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ノエル・ギャラガー ソロ10周年に寄せて ~前編 ”ノエル・ギャラガー” はOASISで何を果たし、今ソロを歩むのか? 音楽ライター:妹沢奈美さんが考察

ノエル・ギャラガーが、ソロ・プロジェクト<ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ>を始動させてから、今年2021年で10周年を迎えました。

”ハイ・フライング・バーズが10周年!?まじかよ!・・・その間に他にどれだけのことができたことか!!(NG)”

6月には、これまでのソロ・キャリアを網羅し、未発表音源もこぞって収録されたベスト盤アルバム『バック・ザ・ウェイ・ウィー・ケイム:Vol 1(2011-2021)』を発表し、全英チャート1位を記録。

これによりノエルは、オアシスとしてリリースしている7枚、そしてハイ・フライング・バーズとしてリリースしている3枚、更にはオアシス解散後に発売されたベスト盤アルバム『タイム・フライズ…1994-2009』も含めると累計12作のアルバムで全英アルバム・チャート1位を記録するという、歴史的快挙を成し遂げました。

ツイート訳文:12作目のNo.1だ。おまえらがオレをここまで連れてきてくれたんだ。おれと一緒にこの素晴らしい音楽の軌跡を歩んでくれてありがとう。大きな愛を。NG

30年以上にもわたり、英国ロック・シーンの頂点に君臨し続けるノエルのソロ・キャリアというのは、どのようなものだったのでしょうか。

10月12日に、日本でソロ・デビュー・アルバム『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』をリリースしてから10周年を迎えたノエルの魅力を、前編は彼のソロ・キャリアを振り返る内容、後編はノエルと直接かかわってきた歴代レコード会社スタッフによる座談会という形式で、振り返っていきます。

”オアシスの”ノエル・ギャラガーから、”ひとりの” ノエル・ギャラガーへ。
〈外からみた〉ノエル、〈内からみた〉ノエル、それぞれの視点から得られる「ノエル像」
、是非体験してください!

今回、まずは前編から。オアシス時代から幾度にもわたりノエルを取材している、ライターの妹沢奈美氏に、ノエルのソロ・キャリアについての解説記事を執筆頂きました。

妹沢奈美:
音楽ジャーナリスト。英国留学中にレイヴ〜ブリット・ポップを体験し、その後90年代後半より国内外のアーティストの取材を続ける。オアシス には2000年の対面取材を皮切りにインタビューを重ね、バンド解散後もノエルおよびリアム・ギャラガーに取材をしてきた。共編書に「ブリティッシュ・オルタナティヴ・ロック特選ガイド」(音楽出版社)。外資系音楽ストリーミング会社に勤務する現役サラリーマンとしての顔も持つ。
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2021年、ノエル・ギャラガーがソロ10周年を迎えた。正確には、10年17日でソロ・デビュー作『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』のリリースからちょうど10周年となる(日本盤のリリースは10月12日)。

アニバーサリー・イヤーらしく、初のソロ・ベスト・アルバム『バック・ザ・ウェイ・ウィー・ケイム:Vol 1(2011-2021)』がリリースされており、彼の歩みをじっくり聴いている人もきっと多いと思う。

また、今年はノエルがオアシスに加入してちょうど30周年にあたる。ボーンヘッドを中心に、弟リアム・ギャラガーらで構成されていたオアシスの、最後のピースとしてノエルが加入したのが1991年のことだった。

他にも、オアシスにとって今年はいくつものアニバーサリーが重なっている。フジロックへの初出演から20周年、そしてお馴染みの名曲”ドント・ルック・バック・イン・アンガー”のシングル・リリースから25周年。また、当時の英国の野外公演の参加記録人数を更新したネブワース・ライヴからも、ちょうど25周年だ。

去る9月23日に全世界同時公開されたドキュメンタリー映画『オアシス:ネブワース1996』の歴史的な意義や詳細な作品の見どころに関しては、11月にリリースされる同作品のサウンドトラックのライナーノーツに詳しく書かせてもらったので、ぜひ手にとってみて欲しい。

