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日記を書いたり、写真を撮ったりしています

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    過ぎ去っていく日々の中のちりぢりを、写真と言葉で残していく日記。

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【ライター】 自己紹介と、できること|ご依頼・ご相談

はじめまして。 ライターの角 萌楓といいます。 企業広報分野に携わって7年。2017年に制作会社のライターとしてキャリアをスタートし、社内報やPR誌といった企業広報における制作に従事(年間100本の取材・原稿執筆を担当)。採用広報分野のディレクターを経験したのち、2023年にフリーランスのライターとして独立しました。 現在は、企業広報・社内広報・採用広報分野を中心に、社内報やPR誌、採用サイトなどの企画・取材・執筆・編集を担当しています。 中でも好きなのは、一人ひとりの

    • ノーフューチャーの道の先に|オードリーANN東京ドーム

      2024.2.19 「ラジオやります」から始まった東京ドーム。 春日さんのトークゾーンで若林さんが「こんな内々の話…」って言っていて、まじでこれだなと思った。高校時代の思い出の味で盛り上がって、モノクロな景色をカラフルにするために走って。いつも通りのテンションとかけあい、会場中のリトルトゥースの笑い声に包まれて、なんども頷いては、笑っていた。 一人で聴いているラジオが、一人じゃないんだって思えたし、いろんな言葉をもらってきた若林さんにとってのお守りみたいな時間に参加でき

      • 風がない日はここにいればいいし、飛べなくても歩いて行けばいいし

        2023.5.29 重い身体を起こすために家を出た。イヤホンをつけて、家から数分の喫茶店まで歩く。 「風の強い日を選んで走ってきた」 「飛べなくても不安じゃない 地面は続いているんだ」 週明けの日々にピロウズの「Funny Bunny」が響く。どこにもやりようのない気持ちが歌詞の一行一行にすくいとられていくようで、1曲を延々とリピートしていた。風がない日はここにいればいいし、飛べなくても歩いて行けばいいし。 喫茶店について、昨日もらった言葉を思い出す。しょうがないことに

        • それでも残したいと思うのは

          撮り溜めた写真や短い動画がそのままの形で増えていくと溺れていくような気持ちになる。 日々のちりぢりは想像しているよりも多く、思っているよりもほんとうに些末で、カメラロールに溜まったそれらから「それでも残すのはなんのためか」と問われているような気がしてしまう。 そんな気持ちで、4月に行った小旅行の動画をつなぎ合わせて、ひとつの個人的な動画をつくった。 すでにほこりをかぶりはじめていたちりぢりたちに息を吹き込んでいくような感覚。 それらが動画のタイムラインに整列していく姿は、

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          18本

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          歩きながら頭の中で 思いをめぐらせること、 それが文章につながっていくこと

          2023.5.24 心にすとんと落ちた言葉やぐっときた言葉、わかる..っていう言葉に付箋を貼ったり本のミミを折ったりしながらいつも本を読んでいる。ミミを折るのはブックオフで中古の文庫本を買い漁っていた中学生の頃からの習性だけど、途中からは、もっぱら付箋。該当部分に明確にしるしをつけられるのでいい。 昔から持っている本のしるしが付けられている箇所をめくってみると、案外今でもグッとくる一文だったりもするし、「なんでそこ?」という一文だったりもして面白い。発売してすぐに読み始め

          歩きながら頭の中で 思いをめぐらせること、 それが文章につながっていくこと

          リアルタイムはいつだって ノーフューチャーだから

          絶対大丈夫だよ、なんてやさしい言葉をかけてもらっても、なぜかまったく信じられないたちだった。絶対なんかあるかよ!こっちは不安でしょうがないんだよ!なんて心でわめきちらしながら生きてきた。 
でも、あの頃からすこしだけ年を重ねた今は、あの頃と同じような気持ちをまだある程度抱えながらも、まあ大丈夫じゃなくてもなんとなるし、それが結果的に“絶対大丈夫”ってことなんだよなあなんて思ったりもする。 オードリーのANNで若林さんが言っていた。
 「ドラマ見てて思うけど、その先になにも

          リアルタイムはいつだって ノーフューチャーだから

          好きってだけで やれることがあるということが

          匿名でやっているシルバニアアカウントがある。大好きなシルバニアの赤ちゃんのいろんな写真を撮るのがたのしくて、いろんなところに連れて行ったり、夫がたくさんのガチャガチャのミニチュアを買い与えたりしている。 なんだかんだ長いことやっているけれど、最近はより一段とのびのびと楽しめるようになって、シルバニアの赤ちゃんもなんだかかわいさが増しているような気がする。(何を言っているかわからないと思いますが..) それ以降、リプライもしくはエアリプをもらうことがすこし増えて、それもうれ

          好きってだけで やれることがあるということが

          自然体でいられるようになった 自分のことも

          案外まわりの人の方が自分のことをわかってくれてるものだなあって思うことが多い。実際は、“案外”なんてものじゃなくて、むしろそれが当然なのだろうけれど。なにはともあれ、ありがたすぎる。 最近は、会社員時代にいっしょに仕事をさせてもらっていた方から紹介していただいた方とお仕事をさせてもらっている。まだそんなに付き合いが長いわけではないのに、「すみさんはこっちのほうがいいんじゃない」と言ってもらったことがすとんと腹落ちするのですごい。長年付き合ってきた自分のことは、知りすぎてい

