。
奇妙なことに、逆にそれが大きな活力にも今後の自分への自信にもつながっていた。

だから、今ひとりで頑張りきれていないと感じているあなたも、この講座で誰かと一緒に頑張ればさらに大きな道が見えてくると思う。
それだけは、ここまで書いた私が自信を持って言えることだ。

正直、今もまだ講座自体が全く終わった気がしない。
多分、ここで出会った人と挑戦しつづける限り、この講座の効力は終わることを知らないから。

きっと、自分だけでなく、一緒に頑張る誰かのためにも、
この過程がいつかいい結果を導いてくれると信じて頑張り続けたい。

そして、このnoteがこれから先どれだけ多くの人に読んでもらえるかは、きっと私の頑張り次第で変わってくると思う。多くの人にアートとコピー2期生の一人として、伝えることができたらいいなと感じている。

果たしていつ読まれているかは分からないが、共に頑張る仲間が見つからなくてひとりで頑張る辛さや孤独を感じているあなたに、私は受けてほしいと思う。

その想いを持っていれば、阿部さんはきっとみつけてくれるから、この講座の舞台に連れてきてくれるだろう。そんな覚悟で走り続けるあなたに負けないように、私もこのnoteを書いている今の時点から成長できるように、後戻りできないように記しておきたいと思う。

私は、この講座で自分自身を嫌いなまま気持ちだけが先走りしていた自分を、24歳の終わりのタイミングでプチ卒業できた(多分)。


少しは、自分のことを赦せるようになったと思う。
ただ、もちろんここで終わるつもりは毛頭ない。


まだまだ旅はつづく。



おわりに

改めて、未熟で荒削りの私を見つけて2期生に選んでくださりいつも叱咤激励のコピーを贈ってくださった阿部広太郎さん、
宣伝会議の事務局の皆さん、
講義・講評をしてくださった副田高行さん、寄藤文平さん、鈴木智也さん、
出逢う機会をくださったフォトグラファーのみなさん、
課題やその他の公募で一緒に組んでくれたアート生のみなさん、
一緒に戦った2期生の41名のみなさん、
講義や課題でお世話になった1期生のみなさん、

そして、ここまで読んでくださった未来の受講生のみなさんも。


ありがとうございました。

そして、これからもよろしくお願いします。

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