何度でも繰り返し触れておきたいのが、25年目にしてついに公式ライヴ音源などが蔵出しされたあの『オアシス:ネブワース1996』は、オアシスとずっと一緒に歩んできたファンにとっては、あたかも自分の人生をも再確認できるような素晴らしい内容だということ。そして、様々なインタビューや記事などでも語られている通り、ネブワース・ライヴはノエル自身にとって最も重要で思い出深い、彼のオアシス人生のハイライトの一つだったということだ。

2016年、初のベスト盤『ストップ・ザ・クロックス』リリース時に日本でノエルに取材した際、「もしタイムマシンがあったらいつの時代に行って、自分にどう声をかけたい?」と質問したことがある。

こちら側の勝手な想像としては、オアシス加入前に曲を一人で書き溜めていた時とか、ボーンヘッドやギグジーというオリジナル・メンバーが脱退した時とか、何かレコーディングにまつわる時とか、そういった話が出てくるのではと思っていた。

しかし、ノエルの答えは

ネブワースが終わった直後の、自分だな。『お前、ちょっと休め』と言いたい

結局のところ2009年のオアシス解散まで走り続けたノエルにとって、一つのハイライトであり、区切りとしての達成感がネブワース・ライヴにはあったのだろう。

今年で54歳のノエル。これまであまり彼の年齢を気にしたことはなかったが、12年前の2009年8月28日にオアシスの公式サイトで脱退を表明した時は、まだ42歳の若さだったのかと驚く(そして、あれは42歳と36歳の兄弟ゲンカだったんだなあ、と思うと感慨深い)。

そこから2年を経て2011年7月7日に記者会見し、<ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ>名義での初のリリースをアナウンス。
そして、2枚のシングル(8月21日に「ザ・デス・オブ・ユー・アンド・ミー」、9月11日に「AKA... ホワット・ア・ライフ!」)をリリースした後で10月のデビュー作のリリースに至るわけだから、ノエルのソロ・デビュー自体は44歳の時のことになる。

自分のような普通の人生だったら、例えば40代になること、仕事で大きな達成感を得ること、後輩や後続が生まれることなどが成熟世代の分析のヒントになるかもしれないが、ノエルの場合はそういう枠に当てはめるのはちょっと違うし、そもそも彼の心理自体が想像すらつかない。なので、分かったようなことをここで書くのは違うかなあと思っている。

ただ、ソロ・デビューから10年が経ったこの地点から振り返ってみると、ノエルが「オアシスではできなかったけれど、やってみたこと/やってみたかったこと」が、それこそ彼が作ってきたものや彼が歩んできた道から、おのずと浮かび上がってくる。

まさしくその、ノエルの歩んだ後にできた道を見つめるのが、デビュー10周年を振り返る最も誠実なアプローチのような気がする。顕微鏡片手に、ちょっと見つめてみよう。

すると、大きく分けて3つの流れが見えてくる。

1. バンドではできなかった音楽
2. ゲスト参加など交友関係の広がり
3. 自分が主役

「バンドではできなかった音楽」は、さらに「サウンド」「歌声」の二方向に分けられる。まず、「サウンド」の方から見てみよう。

わかりやすいところで言えば、ダンス・ミュージックへの接近/挑戦がまず挙げられる。これは、そもそも2011年7月7日に行われた脱退後初の記者会見で発表されたのが、デビュー作のリリースだけでなく、アモルファス・アンドロジナスとのコラボ作品を2ndアルバムにする、ということだった事実からもわかる。

ザ・フューチャー・サウンド・オブ・ロンドンのゲイリー・コバーンとブライアン・ドーガンズによるこのユニットと共に作り始めていた作品について、ノエルは2015年のインタビューでお蔵入りにしたと明らかにした。
(そして念のために書き添えておくと、マスター音源は破棄されてはおらず、保存されているとのこと。個人的には、いつかどこかのタイミングでお蔵出しされればいいな、と願っている)

