会いたかったあの子との再会
NPO法人スマイルリングの物語
北海道の十勝で、児童養護施設・少年院出身の青年たちの自立をサポートする活動をしています☺️
人生とは不思議なもの。
人の出会う縁とは不思議なもの。
今日は私が、児童養護施設や少年院出身の青年をサポートする団体、NPO法人スマイルリングと出会い、そのおかげで、人生がとんでもなく賑やかになり、今どっぷりとその活動をすることになった、始まりのお話です。
私には長年願っていたことがありました。それは、心から離れない、2人の兄弟に、『いつか再会したい』ということでした。
スマイルリングは、私達スタッフ全員が本業を待っていて、NPOの活動は皆んなボランティア。
普段の私は建設工事会社で経理の仕事をしている、立派なお局様です。
そんな私の会社のすぐ隣にあるアパートに、かつて小さな男の子の兄弟が住んでいました。
近所にはその子たちの他にも、多動性をもつ元気な発達障害の子どもたちなども何人か住んでおり、毎日会社の前にある駐車場や、その前の狭い道路で大騒ぎして遊んでいました。
サッカーをしては社長や専務の車をボールの跡だらけにしたり⚽️🚘✨
会社のブロック塀を、コツコツコツコツ、ひとつずつ取り除き、とうとう塀が無くなってしまったり😩🙌✨
朝からずーっと何十回も何百回も同じ歌を大合唱していたり👦👧♪♫✨
やけに静かだな…と思ったら、一心不乱にアスファルトを剥がしていたり…😭🙌✨
こんな、ちょっぴり近所では“問題児”扱いだった子たちのことを、まだヨチヨチ歩きの頃から知っていた私は、彼等からは旧姓の“フルネーム”で呼ばれていました。どんなに遠くにいても、私を見つけると、と〜っても大きな声で
『や〜まも〜と〜ちあ〜きちゃ〜ん‼️』と叫ぶのです😭🙌✨
何回『やめてぇ〜!💦』ってお願いしても、皆んなで叫びながら走ってくるので、会社のご近所さんには、ほぼほぼ私の名前を覚えられてしまいました…。
彼等が何か“やらかす”のを、事務所の中で“感じる”たびに、私は窓を開け、『コォゥラァ〜ッ‼️』と怒ります。すると蜘蛛の子を散らしたように『ワ〜ッ‼️』と走って逃げていきます。
その後しばらくすると、決まって彼等の中で一番のチビの“りゅうま”が、必死な顔で走ってきて、『やまもとちあきちゃん、ごめんなちゃい‼️』と、頭をぺこっと下げるのです。
お兄ちゃん達が(お前が行って謝ってこい)と、りゅうまを使うのですが…。
✨✨✨その姿のまあ可愛いこと!✨✨✨
思わず『りゅうまは悪くないよ!偉いねぇ』と言って毎回抱きしめてしまい、それを物陰から見ている他の子たちがまた、バラバラと走ってきて、『やまもとちあきちゃん、ごめんなさい‼️』の大合唱になり…。結局は順番に全員を抱きしめる事になるのです。
仕事をしながら、毎日毎日そんな賑やかな毎日を送っていました。それは紛れもなく、私にとってはとても暖かい時間だったのです。
そんな可愛い“りゅうま”とそのお兄ちゃんは、ある日、隣のアパートから居なくなり、児童養護施設へ行ったということが分かりました。
しばらくしたら帰ってくるのか…と思っていましたが、結局はそれきり、彼等とは会えなくなってしまいました。あの賑やかな時間は、もう2度と戻っては来なかったのです。
(どうしてるのかな。会いたいな)
そう思い続け、いつの間にか時間だけが過ぎていきました。いつしか13年の年月が経ち、彼ら兄弟も社会人になった頃、ますます、彼らが今、どんな人生を歩んでいるのかが気掛かりでした。原則18歳になったら、彼ら児童養護施設出身の青年たちは自立をしなくてはならない。そう聞いていたからです。
“りゅうま達兄弟のように、児童養護施設を出たあとの青年達は、どう暮らしていくのだろうか”ということが、私の中で大きな問題に育っていきました。
(私にも何か出来ることは無いだろうか)
そんな想いがどんどんと膨らんでいたある日、地元で、そのような青年達をサポートしているNPOがあるのが分かりました。
それが、
NPO法人 スマイルリング
だったのです。
今日はここまで✨続きます😁
ここまで読んで頂き、ありがとうございます🙏✨
なるべく毎日更新を目指します😆🙌✨
NPO法人スマイルリング
理事 ののむら ちあき😁
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