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主治医との最後の診察

どうも、こんにちは、Simamuuです

最近noteをかけていなくて何だか自分の一部が欠落しているかのようです。みんながキラキラと大学生を卒業して社会人になっていく様を特に何か特別な感情を持たずにInstagramで見ています。嫉妬もしないし比較することも特にないので精神状態に響かないので楽です。もはや「休学したとかスペシャルじゃん、かっこよ」とかまで思っているかもしれません。嘘です。それなりに苦しんだし、人様にも迷惑かけたのでそこまで思ってません。ただ思いかけています。「お前らの大学生活はそこまでだったかもしれないけどさらにその先まで大学生活をやるんだぞ。可能性は無限大なんだぞ」と。

本日をもちまして2年間診察をしていただいた主治医との何ていうの?診察?が終わります。4月からはまた別の主治医に変わって治療を続けていくことになります。この主治医に関しては最初のうつ病になった時の医者ではなくて双極性障害に診断名が変わったときに入院した病棟の先生だったので先生を変わっていただいたという経緯があり受診していました。

主治医とは歳も近く、主治医が慶応卒で自分が早稲田という何だか変な関係性でしたがそれなりに若者の価値観をわかってくれる先生でした。最初は正直若すぎて平気か、この人?って思っていたけど大丈夫でした。

2回目の入院を打診された時は躁状態で頭が逝っていたので快く受け入れましたが、結局あの入院で病識もついたし後々諦めもついたので結論というか結果的には入院という選択を提示されたのは良かったのだと思います。

問題は2回目の入院の時、1回目もそうでしたが先生からの休学の勧めを退院の時に親が無かったことにしてしまったことです。あの時休学していればここまでダウンすることはなかったのではと思っています。問題は2つ目もあって今回の休学は別に医師の勧めがあったわけではなく実は大学に通うことを勧められていたことです。ふたつの問題は両方反対される方を選択したわけですが、前者は間違いで後者は合っていたような気がしています。どちらも難しい選択でしたが1回目の時に言う通りに休学していれば今年度休学することはなくなっていたかと思います。ただ、今休学していないとサッカーのチームに顔を出すこともなかったかもしれないし、色々なことを考えるようになっていなかったかもしれません。

何が言いたいかというとあの時ああすればよかったとか、こうすればよかったと言うのは本当にマジでなくて今ある結果のみが事実だということです。簡単に言うと後悔はないということです。それ故にみんなが卒業するのを見ていいなとも思わないし、友達に囲まれているのを見て羨ましいとも思わないです。

私の大学生活はまだまだ続いていくし、この先のことも選択肢は狭まったとはいえ安定した状態で決めることができるのである意味ではありがたみがあります。先のことに対して不安を感じることが病気になってからとても増えたけど心配事の大半は起こらないと言うことを学んできているのでそれなりに体を酷使してもいけるのではないかと思っています。これから友人ができるかもしれないし、交友関係が広がっていくかもしれません。それならそれでいいし、そうならないならそうならないなりにどうにかなると思っています。

人生で最低の時期を今挙げるとすると、鬱が酷くて布団から出られなかった去年の今頃と躁がヒートアップして保護室にいれられたり意味わからないことをしていた時期があげられます。それを知っていると何だか大概の体調不良は加療と休養によってよくなることがわかっているし下手したら入院してまですると落ち着くことを知っています。体調が悪くなるサインもわかるようになってきました。

人生で最低な時期を乗り越えたからこそ大概のことは何とかなるのではないかと思っています。このメンタリティが最近結構強くて、ある程度のところまで行けばそれなりの形にまとまると言うのが最近の強いマインドです。それが良いとか悪い結果であると言うことではなくてある程度の形になって返ってくるし落ち着くと言うことです。

今の主治医は最低の時期を知っている人間の1人でした。もちろん感謝の意もありますが、入院させられたりしたのはかなり応えたので嫌な思いもしています。あの時期も最低だったかもしれません。それなので、結局紆余曲折してある程度の「今」を人生は生み出してくれるのが分かった気がします。頑張った結果とかではなくてそれは時間の経過が与えてくれるものなんじゃないかと思います。

主治医に最後に言われたことは

・体調が悪くなるのを感じ取れるようになった
・体調が悪くなることを考えても仕方がないからなったらなったで加療する

という2つのことです。あとは一人暮らしをした方がいい的なことも何だか言われたような気がする。結局、安定してきているからこのままでいいよ。ということです。

4月からはそれなりに頑張ることを求められる気がしていますが、今もそれなりに動いているので大丈夫だろうというのが見立てです。頑張るベクトルが変わるだけ。夕方から夜遅くまでサッカーを教えていたのが早起きするのに変わるだけ。長時間サッカーしていた時間が長時間電車で移動するのに変わるだけ。なんかそういう置き換えが大事。ただし種類が違う。まあ、それはわかってるけどエネルギーを割くのが変わるだけ。

だと思って4月からは生きていきます。

主治医に対して思うところが書いててそんなになかったのが驚きだけど自分のことで手一杯ってことですね。

そして明日の夜から一人暮らしです。私以外の家族は祖母のいる金沢へといきます。生きていけるのでしょうか?笑マジで久しぶりの一人暮らしですね。多分noteを書く余裕もないのでここにそれを書いておきますね。

たくさん書いたけど思うところはそんなところです。病気になったおかげでメンタル強くなったんじゃないかと錯覚しています。気にしいで気の小さい性格は変わらないけどね。ここ最近の悩みはないわけではないので悩みというか事実なんですけど今度書きます。

たくさん書いた。これこそまさにデトックス。

それでは。

またね。

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