とは言え、ダンス寄りの作品を作り始めていたこと自体にやはり驚く。

元々ノエルはオアシスでの活動当初から、サイケデリック・ミュージックの影響を強く受けた曲は作っていた(例:「コロンビア」など)。

しかしオアシス後期に至っても、あからさまにダンス・ビートを採用することはなかった。

あの頃にノエルが携わったダンス曲と言えばケミカル・ブラザーズとの”セッティング・サン”(1996年)だろうが、このビッグ・ビートの代表曲でノエルが担当したのは歌詞とメロディー・ラインで、ビート自体はケミカルズの手によるもの。

とは言え、同郷マンチェスターでハシエンダの記憶を共有するケミカルズとのこのコラボレーション曲は、ダンス・ビートが若い頃からノエルの体に染みついていることをいつも思い出させる。

余談だが、2015年3月2日にリリースされた2ndソロアルバム『チェイシング・イエスタデイ』(日本盤は2月25日)に収録された”ロック・オール・ザ・ドアーズ”は、元々1992年ごろから存在していた古い曲だが、未完成だったこの曲のヴァースや歌詞が流用されたのが、他ならぬ”セッティング・サン”だった。

2019年から2020年にかけての3枚のEPシリーズ(2019年6月の『ブラック・スター・ダンシング』、2019年9月の『ディス・イズ・ザ・プレイス』、そして2020年3月の『ブルームーン・ライジング』)で、思う存分にダンスのビートや手法を曲に映していたノエル。

2019年5月の来日公演では、先行リリースされていた”ブラック・スター・ダンシング”をステージで披露していたが、ダンス・サウンドをバンド形態でライヴ演奏することが、彼にとってとても当たり前のことのように馴染んで響いてきていた。

なるほど、そもそも彼はソロ2ndシングル”AKA... ホワット・ア・ライフ!”の時点で、既にオアシス時代とは異なるスタイルのビート感を持つ曲を発表していた。

そして、2017年11月24日にリリースした3rdアルバム『フー・ビルト・ザ・ムーン?』(日本盤は11月22日)をプロデュースしたのは、デヴィッド・ホルムズ。サウンドトラック制作の大プロデューサーとして知られる前、そもそも彼はアシッド・ハウスやトランスからトリップホップまで幅広い視座を持つD J /リミキサーとして活躍していた。なるほど、デヴィッド・ホルムズは、オアシスのプロデューサーにはちょっと似合わない。ノエルが「バンドではできなかった音楽」を、サウンド面で象徴する人選だろう。

また、「バンドではできなかった音楽」を歌声の面から考えると、ソロになってからのノエルの曲作りのアプローチは、よりシンガー・ソングライターのそれに向かっていると言えそうだ。

映画『オアシス:ネブワース1996』にもそれを感じさせるノエルの発言があったが、ノエルはリアムの歌声への評価は非常に高い。

そこにはもう、兄弟という色眼鏡が全く作用しない、厳然とした正しい評価がある(そして、ノエルの「リアムの歌」への高評価と、リアムの「ノエルの曲作り」への高評価が共にオアシスのデビュー以降どれだけケンカをしてもずっと変わらなかったことを思うと、あの兄弟がそもそも2人とも才能のあるミュージシャンだったという当たり前のことを思い出す。才能は才能を認めるのだ)。

歌い手のリアムがいない中で音楽を続けていく、という選択肢をノエルが最初に考えたのは、果たしていつだったのだろう。25年前の『オアシス:ネブワース1996』のノエルの歌声を聴いていると、ソロになってからノエルの歌がますます上手くなっていることにも気づく。ぜひ、聴き比べてみるといい。

さて、次に「ゲスト参加など交友関係の広がり」を見てみよう。

ポール・ウェラーや前述のケミカル・ブラザーズをはじめ、ノエルはオアシス初期から仲のいいミュージシャンの作品にゲスト参加したり、また彼らがオアシス作品に参加したりしている。その「仲のいい」の流れはソロになっても続いているが、今回特筆したいのは、ソロになってからの特徴として「むしろ仲が悪かった」と言える顔ぶれの作品に、さらっと参加していることだ。

