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国家公務員を退職します

この度、国家公務員を退職することになりました。

驚かれた方も多いと思います。本業と写真活動を両立している姿に励まされてきたのに、と、少なからず残念な気持ちにさせてしまった方もいるかもしれません。

ここでは、国家公務員を目指す方や、趣味と仕事の両立に悩まれている方にとって少しでも参考になればという願いのもと、私が国家公務員を退職するに至った理由と、今後の写真活動について、文章を綴ることにします。

はじめに

前提として、ここに記載するのは、あくまで私が所属していた省庁・部署に関する、私個人の経験及び主観的な感想となります。
よって、その内容が全ての省庁に当てはまり、国家公務員が同じような働き方・考え方をしているのだと一般化して捉えられてしまうことは、私の本意ではありません。
また、去った職場に後ろ足で砂をかけ、残された方々の気持ちを傷つけてしまうようなことは絶対にしたくはないと思っていましたが、私がこの記事を世の中に公開することで、結果として悲しい思いをしてしまう方がいるかもしれません。その点につきましては予めお詫び申し上げるとともに、国家公務員や省庁について否定的な意見を目にしたくない方は、このまま本記事を閉じていただくことを推奨します。

国家公務員を退職する理由について

まず、何故私が国家公務員を辞職するに至ったのか、その理由を大まかに2つ挙げたいと思います。
1つ目の理由は、国家公務員には他律的な業務が多く、持続可能な働き方ではないと感じてしまったため、2つ目の理由は、趣味の写真と仕事を両立するのが難しくなってしまったためです。

以下に詳細を記したいと思います。

国家公務員には他律的な業務が多く、持続可能な働き方ではないと感じてしまったため

特にここ数年で「国家公務員の働き方改革」の必要性が叫ばれるようになりました。
その背景としては、国家公務員の業務にはあまりに他律的な業務が多く、働き方を自身でコントロールできない(そしてその結果、若手の離職が増える)、という問題があるように思います。

国家公務員の他律的な業務の代表とも言えるのが、国会・議員対応です。
特定の誰かに責任を押し付けるのは、課題解決を図るアプローチとしては適切ではないとは思うのですが、国家公務員の仕事が他律的なのは、国会や議員対応によるものが大きいのではないかなと感じています。
国会・議員対応に従事した経験が比較的少ないと思われる私ですら、以下のような経験があります。

定時後にレク要求(議員への説明を求められること)があり事務所に呼ばれる、いつ来るかも分からない議員の質問通告(国会で議員が質問する内容を事前に教えてもらうこと)を定時後数時間に亘って待ち続ける、同じような質問を数日のうちに何度も国会で聞かれる、国会で質問する議員の持ち時間が時間切れになり徹夜で準備した答弁が空振りに終わる、1日に片手で収まらない量の質問主意書(NHKのこの記事が分かりやすいです)が当たる、国会議員が集まるヒアリングの場で幹部が集中攻撃を浴びる姿を見る・・・

国会質問も議員レクも質問主意書もヒアリングも、その全てが政策立案に必要なプロセスの一部だとは頭では理解しつつも、心身が限界を超えたと感じ、「国家公務員は国会議員の下請けじゃない!」と、心の中で叫んでしまうこともよくありました。

夫とのLINEのやりとり

また、国会・議員対応以外にも、省庁には一刻を争うスピード感と緊張感が求められる仕事が沢山あります。
とある国際案件が炎上していた課の原係や、世間的に注目を集める案件を所掌する課の筆頭ラインにいた時は、残業時間が月に約100時間に及ぶこともありました。
私は元々体があまり丈夫ではなかったのですが、繁忙期や仕事でストレスを感じる時期は、偏頭痛、真っ直ぐ歩けないほどの胃痛、帯状疱疹などといった身体的な不調に悩まされてしまいました。

残業代もタクシー代も、貴重な国民の税金から捻出されます。
自分のしている仕事が国民のためになり、国を良くしていくのだという自信と納得感が得られない日々が続きました。
このように体力的にも精神的にもきつい仕事を、これから30代、40代、50代になった時にも続けていけるか、と自問自答した時に、自信を持ってそうだと答えられない自分がいました。

