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人は、人にタグ付けをしている。


昔から、「あなたって〇〇好きだよね」と言われる言葉に対して嫌悪感があった。

自分をその枠だけで捉えられることが嫌だったからだ。


人は何かに所属するし、誰かのことをこういう人だ、とタグをつけて認識している。京都出身、O型、乙女座、東大卒、歌が上手い、バナナが好き、アイドルが好き、サッカーが得意、銀行マン、妻子持ち、、、そうやって何か特徴を掴もうとする。

この枠付けを行うことは、決して悪いことではない。このタグを知ることでその人のことを認識することができるし、自分はこういう人です、と主張することでみんなに覚えてもらうことができるのだ。

ただ、このタグを一つしか持たないことは問題があると思う。人のタグは一つだけではないのだ。みんな生きてきていると誰しも10個以上のタグがあるはずなのだ。


また、誰かに対して自分の解釈のタグをつけてしまうことがあるだろう。これも危険だと考えている。これが”固定観念の正体”だと考えている。
私はいつも「〇〇が好きなんですね」と言われると、「いやそれだけじゃないし」と反論したくなってしまう。ただの天邪鬼かもしれない。ただ、自分をその人間、という枠付けをされてそれ以外の印象を持たれたくないと思っていた。
また、その所属の人たちの固定観念で見られたくないという思いもあった。例えばジャニオタだと言うと「マナーが悪い」とか思われてしまう。よくない印象が先行しているものがあるとバレたらなぜか恥ずかしくなるのだ。その結果あまり好きじゃなくなり好きな人たちの輪に入れてもらえない、ということがよく言った。


私は、この人からつけられるタグができるだけ多くなるように励んでいる。

「webディレクターなんですね」
「京都出身なんですね」
「東京にお住まいなんですね」
「前田デザイン室に所属されているんですね」
「クリエイティブアカデミーに参加されているんですね」
「コピー書かれている方なんですね」
「高橋一生さんがお好きなんですね」
「Twitterうるさい方ですね」・・・

色々思うところは人それぞれだろう。ただ、私はいろんな切り口で自分を見てもらいたい。ある枠に留まりたくはないのだ。

今日も新しい自分のタグを探すため、私は生きている。



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