何しろ、2015年にはコールドプレイの『ア・ヘッド・フル・オブ・ドリームズ』に収録されている”アップ&アップ”にギターで参加。

そして2017年には、ゴリラズの『ヒューマンズ』に収録されている”ウィ・ガット・ザ・パワー(Feat. ジェニー・べス)”にバックコーラスに参加している。

ゴリラズ(というかブラー、特にデーモン・アルバーン)やコールドプレイ(特にクリス・マーティン)とオアシスとの90年代からの確執は、有名な話だろう。確執と書いたが、どちらかというと一方的にオアシスがいちゃもんをつけていた。そんな記憶も、今は昔。皆が歳を重ね、共に90年代から音楽シーンを生き延びてきた。

これらの面々が例外なくシーンのトップを走り続けていたという意味では、他の人にはわからない、戦友のような共鳴ももしかしたらあるのかもしれない。レコーディングの最中に、どんな会話をしたのだろう。想像は尽きない。

最後に、「自分が主役」だ。

ノエルにとって、バンドではできなかったことで、ソロになってから最も彼にとって難しかったのは、この「自分が主役」という立場で歩みを進めることではなかったか。

オアシス時代にもノエルには幾度か取材させてもらった中で、忘れられない(面白い)コメントがある。2005年にリリースされた6作目『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』のリリース時、

オアシスが国連ならば俺はアメリカだ

という、大変な名言をノエルはさらりと口にした。それくらい、制作に関してはコントロール・フリーク。そして、彼の発言はいつもオアシスそのものを代弁していた。

ただ、それは決して「俺が」のエゴではなかった。

ステージでの姿を思い出すと、ノエルの前にはいつもリアムが、人々の注目を一身に集めるフロントマンとしてそこにいた。ノエルの役割は、わかりやすく前に出るのとは異なり、オアシスというバンドやメンバーたちをリーダーとして影から牽引するようなものだった。

だからこそ、シンガー・ソングライターというある意味「自分が主役」でなければならない役割に慣れることは、果たしてノエルにとってどんなプロセスだったのか。いつか機会があれば聞いてみたい。

あくまで想像だが、曲を作り、録音し、ライヴをするというプロセスの中で、時には「一人」という寂しさもあっただろう。

少しずつそれに慣れ、好きなアイデアを好きなように取り入れ(例えば”ブルー・ムーン・ライジング(ザ・リフレックス・リヴィジョン)”は「実はU2のヴォーカルが自宅キッチンから携帯電話に向かって歌っている」ことがノエルによって明らかにされたが、好きな人に好きなように参加してもらうのもソロの醍醐味だろう)、形にしていく。

その中で、「自分が主役」という役割にも少しずつ慣れていったのかもしれないと思う。

俺はみんなでいるのも好きだけど、一人でいるのも好きなんだよね

オアシス時代、”リッスン・アップ”という曲の歌詞について質問した時にノエルはそう話していた。

“リッスン・アップ”の歌詞で特に有名なフレーズといえば、”I don’t believe in magic, life is automatic”だろう。人生は、予期せぬ方向に時には転がっていく。方向を定めたとしても、ふとしたきっかけで脇道に歩を進めたら、そこが本流になっていく。

ソロ・デビューから10周年、ノエルにとってこの10年間はどんなものだったのだろう。

一人でいることで、もしかしたら「人生の魔法」をついに感じることがあったかもしれない。

いつかじっくり、話を聞いてみたい。楽しい10年間だったと思っているといいな。少なくとも、作品ごとに音楽的な挑戦と進歩を重ね、その結果として心地よい余裕まで曲から響いている訳だから、後悔は全くないはずだ。

【後編に続く】

ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ_アー写(c)Matt Crockett

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ここまでが前編、ということで、ノエル・ギャラガーの音楽的な歩みを考察とともにたどってました。後編は、ノエルともゆかりのあるソニーミュージックの担当スタッフの視点からみたノエルとのエピソードをご紹介します。

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