以下は、平成13年に内閣官房が各省庁の若手職員に対して実施したヒアリングの結果です。
各府省の若手職員等に対するヒアリングの結果(概要)について

「忙しすぎて時間的・精神的な余裕がない」「自分の仕事が国のために役立っているという実感が持てない」「無駄な作業を自律的に減らせず業務執行が非効率」等々といった悲痛な声が寄せられています。
自分の感じているところと重なる部分が多く、20年以上経っても霞ヶ関は同じような問題を抱え続けているのだなと、暗澹たる気持ちになりました。

しかし、このような働き方には無理があるという実感と働き方改革の必要性は、霞ヶ関全体の共通認識として浸透してきているように思います。
私が働く省庁では、コロナをきっかけにテレワークが普及し、私もほぼ毎日テレワークをしている時期がありました。同時に、ペーパーレス化などの業務改革の取り組みもどんどん進んでいる実感があります。
約1年半前には、河野太郎規制改革相(当時)の尽力により、国家公務員の残業代の全額が適切に支払われるようになりました。
国会議員の中にも、事務所に呼びつけるのではなく、電話やオンライン会議ツールでレクを実施してくれる議員の方も増えてきました。
内閣人事局が実施した令和3年度働き方改革職員アンケートの結果では、64.5%の職員が「働き方改革が進んだ」との実感を持っていると回答しています。
令和3年度働き方改革職員アンケート結果について(概要)

この働き方改革の流れは、恐らく今後も益々進んでいくのではないかと期待しています。

また、このようなこともありました。
とある野党議員から複数の課に対し、連休の中日にレクに来るようにとの指示が、2営業日前に下りてきたことがありました。
指定された日は幹部含め、旅行等で不在にする予定の職員が多い日でした。
数年前であれば、唯々諾々とレク要求を受けることが当たり前だったのかもしれませんが、その時は複数の部署が一丸となって取りまとめの部署に抗議した結果、レクの実施を連休直後にずらしてもらえることになりました。
あの時、「流石に勘弁してくれ」「こんなことが続くから若手がやめていくんだ」と本気で怒ってくれた上司や先輩の存在は涙が出るほどありがたく、感動したことを覚えています。

ちなみに、霞ヶ関の働き方の非持続可能性を、立法府のみの責に帰するのはフェアではないとも思っています。
国会日程が直前にならないと固まらないため質問通告が遅くなるのは仕方ない、野党議員にとっては省庁が何をやっているのかの情報があまり入ってこないため、国会や主意書で役所に質問するのは貴重な機会だ、という指摘もあると聞いています。
また、近視眼的に捉えると意味のないように見えるような仕事でも、私がもう少し大局的な視点で物事を見通すことができれば、自分のやっている一つ一つの仕事が何に繋がるかをより実感できたのかもしれません。ただ、それが実感できるようになるまでは耐えようという気力は、もう残っていませんでした。

写真活動と仕事の両立を図ることが難しくなってしまったため


撮影の趣旨・内容にもよるのですが、私の場合、一件の撮影には概ね以下のような作業と時間が発生します。

・撮影前
コンセプトの検討、着想を得るための写真・絵画・音楽鑑賞、被写体の検討と打診、撮影日時・場所・衣装・小道具の決定と手配、被写体やスタジオとの連絡調整、脚本の執筆、被写体との打ち合わせ、機材の検討、撮影現場までの交通手段の確認、撮影日に向けたイメージトレーニング 等
・撮影当日
移動、撮影
・撮影後
写真の編集、被写体への送付、SNSやポートフォリオサイトへの投稿

今年の冬から夏にかけては特に仕事が忙しく、家には寝るためだけに帰宅する日が続いたのですが、休日には昼頃までベッドから出られないことが多くなってしまいました。
そのような日々の中で、作品撮りのことを落ち着いて考える余裕はなかったものの、それでも写真を通じて表現したいという熱は益々高まり(仕事からの逃避だったのかもしれません)、追い詰められるように撮影と編集を繰り返していました。
理想としては、一つ一つの作品撮りに丁寧に取り組みたいのに、撮影をノルマのように負担に思ってしまい、被写体の方への申し訳なさと激しい自己嫌悪に襲われることもありました。

