事実と真実、主観と客観

「多くの面がある真実」
に対して
「一つの面しかない事実」
だと思う。

真実があるのはたくさんの人が
相対的な主観だと想ってきた結果で、
みんなが思う「あたりまえ」って
客観的に「みた」ものではないんだなって感じた。

けど、あたりまえってどこかの誰かと
共感したからできたものだろうし、
共通認識あった方がわかりやすく、
より簡単に生きていけるよね。って思います。
(が、どう思いますか? 意見ください。

同じコミュニティ内では「ほぼ」同じ考えの人間が生まれるはず。
なんなら、遠い場所でも似たような環境なら同じことがいえるのでは?
(生まれないと団体として成り立たない?

だとしたら、国や市区町村などの単位をつけて群れようとするのは何ため?(コミュニティ(団体を作る意味とは?

自衛のためかな?
人間は共感してもらいたい生き物ってよく言うし、あり得るな。

じゃあ一人でいたがる人とは?
本当はみんなといたいけど、いれてない?
それとも突然変異?何でそんなの生まれるの?

考え事をしていると、答えを見つける前に次の質問が浮かび上がってくる。

人間が思いつくことはよくわからない。

相手の立場に立って考えよう!とかいうけど、
自分のこともよくわかっていないのに、
そんなおこがましいことできない。

たとえ、考えたとしても「答え合わせ」が怖い。
思っていたことと違ったとき気まずいし、
どちらかといえば正解は相手の方だし、
(この場合正解にあたるのは相手が考えていること。「事実」だから、
嘘をついていたとしても、相手が考えていること自体は事実。
つまり事実は一つだが、実際にあった事象として複数存在が可能なのだ。

何の話をしているのだろうか。

今日は初心を思い出して、調べるのではなく考えてみようと思う。

調べることを知らなかったあの頃。
物語を追うようにいろいろなことを考えたな。
(授業も聞かず、、、小学生の頃の方が悪ガキだったw

今日も眠れなさそうだ。

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