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休学を振り返る

どうも、こんにちは、Simamuuです

健康診断のために大学に来ています。新学期がスタートです。

4月の3日間で休学を振り返るnoteを書こうと思っていたのに忙しすぎて全くその時間がなかったので今日健康診断の受付が始まるまでに書いてしまおうと思います。

最初に言っておくけどできることなら休学は勧めません。ただししなければいけない理由がある場合に限り積極的に取得することを勧めます。これから書くことは独断と偏見に基づくものであり、自分の経験は体調にも左右されるものなので参考にしても構いませんが当てにしないでください。「自分の場合は」っていう話です。

4月

3月中旬に占いで霊がついていると言われそれを祓ってもらったこと、薬がひとつ増えたこと、家族からの「お前はただの怠け者だ、家から出ていけ」という圧力によって所沢に当時借りたままだったアパートに避難。3泊4日して髪を切り、健康診断に行った時に完全に学校に通うことが困難であると判断。親に帰宅後即時休学届を突き出し、休学を決意。親は渋々了承。やることがないとただのニートなので簿記3級とTOEICを受けることを決意。勉強と運動を開始。このアカウントにて同時にnoteを再開する。

5月

勉強と運動を多少体調が崩れながらも維持。10日誕生日を迎え、想像よりおめでとうの連絡が来たため驚きながらも生きてていいという実感を得る。体調を崩し気味だったが、末にTOEICを受験。ノー勉のくせに630点を取り(低い)目標を難なくクリアする。その日の呪術廻戦最終上映を見に行く。記憶は特にない。

6月

簿記の3級を受験。勉強をしすぎてしまったらしく。100点満点中97点で合格する。勉強はやはり得意なようである。とりあえず現時点では何の役にも立っておらず、使わないために記憶はほとんど喪失してしまっているため特に受験した意味はなかった。勉強習慣と結果を求めて承認欲求を満たしただけだった。意味はないとは言わないが、結果的には特に意味をまだ持っていない。絶対使える時は来るはずだと思っている。簿記を受験するという一大イベントが終わってしまったために生きる意味を失う。散歩に運動がランクダウンするがなぜ歩いているのかよくわからなくなり家から出なくなる。

7月

引きこもろうとして引きこもっていたわけではないがやることを完全に失ってしまったために結果的には引きこもることになる。自分的には中旬の検査入院の繋ぎのためにダラダラしていただけだと思う。鬱とかそういう感じでもないけど活力がなく理性で死んだ方がいいと思っていた。昔の自分を完全に否定していたのでどこにどう収まればいいのかわからず実は四苦八苦していた。

2週間に及ぶ順天堂医院気分障害センターにて壮大な検査の結果、「あなたはただの引きこもりです」と言われ、ありがとうと人に初めて言わずに東京を去る。あの入院は何の意味もなく、結果的には道を見失うことになるだけだったと今では思うので入院を勧めてきた母親を恨んでいる。

8月

特にやることもなく逆に途方にくれる。ジョジョの奇妙な冒険のアニメが進まなすぎて驚く。多分あれは面白くないのだと思う。笑散歩はちょくちょくしていたけど夏の躁状態を恐れ行動を制限しすぎてしまう。そのため引きこもりのような状態が続く。休学延長を何も考えずに決め、一人暮らしの家を引き払うことになる。9月の頭にかけて撤収作業を行い、実家の自室がパンパンになる。ベッドが追加されたためにQOLが爆あがりしてしまい、睡眠の質が上昇する。8月はそれ以外記憶がない。

9月

前半はよくわからないし、たいして記憶がないので8月と同じペースで生きていたのだと思う。ただ中旬を過ぎたあたりから「あれ、やばくね?」という危機感にも近い何かよくわからない衝動に駆られる。末に古巣のチームに顔を出すことを決意。28日、チームの活動に初めて参加する。両足が攣るも、サッカーの楽しさに目を覚まし、これをしている限り死ぬことはないし生きてていいと確信。半年間は少なくともチームの活動に参加することを決意。4年ぶりのサッカーでサッカーは自分に与えられたほとんど全てであり、血肉が湧き躍る大きな存在であることに気づく。

10月

小中学生に舐められつつもチームの活動に継続して参加。体調は下がらず、安定の一途を辿る。結局サッカー以外に何もしていないということに今になって気づいたが今となってはそれでしょうがないと思う。運動量がとても増えた時期でもある。体が動かないのはストレスではあった。他のことは特に何もしていないため何とも言えない。10月はとりあえずお試し期間で試し試される時期であったと思う。