写真活動に費やせる時間と体力が足りないことの他にも、私の頭を数年間悩ませていたことがあります。
このnoteにも記事を書いたことがありますが、それは、国家公務員には兼業をする上での制限があることです。
国家公務員は、国家公務員法第103条及び第104条における規定により、原則的に兼業が禁止されています。
例外として、非営利団体における兼業、単発的な講演や執筆により報酬を得ることは禁止されていないものの、私が望む内容、例えば写真集を出版することや、撮影の対価として謝礼を受け取ることは、認めてもらうことが叶いませんでした。
政府としては、2018年に厚生労働省が作成する就業規則モデルから副業・兼業を原則禁止とする規定を削除したり、骨太の方針2022に副業・兼業の推進を盛り込むなど、前向きな姿勢を示してはいるのですが、国家公務員の兼業についても柔軟な運用を図って欲しかったな、と残念に思います。

私は、写真を撮ること自体は学生自体からの趣味ではあったのですが、企業や個人の方から撮影の依頼をいただけるようになったのは入省後のことです。
最近ではインタビューの執筆や雑誌への掲載など、有難いことに様々な方面から依頼をいただけるようになったのですが、兼業が禁止されている国家公務員としての立場に、活動上の制約を感じてしまう日々が数年間続いていました。
私の見通しが甘かったと言われればそれまでなのですが、このような課題に直面するようになるとは、入省時には想像もしていませんでした。

上記の経緯があり、もう少し時間的・精神的なゆとりを持ちつつ、できるだけ制約の少ない中で表現を続けられるような環境で働きたい、と強く思ったのが、転職を決意するきっかけになりました。

今後の写真活動について

今後は、知的財産関係の仕事に本業として取り組みつつ、これまで通り、週末に写真を撮影することになります。
基本的には作品撮りを中心に活動を続けますが、有り難くも兼業を認めていただける職場に就職することができたので、今後は少しずつ、依頼案件も受けていこうと思っています。
(とはいえ、新しい仕事に慣れることが最優先ですし、撮影の稼働可能日が土日に限られてしまうため、様子を見つつ、少しずつお受けしていく予定です)

働いてみないと分からないところはあるのですが、新しい職場は自宅から近い上に、自律的な働き方が可能になる予定です。
平日に余裕ができる分、作品撮りの構想に時間をかけ、被写体の方々とより丁寧に向き合いながら作品を作っていきたいと思っています。

写真を仕事にしないのか、という質問をよくいただくのですが、私は自分の好きな時に好きなものを撮りたいという気持ちが強いため、今のところ写真を専業にしようとは考えていません。
写真が純粋に好きだという気持ちを大切に守っていくため、当面はこの生き方を続けると思います。

また、正式な告知は後日にさせていただくのですが、9月30日〜10月2日には写真展の開催を考えており、念願の写真集の販売が叶うかもしれません。
是非、予定を空けておいていただけると嬉しいです。

最後に

文句を言うだけでなく、同時に実のある改善策を提示するのが建設的な批判のあり方だとは思うのですが、今の自分の経験・知識・能力では改善策を体系的にまとめることが難しく、心苦しく感じています。
2019年に厚労省を退官された千正康裕さんが執筆された「ブラック霞ヶ関」という本には、国家公務員が働きやすく、国民のためになる政策立案に集中して取り組むことのできる環境を作るためにはどうしたら良いのか、等といった観点から、霞ヶ関と永田町への提言が盛り込まれています。
「国家公務員を本当に国民のために働かせるためにはどうすれば良いか」という観点から、政治家、国家公務員、国民の一人一人が意識すべきことは何かについて考えさせられますので、是非、ご一読いただくことをお勧めします。

辞職することを報告した時、驚くことに数人の同僚や後輩から「実は私も辞めたいと思っていて・・・」と打ち明けられました。
同じような悩みを持っている人が少なからずいることに安堵したのは事実ですが、同時にとても悲しい気持ちになりました(私にそんな資格はないのですが)。
私は霞ヶ関を離れますが、もし、国家公務員を目指そうか迷っている人から意見を求められた場合、「辛いことも多いとは思うけれど、自分のやりたいことと合致しているのであれば、挑戦してみてはどうか」と答えると思います。
国のために働くやりがいは大きいですし、私も、国家公務員でないとできなかったであろう多くの仕事に携わらせていただきました。
社会人として一番初めのキャリアに国家公務員を選んで良かった、と素直に思いますし、様々な仕事を任せていただいた職場には感謝の気持ちで一杯です。

今後、霞ヶ関が、あらゆる立場で働く国家公務員が自分らしく前向きに働くことのできる環境に変わっていくことを願ってやみません。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。

2022年8月 高埜志保

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