向いてなかったことも、なにも恥ずかしいことなんかじゃないよねって
やめることや路線を外れることが、「消極的な決断」ではなくなったよなと最近よく思う。それもその人にとってはひとつの選択だったというだけなのだと。もちろん個人的なこころの持ちようも大きいけれど、時代の流れ的にも。
あちこちオードリーのオリエンタルラジオの回で、あっちゃんが「本気でやってみたけど向いてなかった」と言っていた。そうやって、向いてなかったわって言えるのはまじで本気でやったからこそで、かっこいいなと思った。向いてなかったことも、なにも恥ずかしいことなんかじゃないよねって、そうだよねってこころの中で相槌を打つ。
人と話していると、案外おなじようなきっかけで方向転換した話を聞かせてくれることがある。でも、きっかけが似ていても、そこに至るまでの経緯や考え、心の揺れ動きはひとつとして同じものはない。
数年前にライターとしてがむしゃらに取材原稿を書いていた時も、目の前の人が抱える一つ一つの思いを大切に汲み取ろうと必死だった。それからいろいろあったけれど、いまのわたしだからこそ気がつけることや汲める思いももっとたくさんあるような気がしていて、それがうれしい。そんな仕事をこれからもやっていきたい。
これは、前に夫が仕事帰りに買ってきてくれたごほうびドーナツ。何があっても、ドーナツはふかふかであまくておいしい。向いてなかった!と言えるようになったのも、いろんな人のおかげで、たくさんのやさしさでいまの自分はつくられているんだなと、このしあわせなふかふかを見ては実感している。
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