11月•12月

監督がコロナにかかり監督としてベンチに座る。なんだかんだで勝利。ポジション変更の感覚が実は良いのではないかと監督と一致したため勘違いする。中旬、中3のフットサルの関東大会にいけると思ったらスケジューリングミスで小学生とともに昭和村に連れて行かれ朝から晩まで拘束され流石に疲れて死にそうになる。ただイライラはそこまでしなかった。noteで見つけた橋本なずなという女性に連絡を取る。要するに仕事が欲しかったのに加えて、なんか新しいことを始めたいという衝動を抑えきれなかった。結果的に12月に仕事ではなくボランティアとしてInstagramの投稿を手伝うことになる。11月末完全に体調を崩す。体が動かなくなるも中3の最後の試合ということで意地で復帰。12月最初の土日で試合だった。土曜の風呂場で指先が震え始め、夜ベッドに入ると身体が全く動かなくなり母親を2階の自室に呼んでしまう。初戦は負けるも最終戦で延長戦の末劇的な勝利を収め心が久しぶりに震えたために泣きそうになる。泣きそうになるも言葉に詰まりながら何かを話した記憶だけ残っている。久しぶりに集合写真というものに写り感動する。(あの写真もらえないのかな)

中2の新人戦が始まる。副審をすることが多かったけど全敗しメンタルが軽くやられる。人に何かをやらせるというのはこんなに厳しいものなのかと実感する。これについては何も書きたくはないので割愛させていただく。

年末年始

合宿に来ないか?と誘われるも宿泊という行為に恐怖心を覚え断る。代わりにかねてから考えていたJFA公認C級コーチライセンスを取得することを決意。これがとてもいい判断だった。同年代とサッカーを久しぶりにすることになり、昔からの知り合いにも会い、上手い人たちに囲まれることで上をまだ見られることに気づく。良かったのは女子選手との交流が持てたこと。女子と話すの久々すぎてドキドキしていた。色んな意味で。(変な意味でも)結果的にはあっちからよって来られたりしたので良かった。仲良く?なれた?気がする。Instagramを交換するくだりがちゃんとできて良かった。8日間サッカーをガチでする。それなりに動いて体はボロボロだったが無事生還。

年始は旧友たちに再開する。4年ぶりに初日の出に参戦したり、小中の友達と飲んでカラオケしたり、4年ぶりにはっちゃける。カラオケは一番最初にでかい声で思いっきり歌うのが基本それができないやつは社会的に死んでいる。という勘違い。

1月

ブラッシュアップライフが始まる。最高だった。カナダから帰宅した友達の前で薬の副作用を披露してしまう。スタバで動けなくなりかけるという愚行に走る。危なかった。疲れている割には何とか乗り切る。

2月

卒論発表に飛び入り参戦する。久しぶりにゼミの人たちとオンラインだが顔を合わせて疲れる。練習はその日は休んだ。リーグ戦が開幕したりしてので、それなりに頑張ってはいたが末には普通に体調を崩し動けなくなる。思考ができなくなり、身体が重たかったので1週間近くサボる。この時期に復学を決意。体調的にもいけると思った。多分普通にいけると今でも思っている。久々に運転をする。伊香保にも行った。練習休んでたくせに。

練習に親友が来たのでなんか謎の発作的な嫉妬を起こしヤケ酒をする。普通を極めているだけの人間はなんだかんだすごいけど別になりたいわけじゃない。

3月

諸々片付けて落ち着いたので練習に復帰する。1人でカラオケに行く。半年に一回行かなないと死んでしまうのだと思う。学校に行く用事が多く何回か行ったりした。友達と池袋でご飯を食べたり、東京駅に1人で行ったりそれなりに動けるようになり、電車にも慣れる。

卒団式で親の前に出ることが嫌すぎたので現実逃避、休学お疲れ様でした旅と題して祖母のいる金沢を訪ねる。ほぼ毎日酒を飲み、果てしなく歩く観光の果てに疲れ果てる。いまだにあの旅は何だったのかよくわからない。楽しいのかすらよくわからなかった。とりあえず人の金で食べる鰻と寿司は美味かった。

花粉症にやられる。今もやばい。発熱したし鼻血が今は止まらん。

いくつか勉強会に参加して授業に向けて体と頭をならした。この判断は合ってると思う。

春休みに入り怒涛の日々を過ごしていたがとりあえず耐えた。体調が崩れなかったし早起きにも耐えた。途中から頭が回らなくなった。笑



こんな感じで1年でした。結局サッカーしてるのが楽しいということですね。なんかそれに救われたんだよということを言いたい。本日は健康診断。どのような結果になるのか楽しみです。

2回目になるけど休学は別に勧めてないです。特に病気で休学する場合、大抵の人は焦るらしいし復学に不安を感じてしまうので大変です。私の場合も1年間遊んでたわけでもないし、ずっと楽しかったわけでもないししないで済むならしたくはなかったかなあ。ただ休学したから見えてくる景色もあるし居場所もあるのでそれはそれで良かったのではないかと思っています。てかそう思わないと生きていけない気すらしています。うん、とりあえず死ぬのはダメらしいから死んだようにでもいいから生きようや。それでいいんじゃないか?無理なものは無理だけど結局そういうことじゃない?死ななかったらいいんでしょ?いいよ、死なねーよ。その代わりどうなっても知らないからな。誰か責任取れよ。とも言えないのでうまく生きます。うまくというのが大事。

多分過去1で長いけど読んでくれた人ありがとうございます。4000字って自分がこれまでに作ってきた文章の中で一番長いって。笑

明日からまた試合の帯同です。少しずつ責任を取らなきゃいけない部分も出てきた気がしているのでそれなりに頑張ります。

それでは。

またね。

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