大學の道#4 至善

至善に止するに在り

止(し)することを知りて而(しか)る后(のち)定まる有り
定まって而る后能(よ)く静かなり
静かにして而る后能く安んず
安んじて而る后能く慮(おもんばか)る
慮りて而る后得る
物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば則ち道に近し


(原文)
在止於至善
知止而后有定、定而后能靜、靜而后能安、安而后能慮、慮而后能得
物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣

(意訳)
「至善に止(し)するに在り」は序文の「明徳を明らかにする」と「民に親しむにあり」を実践し、その善行を実践し、至高ともいうべき至善の状態に自己を到達させること。しかし一度到達すれば良いものではなく、その状態に止まり続けなければならない。どんな素晴らしい善事を一過性で終わらせるのでは駄目で、その至高の状態を継続・維持することが大事となります。この「明徳」「親民」「至善」の三つを、大学の三綱領といいます。古典『大學』において最も重要な点になります。

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「止することを知りて而る后定まる有り」はその至善の状態に達すれば人間は精神が安定し、自らが何を為すべきか、つまり志や目標が定まってきます。
「定まって而る后能く静かなり」は、為すべき志や目標が定まれば、心の動揺がなくなります。少なくとも為すべきことや優先すべき事があるならば、物事に悩んでいる時間はありません。逆に言えば為すべきことも定まらない状態は、心が安定はする事はありません。
「静かにして而る后能く安んず」は、そうやって心が静まれば、日頃の行動や生活も安定してきます。安定した生活がなければ大事を為すことはできません。人間は衣食住が満ち足りて初めて安定した生活を送る事ができます。
「安んじて而る后能く慮る(おもんばかる)」は、自分自身が安定することで、周囲に対しても配慮ができるようになってきます。心理学者のマズローが欲求5段階説で言うように、人間は個人の生活や安全の欲求が満たされて初めて他人や社会に目を向けることができる、すなわち慮る事ができるようになります。
「慮りて而る后得る」は、慮ることができたのちに得る事ができる。しかしここでいう”得る”は、”Take”という何かを得るには違いないのですが、金銭や社会的地位や名誉といったものではなく、大学の道に近づく、もしくは道を極めるに必要な徳を得るという意味ではないでしょうか。

「物に本末有り、事に終始有り」は、物には本と末があります。木で言うところの根や幹が本、葉っぱや枝が末にあたります。木で最も重要な部分は当然太い幹の部分です。物の例えにも有りますが取るに足らない瑣末な問題を「枝葉末節」といい。最も重要な問題を「根本的」とか「根幹」と言います。つまりどんな物事にも幹にあたる重要な本と、瑣末な枝葉の様な末の部分があると言う事です。
 そして事(出来事、物事)には始まりがあり、必ず終わりがあります。季節が春夏秋冬と循環し、文明が興隆しいつかは没落していくように、そういった先後する理、法則を知ることで道に近づくことができます。その道こそ、大学の道であります。


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