図書館にまつわる思い出

図書館に関する記憶を掘り返してみる。
幼小中高大と分けて書いたら、びっくりするほど長くなった。

【幼少期】

図書館に関する、私のもっとも古い記憶は、地元の図書館の紙芝居コーナーな気がする。淡いピンク色のカーペットが敷かれていた。この図書館は入退室時に「エリーゼのために」が流れるので、今でもそのメロディを聴くと図書館を思い出す。

もしくは、幼稚園の図書コーナーかもしれない。私の幼稚園は、読みかせに熱心で、絵本や紙芝居がたくさんあった。それを月に何度か借りることができたので、一生懸命選んだ記憶がある。

幼稚園は教会系だったので、本の貸し出し日には、礼拝堂の長椅子にずらりと絵本が並べられた。幼稚園児の体には大きなどっしりとした長椅子の間を縫って歩いて、本を選ぶ、どきどき感。私の図書館に対する原風景は、ここにあるのかもしれない。

スーパーで「1つだけお菓子買ってあげる」と言われることと、図書館で「3冊まで借りられるから好きなの選んできな」と言われることは、どちらも同じくらい嬉しくてワクワクすることだった。

【小学校時代】

小学校の図書室は、2階にあって、やたらと床がつるつる滑る部屋だった。本を読んだ記憶より、滑って遊んだ記憶のほうが強い。私は図書委員を数年やっていたはず。

まわりに本好きがとても多かったので、人生で一番、友達と本について語り合った時期。『指輪物語』を小説で読破してる子がクラスに10人弱いたので、かなり読書熱の高い環境だったと思う。恵まれていた。

学校で借りたのは、ダレン・シャンとか、わかったさんシリーズ、ズッコケ三人組とか、かなあ。北欧が舞台の劇中劇を描いたハードカバーの本を読んだのだけど(タイトルが思い出せない)、劇中劇という構成に初めて出会ってものすごく衝撃を受けた(最初、読み方がわからなかった)ことは今でも覚えている。白夜という世界があることも衝撃だった。

それから、親と月に一度くらいは、地元の図書館に通っていたように思う。住んでいる市の図書館より、隣の市のほうが蔵書が充実していて、そちらに足を伸ばしていた。図書館は読書スペースの快適さも重要だなと学んだ。

【中学時代】

中学の図書室は1階の職員室の隣だった。私はまた図書委員をやった。人生で一番本を読んだ時期だと思う。中学の図書室は、私にラノベを教えてくれた。本当にありがとう。『キノの旅』との出会いは、私の人生に大きな影響を与えたでしょう。

中学校だったか、小学校だったか、曖昧なんだけれど、私は明確に““本に呼ばれた””ことがある。これはオカルト話ではないが、鮮烈かつ特別な私の思い出。誰がなんと言おうと、これは実体験である。

夏休み直前。快晴の午後だった。その時間、図書室にはほとんど人はいなかった。背の高い本棚の一番下の段、右から5冊目くらいのところに挟まっていた本に、私は呼ばれた。吸い寄せられるように手にとった本のタイトルは『魔法使いが落ちてきた夏』。

現実と同じ青空の表紙で、私はその本の中から、魔法使いに呼ばれたんだと確信した! その本は納入されたのは何年も前なのに、まだ誰一人として借りておらず、まるで新品だった(図書カードの時代なので、納入日も、誰がいつ借りたかもすぐわかる)。これも運命だなと思った。震えた! 私が呼びかけに応えなきゃって! しかも、驚くべきことに、物語も実際に、少女が夏休みに(ポストカードの中から)魔女に呼びかけられて、ともに冒険をする話だった(うろ覚え)。何もかもがシンクロして、こんなことってあるんだ! と大歓喜した。

話はけっこうハードで、目の前で石版に魔女が飲み込まれて血を流していく様を、何もできずに呆然と見ているシーンなどがあった気がする。とにかく、この物語とひと夏を過ごした私は、本当にファンタジー世界に生きることができて、幸せだった。でも、誰に言っても信じてもらえないだろうから、多くのファンタジー小説の主人公がそうするように、私が魔女に呼ばれたことは、みんなには秘密にした。