          自然体でいられるようになった 自分のことも

          向いてなかったことも、なにも恥ずかしいことなんかじゃないよねって

          やめることや路線を外れることが、「消極的な決断」ではなくなったよなと最近よく思う。それもその人にとってはひとつの選択だったというだけなのだと。もちろん個人的なこころの持ちようも大きいけれど、時代の流れ的にも。
 あちこちオードリーのオリエンタルラジオの回で、あっちゃんが「本気でやってみたけど向いてなかった」と言っていた。そうやって、向いてなかったわって言えるのはまじで本気でやったからこそで、かっこいいなと思った。向いてなかったことも、なにも恥ずかしいことなんかじゃないよねっ

          向いてなかったことも、なにも恥ずかしいことなんかじゃないよねって

          できたことしかできなかったんだし、おなかのキャパだって決まっているし

          「どうなったら先越してどうなったら先を越してねえんだよ、競うなよ。ロストジェネレーション、競争の価値観でやってんなよ」 オードリーの若林さんがラジオで言った言葉を歩きながら反芻する。 上とか下とか。多いとか少ないとか。長いとか浅いとか。それがなんだっていうの? いちばん刺さってしまっているのは自分だった。 みんなそれぞれに、その時できる最大限の選択をしているだけ。 何かを選ぶということは、何かを選ばないということだし、何かになるということは、何かにならないということだ

          できたことしかできなかったんだし、おなかのキャパだって決まっているし

          ぶちのめされて、光があって、ここからまたはじまる

          --- GEZAN with Million Wish Collectiveの中野サンプラザ公演。 会場を出ても気持ちが一向におさまらず、一人で中野を彷徨った挙句にリンガーハットで生ビールを2杯飲みながら書いた日記です。 --- 目の前に広がる光景を前にずっと言葉を探していて、光が言葉になって、やっと形になった言葉をこわしたくなる。 東京、現在、怒り、言葉、音楽、記憶、祈り。ぶちのめされて、光があって、熱があって、振り落とされる、振り落とされる、と手を後ろで組んで、左手首

          ぶちのめされて、光があって、ここからまたはじまる

          ひよっこであるということは、何かをはじめたということ

          昔のツイートを遡ってみると、大抵仕事に対する熱量が高すぎるがゆえに「しゃらくせぇ!うるせぇ!」なんてギャンギャンだったり、強がったかと思えば「ポヮ~」とだけ呟いて力を抜いていたりして良かった。毎日いろんなことを考えたり、いつかの自分の姿を思い出したり、それをかき消すように夢中になって文章を書いたりしている。 「何かをするのに 手遅れなんてないのかもね」 好きな作品の新刊はいつもパワーをくれるし、取り繕わないみんなのことが、友達のように感じられる。いまもどこかで誰かが何かを

          ひよっこであるということは、何かをはじめたということ

          恥ずかしいことが多い生涯だけど

          正直なところ、ずっとSNSのプロフィール文に困っている。独立をきっかけに、まずは「ライターです」なんて書いてみているけれど、急に堅苦しくて正直恥ずかしい。いつしかなんとなく使わなくなったアカウントをのぞくとずっとひとりごとをつぶやいていてそれはそれでよかった。言いたいことがあるわけではないから、結局は全部日記でしかないんだけど。 とにかく何をするにも恥ずかしく、たぶん人よりもかなり知り合いは少ないし、いろんなことを考えてしまう。太宰が言う“恥の多い生涯”とは意味が違うかも

          恥ずかしいことが多い生涯だけど

          ちょうどいいベンチでしかうまれない言葉がある

          髪を切ってもらった。頭が軽くなったような気がして、我ながら単純だなと思う。考え込むと、ろくな考えには至らない。美容師さんとはもう6年くらいの付き合いになる。 ぬるっと入店したものだから、「猫みたいに入ってきたね」と言われる。いつもはどこかのお店に入るのにも緊張してしまうので、そんなふうに入れる貴重な場所だなと思ってうれしくなる。再婚したという話を一番に聞かせてくれた。「お互いいろいろありましたね」と言葉を尽くさなくても気持ちを通わせられるのがまたうれしい。ぼちぼちやっていき

          ちょうどいいベンチでしかうまれない言葉がある

          やってるだけで、御の字よ

          気を抜くといつも頭も心も忙しなく、気を抜いているはずなのに変なの! なんて。あれやこれやを考えているうちに、関連するほかのことまで気になってきてしまう。真面目なのか、ただの不器用なのか。無駄に気張ったり、無駄に自分でハードルを高〜くしてしまったりは昔からの癖だけど、そんなふうにむやみやたらに心を急かすのはよくない。 そんなときに最近よく胸の中でとなえるのが、「やってるだけで、御の字よ」。日課でつけている紙の日記でふっとこぼれた言葉だけど、少し力が抜けるような気がしてわたしに

          やってるだけで、御の字よ

          「ちゃんと」をちゃんとやっていく

          何かを辞めたときにもらう言葉は、何よりも励みになる。 ちゃんとやっていたんだなとか、いい仕事していたよなとか、たいへんなことも多かったけれど、奮闘していたなとか。 前職で一緒に仕事をしていた人たちから、温度のあるメールが届く。“とてもよいと思います” “仕事仲間が元気になるのがただただうれしいです” “みんな、とても明るく輝いていたと驚いていましたよ” “またぜひ一緒に試行錯誤させてください”。これまで自分に自信がなくて、あんまり「仕事仲間」という感覚はなかったけれど、あら

          「ちゃんと」をちゃんとやっていく