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看護師(準公務員)を退職して、写真を仕事にします 前編

こんにちは。最近まで看護師だったsmithです。

この度、3月をもちまして14年勤めた看護師を辞め、写真を仕事にすることにしました。そこへ至るまでの経緯や考えたことを、将来の自分、そして誰かのために残しておきたいと思います。

長文になりますので前編、後編で分けようと思います。

※前編は私が看護師になった理由がメインです。興味のない方は飛ばして後編をご覧ください。

はじめに

これからお話する内容は私の主観であり、看護師全般にあてはまる内容ではありません。看護師を目指す方にはショッキングな内容も含まれるかもしれません。

看護師という仕事は素晴らしいものですし、私自身誇りを持っています。ただ、看護師という仕事だけにとらわれず、広い世界をみてもらいたい。資格があるからこそ、30代半ばになってもチャレンジできるのだということを伝えたい、今思っていることを残したいと思いました。

私が看護師になった理由

私が看護師を目指したのは、中学2年生の秋、祖母の死がきっかけでした。

ずっと元気で、風邪をひいたところすら見た事がなかった祖母。そんな祖母が突然の「危篤」という連絡。その意味も分からないまま病院に行って目にしたのは、色々な管に繋がれて意識がない祖母でした。

そのまま意識が戻ることなく、1週間後に亡くなり、はじめて身内の「死」というものを体験しました。泣いている両親の背中を見ながら、「意外と涙って出ないものなんだな」と変に冷静な自分がいました。

葬儀の最中、冷たくなった祖母を見つめながら、突然「死んでしまったということ」を理解し、涙が溢れて止まりませんでした。中学生の私は悲しくなかった訳ではなく、初めての身近なひとの「死」というものを理解できていなかっただけでした。

祖父は父が子どもの頃に亡くなっており、母方の祖父母は関東だったため会ったことがありませんでした。つまり、私にとっての祖父母は、この「ばあちゃん」だけでした。

こんなにも突然死が訪れるということ。もう会えないということ。もうちゃんづけで呼んでもらえないこと。そして何より、何も分からず見ていることしかできないもどかしさと悔しさ。

それは中学生の私にとって、人生を変えるのに十分な出来事でした。

病院で印象に残ったのは、管に繋がれた祖母と、度々病室を訪れては声をかけてくださった看護師の姿。

「大切な人に何かあったとき、同じ思いはしたくない」

その思いから、機械関係の仕事に就こうとしていた私は、中学3年の1学期に突然進路を変え、看護師を目指すことにしました。

辛い実習の日々。睡眠時間は2-3時間、ひたすら提出物に追われ、先生や実習指導者に散々怒られながらも何とか乗り越えました。今でもあれより辛かった時期はないと思っています。幸い成績は良かったので、国家試験の勉強は苦ではありませんでした。

それから14年。慢性期、急性期、看護教員、手術室など様々な部署を経験し、地元では知らない人がいないくらい大きな病院の教育係にまでなりました。九州、全国規模の学会発表なども行い、これからも一生看護師として生きていくと思っていました。

Twitterでの出会い

私はX(旧Twitter)での活動をメインにしていますが、そこで出会ったのが、元看護師のtomosakiくんと元国家公務員の高埜志保さん。おふたりとも、独自の世界観を持った素敵な写真を撮られるフォトグラファーです。

このおふたりの決断が、自身の転職のきっかけとなりました。

tomosakiくんは、彼のフォロワーが5000人くらいの時に知り合いました。当時は看護学生で、実習や国家試験前の忙しい時期。それなのにそんな辛さを一切見せない素敵な青春の1ページの作品の数々。自分と色々重ねて、親のように見守る気持ちでみていたらあっという間に伸びて今やX、Instagramともに数十万人。すごい。

そんな彼が、看護師を辞めてフォトグラファーになりました。順風満帆かと思いきや、その日々を正直に書いてくれたこちらの記事。

これだけのフォロワーがいながらも、フリーランスで食べていく難しさ。それと同時に「あ、看護師でもそれ以外の仕事をしていいんだ」と思ったのでした。

高埜志保さん。繊細な作品と卓越した文章。国家公務員として勤めながら写真活動を行っていて、自身と少し境遇が似ており勝手ながら親近感を抱いていました。

そんな彼女が書いたこちらの記事。

職種は違いますし、国家公務員と準公務員の専門職とは全く立場が違うとは思いますが、共感できるところが多々ありました。

このおふたりとの出会いによって、写真を仕事にすることを真剣に考えるようになりました。

写真を仕事に、とは

文字通り写真を撮る仕事がメインになります。ただ、フォトグラファーと表現しなかったのは、フリーランスやスタジオ所属ではなく観光協会へ転職するためです。

主に広報や販売物の写真撮影、地元のイベント運営やインタビューなど多岐にわたるとの事ですが、実際に働いてみないと分かりません。ワクワクと不安が半々、といったところでしょうか。


おわりに

前編はここまでにしたいと思います。長文にお付き合い下さりありがとうございます。

後編では、看護師という仕事と、私が辞めた理由についてお話したいと思います。そちらも読んでいただけましたら嬉しいです。

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