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大水上神社(香川県三豊市)


 
讃岐国二の宮である「大水上(おおみなかみ)神社」
  



「二の宮ってなあに?」と言われたら「由緒ある神社なんだよー」って感じの説明が一番簡単で良いんですが、割と詳しく言うと…

 
“昔、その国に赴任した役人が真っ先に挨拶に行くべき神社」を「一の宮」と呼び、2番目の格の神社が「二の宮」と呼ばれており、その名残が今も残っているのです”

(確かそんな感じだ!)
  

…んで、この一の宮だの二の宮だのってのは平安から鎌倉くらいの時代に整ったらしいんですが、この社格、順位は国が指定したわけではなくて、その地域での自然派性的な「格付け」らしいです。
 
んで、となると全国各地に「二の宮」ってのがあるのか?と言うと、二の宮がハッキリしている国もあれば「一の宮」以外ハッキリしてない国もあり(大半がこのパターン)、その辺りが先述の「自然派性」的な部分の名残りなのかなと思います。(五の宮まである国もありますが…それはそれで逆に心配になる。笑)

 
そんなわけで、讃岐国二の宮であります「大水上神社」
  

二の宮の存在感



磐座(いわくら、古代の御神体)を中心として弥生時代の祭祀土器が出土し、祭祀場である磐境(いわさか)としての古代祭祀遺跡でもある歴史の宝庫。起源は弥生時代より数千年の歴史をもつ。
 
まるでおとぎ話のような世界が広がる 讃岐二ノ宮 大水上神社!(三豊市観光のHPより一部抜粋)
 


 
古来より水の神様として崇められていたようで、なんと言っても香川と言えば水不足。ため池もたくさんありますし、香川用水ってのも子供の頃習いましたが、古来より水の確保は死活問題だった讃岐国です。水の神様を重要視するのも当然のことなのですね。
 

雨乞い神事が行われていた「竜王淵」


 
と言うわけで、「雨乞いの神事」も度々執り行われていたようで、今でも神事で使われていた土器がそんじゃそこらから出てくるとか。
 
と言うのも、土器は祭祀の度に焼き、終われば割って捨てていたらしいので、そんじゃそこらにあるわけなのですね。
 
 
そして、その土器を焼いていたであろう窯跡(二ノ宮窯跡)も敷地内から見つかっており、国の史跡に指定されています。屋根部分がある状態での発見は珍しいようです!また、登り窯と平たい窯が並んで見付かるのもレアだそうです!


その名も「二ノ宮窯跡」



古代の遺跡と共存とか、素敵な神社じゃ。
 
 

そんな大水上神社ですが、源平の合戦の時代には、こんなエピソードがあります
 

元暦元年(1184年)2月15日の屋島の合戦の前
平家は、大水上神社で戦勝祈願をうけました 

同じ年の2月25日
源氏も、大水上神社で戦勝祈願を受けました
 

元暦2年(1185年)屋島の戦いで、平家は滅亡してしまい、その後、神社に災いが続いたために、平家のたたりであろうと言われ、それを沈めるために「四社宮」が営まれたと言われているそうです

 
この四社宮と言うのを見逃してしまったのですが、どうやら
 
平 教盛(平清盛の弟)
平 経盛(平清盛の弟)
平 資盛(平清盛の孫)
平 有盛(平清盛の孫)

この四人を祀った小祠だそうです
 
 
神社への災いに関しては、落人だったり平家側の人間による嫌がらせ、仕返し?みたいな気もしますが、四人を祀ることで収まったようです。
 

 
僕の大好きな、愛媛の大山祇神社も源平時代のエピソードや宝に溢れてるので、それと繋がるようでなんだか楽しい。
 
 
この近くには、銅鐸と銅剣が同時に出土した向谷遺跡というのもあるし、ウロウロしてても見事な古墳はあるし、縄文の遺跡もあるしで、まさに瀬戸内海沿岸恐るべしと言った所なんですが、その辺りは深掘り出来てないので時間ある時に調べてみます! 
 
 
なかなか目掛けて行く場所じゃ無いので、これを見て少しでも面白いなとか思ってもらえればと思います!
 

水と共にある神社


でも、機会があれば是非行ってみてください。

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