視聴率が出る瞬間
午前9:08。東京支社、東京制作部のFAXが「ウィーン!」と起動する。
やがて、「カタカタカタ」とFAXは鳴り、ビデオリサーチから「関東」と「関西」の視聴率表が送られて来る。
他のプロデューサーはどうしていたのか分からないけど、ドラマをやっている時、毎週火曜日の朝、FAXの前で今か今かと待ち構えていた。ドキドキした。悪い予感しか無かった。
そんな時に限って、視聴率が悪い事が多いのである。そんなトラウマが僕にはある。
連続ドラマ「凍りつく夏」(1998年)の第1話の放送が終わった翌朝、僕は京王線に乗って通勤の途にあった。
座席に座って、朝の暖かくて優しい陽光に包まれていると、突然携帯電話が鳴った。
「良かったなぁー!」
大きくて明るい声が電話の向こうから聞こえて来た。「編成のドラマ担当」のI君からだった。
「凍りつく夏」の初回視聴率(世帯)が関東で16%を超えていたのだ。
会社に着くと、東京制作部長から、
「あの企画でよくあんなに良い視聴率が取れたね」
と変な褒められ方をした。
このドラマ、僕はチーフ・プロデューサーだった。撮影現場に顔を出すと、Kプロデューサーに言われた。
「CPとPが現場に一緒にいると、『俳優陣からの相談』とか『何か不測な事態』が起きた時、『CPに相談してみます』と言えないので、なるべく撮影現場には来ないで下さい。こちらで『本当に処理し切れそうも無い事』が起こったら連絡しますから」
確かにKプロデューサーの
言う事ももっともだ。
プロデューサー側は「2段階の体制」にしておいた方が良いに決まっている。
Kプロデューサーに現場を任せて、僕は子供たちを連れて、市民プールに泳ぎに行った。家族サービス。
しかし、これがなかなか心休まらないのである。
プールで子どもを遊ばせながらも、何度もロッカーに入っている携帯電話を見に行った。
僕にKプロデューサーから電話がかかって来る時は「最悪の事態」。「抜き差しならぬ状況」になっているという事だ。
プールで子どもを泳がせていても、気が気では無い。
結局、1クール、現場を仕切らせたら敏腕なKプロデューサーから僕に電話がかかって来る事は一度も無かった。
脚本家を入れて、3泊4日で日本テレビ系列の保養所に行き、ストーリー作りの合宿を綿密にやった渾身の企画は「編成」が行なう「グループインタビュー(一般の女性にドラマの企画書を読んでもらい、自由に意見を言ってもらう調査)」で合えなくボツになった。
「あと、2〜3つ、別の企画書を提出して下さい!」
調査に立ち会った編成部員がお気軽にそんな事を僕に言った。
腹が煮えたぎる思いがした。ドラマの企画を1つ作るのに、どれだけ僕たちプロデューサーは知恵を絞っているのか、彼女は全然分かっていなかった。
土日で会社の会議室に閉じこもり、合宿で作った企画にKプロデューサーの提案で「DV(家庭内暴力)」の要素を加えた。新しい企画書が出来た。
こうして出来上がったドラマが「凍りつく夏」。初回視聴率は関東16%(世帯)を軽く超えていた。
Kプロデューサーとは3回連続ドラマで一緒に仕事をした。
3回目のドラマの打ち上げパーティーの席上で、Kプロデューサーに、そのドラマの脚本を担当した鎌田敏夫さん(「男女7人夏物語」「ニューヨーク恋物語」大河ドラマ「武蔵MUSASHI」など)を紹介された。
僕が「Kプロデューサーとは3クール一緒に仕事をしているんです」と告げると、鎌田敏夫さんは「それは大変でしたね」と僕を慰めてくれた。
ドラマ作りの感性が素晴らしく、良いドラマを作る為にはとことん粘るKプロデューサー。
「視聴者が何を見たいか」「自分が何を作りたいか」が明確に分かっているからこそ、良いドラマが出来、視聴率も取れるのだろうと思う。