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生きるということ

9月に入って3週目。
空気も空も、もうすっかり秋になった。

ふと先日、白いTシャツ一枚の出で立ちになんだかとてつもない違和感を覚える自分に気付いた。

夏の真っ青な空と入道雲なんかにはビターッとハマるまぶしい白も、秋空の下ではすこし寂しげに映る。

服装もきっと、空や景色とのコントラストが大事なのね、と
もはや一人暮らし二年目の定番となりつつある独り言をぷつっとつぶやき、秋風の中を足早に歩いた。

おかしなもので、この季節になると
服装も気分も、延いては日頃の生活習慣なんかもがらりと模様替えしたくなる。
そんな一年の中で一番好きな季節、秋がやってきた。

少し前までは、台所でお湯を沸かすたびに汗がそれこそ滝のように噴き出していたものだけれど、今じゃ朝に飲むあったかいコーヒーがちょうどよかったりする。

じめっとした空気が身体にまとわりついてくるたび鬱陶しく感じていた夏も、過ぎ去ってしまえばなんだかすごく懐かしい季節のような気がしてくるから不思議だ。


四季がこれだけはっきりしている国に住んでいると、
それぞれの季節の好きなところ、そしてあまり好ましくないところの両方に自然と目がいくようになる。

好きなところは過ぎ去ってしまえば懐かしく、
こと好ましくないところに関しては、いずれその季節が過ぎ去って、
より好ましい季節がまた巡ってくるという事実に改めて感謝するきっかけをくれる。

生きることは、四季のある国での生活と少し似ている。

日常で起こる大小様々なこと、
むしゃくしゃすること、穏やかな気分にさせてくれること、
涙が枯れてしまうくらい、心をえぐられるようなこと。

そのすべての感情や経験が、まるで季節を移ろう情景のようにめぐりめぐるのが人生だ。

生きていれば、胸が張り裂けそうな想いや
自分でも恐ろしくなるくらいの憎しみを経験することもある。


そういう感情に限って、自分の蒔いた覚えもない畑から、まるで「たまたまです」と言うかの如く飛んできた種子なんかに巻き起こされたりもする。

そしてそんな不意打ちの暗闇は、ひとたび心を支配するとしっかとつかんで離さない。


長く暗闇の中で苦しんでいると、
まるでその苦しみからは永遠に抜けられないかのような錯覚に陥ることもある。

けれど、めぐりめぐる季節のように
人生で起こるすべてのことは、来るべきタイミングで必ず過ぎ去っていく。

幸福な気持ちも
いらだちも
怒りや憎しみも。

生涯続く暗闇はない。
生涯続く日照りや、大雨がないのと同じように。

先の見えない暗闇の中でも、足を動かし続けていればいつか必ず雲の晴れ間から光が差し込む瞬間が訪れる。

どんな一年の中でも必ず、秋空が頭上に舞い戻ってくるように。

今日も悲しいニュースを胸に留めながら

人生という名のうねうね道を一人、踏みしめていく。

Peace.

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