この体験があるので、私はいまでも、図書館では耳を澄ましてしまう。

『魔法使いが落ちてきた夏』
https://bookmeter.com/books/502804

【高校時代】

高校の図書室は別館の最上階にあり、ほとんど人気(ひとけ)のない場所だった。私はお決まりの図書委員をやった。ユーザーはもっぱら図書委員ばかりだったので、半私物化して、自分たちの読みたい本を経費で買うなどしていた。図書室にいるのがほぼ同じメンバーなので、席すら決まっていた。

人気がない割に無駄に広くて背の高い本棚が多かったので、カップルが本棚の裏でよくキスをしていた。図書委員は見てないふりして見てるぞ。でも、卒業後に友達から、図書室でセックスしてたと明かされたときは、目をひん剥いた。まじかよ!!

母校は創立が古く、教師も卒業生が多かった。友達の親兄弟が卒業生なのも珍しくなかった。だから、図書カードに、学生時代の教師や、友達の親兄弟の名前を見つけることもしばしばあった。それは地味にテンションの上がる出来事である。谷崎が好きと言っていた教師が、たしかに高校時代1年2組の一生徒として谷崎を借りていた。その本を私が借りる。耳すばのような恋とは関係なしに、その人のルーツを知れる(しかも勝手に!)というやや変態的な愉しみが図書カードにはある。図書カード文化の衰退はまことに残念である(図書委員としてはIT化大賛成だけども)。

図書館の話なのに、本にまつわる記憶自体は少ない。高校時代は、自分が読みたい本は自分の小遣いで買うようになったので、借りる頻度は下がったように思う。

【大学時代】

大学の図書館は大好きだった。こんなに大きくてきれいで蔵書が豊富な図書館に入り浸れるなんて、大学って最高だなと思った。その割に、昼寝にばかり使っていて、たいして本は読まなかったけれど。あんなに手軽に専門書を読める機会なんて卒業したらそうそうないので、もっと読んでおくべきだったと思う。

キャンパス内には図書館がいくつもあった。私は一番古い図書館が特に好き。ここはとにかく雰囲気がよかった。ヨーロッパの大学の図書館みたい。分厚い木の机の上で、年季の入った本を広げていると、それだけでファンタジー世界の住民になれた気がした(私は、大学生どころか、今でもファンタジー世界の住民に夢見ている)。

大学では図書委員ならぬ、図書館バイトをした。これは、地下書庫でひたすらカビ臭い本を掃除する仕事である。

地下書庫!!! なんて魅力的な響きなんだ!!!

この仕事は、孤独と本が好きで、カビやホコリにまみれてもかまわない人には、おすすめしたい。大学の地下何メートルかにつくられた巨大な閉架書庫に、たった1人で、雑巾と脚立を携えて、もくもくと作業をする。何一つ音は聞こえない。

でも、その本が! また! 貴重なのだ! 大学だから、昭和初期どころか大正ぐらいまでの本はわんさかある。もっと古い本はさすかにバイトが掃除できるところにはなかったんだと思うけど。見るからに貴重そうな本を手に取れるだけで、心臓が早鐘を打つ。魔導書ってきっとこんな感じ。

本には、1冊ずつ異なる佇まいがある。威厳があったり、恐縮していたり、ヘラヘラしていたり。書庫に整然と並ぶ本たちからヒソヒソ話が聞こえるような気分になる。そういう本自体と触れ合うことが好きな人にはうってつけの仕事だ。

【番外編:国会図書館】

国会図書館には社会人になってから初めて行った。その感動たるや! ここが彼の地……!! ここには日本の叡智が集まっていると言っても過言ではない。その事実に興奮する。

国会図書館の入館証を見ると、ニヤっとしてしまう。仕事の用事ではなく、プライベートでも行ってみたい。有名な最上階の食堂も行ってみたけれど、そこはまあ、可もなく不可もなくという感じだった(笑)

余談だが、大学の図書館が充実していたので、論文を書くにも国会図書館に行かずとも済んだとわかり、大学にますます感謝した。

図書館について、自分の予想以上にたくさんの思い出があって、驚いた。記憶の引き出しをときどき開けて、宝物を取り出してみるのは、大事なことかもしれない。

最近はめっきり図書館に行かなくなってしまった。コロナが落ち着いたら、お気に入りの図書館を見つけて通いたい。

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