テレビ仙人

手塚治虫、大好き❤テレビの現場に「生息」し続けて、45年。「昔のテレビ黄金期の話」「日…

テレビ仙人

手塚治虫、大好き❤テレビの現場に「生息」し続けて、45年。「昔のテレビ黄金期の話」「日々、生きていて気付いた様々な事」「世界52ヶ国に旅した、ほんの些細な話」などを脈絡なく綴ります‼️189cm、大谷翔平とほぼ同じ(笑)

マガジン

  • 日常生活の些細なこと

    日常生活を送っていて、気になった事を書き記していきます。

  • 海外旅行

    世界52の国と地域に旅した記録です。

  • テレビの裏側

    テレビ制作・テレビ宣伝の裏側・思い出を綴ります。

最近の記事

「スマホ」に侵略された「日本人」

「街をスマホを見ながら歩いている人」は多い。 ニュースでは、「電車の運転手が運転中にスマホを見て問題」になったり、「トラックの運転手が運転中にスマホを見ながら走っていて、事故を起こした」り、している事が多々報じられている。 また、飲み会をしながらも、それぞれの参加者がスマホを見ていたり、電車の中でスマホを見ている人は数え切れない。 こんな「国」は世界中見渡しても、「日本」以外には無いと断言してもいいだろう。 「特定の宗教」の無い日本、「経済成長」が「社会の目標」と未だ

    • PHS

      大阪で「朝の連続ドラマ 京一輪」のロケをやっていた時、初めて会社の「携帯電話」を使った。 「ショルダーフォン」である。 通話料もバカ高く、僕は炎天下の夏のロケ(彦根の琵琶湖畔)で、チビチビと使っていた。 東京の「ドラマ班」に異動になり、連続ドラマ「オンリーユー愛されて」に付いた時は、会社から貸与された「ドコモのムーバ」と個人的に買った「PHS」(ピッチ)の2台を持って、極寒の冬、湘南の強い海風が吹き寄せる高台での深夜ロケに立ち会った記憶が痛烈に残っている。 不思議なの

      • 午後のケーキ

        京王線・仙川駅近くの「キックバックカフェ」に夫婦で行き、有機のケーキを2つ買って来た。 それを二等分して、いろんな話をしながら、まったり食べた。 会話は弾み、ケーキは瞬く間に2人のお腹へと姿を消した。 甘味も程よく、とても美味しいケーキだったり

        • サッポロ一番 ごま味ラーメン

          小学生の頃、インスタントラーメンの、「麺を食べ終わった残り汁」に「冷蔵庫で冷やした冷ご飯」を入れて食べるのが好きだった。 まるで「氷山」の様に、ラーメンの残り汁に浮かんだ「冷ご飯」。 しかも、使うのは「サッポロ一番ごま味ラーメン」に限る‼️ その「水面」の前後から、「ごま味ラーメンの汁」が徐々に沁み渡って来るのが最高‼️ 「ラーメンの汁に浸かっている部分」と「まだ浸かっていない白ごはんの部分」の両方が味わえる幸せ‼️ 絶品だった。 しかし、しかしである。 「サッ

        「スマホ」に侵略された「日本人」

        マガジン

        • 日常生活の些細なこと
          0本
        • 海外旅行
          0本
        • テレビの裏側
          1本

        記事

          エンジェルフライト

          海外で亡くなられた方々の御遺体を日本に移送して、御遺体を出来る限り、修復して、御遺族にお渡しする職業をドラマ化。 https://search.app/Wn533ynkDHdg6wg69 これがとても感動して、面白い。 主演の米倉涼子と新人の松本穂香のコンビネーションが深刻になりがちなテーマに「笑い」を足して、いい感じになっている。 1話完結。まるで、弘兼憲史の「黄昏流星群」の映像化の様な「人間模様」が次々と広がって行く。 全6回。 僕の入院中に放送され、それを毎

          エンジェルフライト

          1913年の「京王新宿駅」

          そうなんです‼️ 皆さん、開業当時の1913年、京王線のターミナルは今のシネコン「新宿バルト9」の側にあったのです。 駅名は「新宿追分駅」。 京王線はこのターミナルから「路面電車」として、走っていたのです。 長年、京王線沿線に住んでいますが、いろんな秘密があるんですね。 ちなみに今の「新宿駅」にもう一つ「番線」がありました。 その跡が、笹塚側のホームで見られます。 御興味のある方はどうぞ‼️

          1913年の「京王新宿駅」

          「霊柩車」を見たら、親指を隠せ‼️

          テレビドラマを観ていたら、子供たちが「霊柩車」を見て、親指を隠すシーンが出て来た。 一緒に観ていた妻はこの風習を知らず、僕は驚いた。 僕たちが小学生の頃、昭和40年代、春夏秋冬、どんな時も「霊柩車」を見たら、親指を隠せ‼️と誰かに教わったのだ。 今時、「霊柩車」は忌み嫌われるものでも無いが、昭和の時代、こうした「都市伝説」はたくさんあった。 インターネットも何も無いから、調べる術も無く、みんなその「都市伝説」を怖れた。 「口裂け女」の伝説もその一つだ。 これは恐怖

          「霊柩車」を見たら、親指を隠せ‼️

          木下恵介「お嬢さん乾杯!」「夕焼け雲」

          黒澤明監督作品は全て観たが、やはり木下惠介監督作品が格段に好きだ。 黒澤明映画は「西洋料理」。 木下惠介映画は「日本料理」。 やっぱり日本人なんだから、「木下惠介」に惹かれるのは当たり前だと、僕は思う。 今回、この2作品を初めて観て思ったのは、「非常にテレビドラマ的な事」。 そして、なんか「フランスの昔の映画」を観ている様な錯覚に捉われた。 木下惠介監督に「助監督」として付いたのが、脚本家・山田太一である。 木下惠介と共に、「映画界」を離れて、「テレビドラマの世

          木下恵介「お嬢さん乾杯!」「夕焼け雲」

          「キングコング」と「カサンドラ・クロス」

          1976年、年末、2本の映画が封切られた。 「キングコング」と「カサンドラ・クロス」という超大作である。 前者の配給は「東宝東和」。後者は「日本ヘラルド」。 そして、前者のプロデューサーは「ディノ・デ・ラウレンティス」。後者は「カルロ・ポンティ」。 「カルロ・ポンティ」は女優・ソフィア・ローレンの旦那でもある。 どちらも「イタリア系独立プロデューサー」だった。 「日本の配給会社」「イタリア系プロデューサー」対決だったのだ。 僕はその事に密かに気付いて、ほくそ笑ん

          「キングコング」と「カサンドラ・クロス」

          クラスメイトの女子、全員好きでした

          「クラスメイトの女子、全員好きでした」、今季の中でも面白い。 僕は「新宿野戦病院」に次いで好きかな。

          クラスメイトの女子、全員好きでした

          「脚本家・山田太一さん」行きつけの喫茶店

          川崎市高津区の山田太一さんの自宅近くにその喫茶店はあるという。 山田太一さんが様々な「名作ドラマ」の構想を練ったこの喫茶店に一度は行ってみたい。 なんなら、もうどなたも住まれていないのだろうが、墓地の前にあるという「白い一戸建ての御自宅」も是非見てみたい。 一、山田太一ファンとしての熱い思いである。

          「脚本家・山田太一さん」行きつけの喫茶店

          「インターミッション(休憩)」のあった映画

          4時間近い上映時間のある映画には「インターミッション」という「休憩」が入る事がある。 長すぎて、観客がトイレとかに行く為の「休憩」だ。 僕の記憶では以下の映画に「インターミッション」があった。 「十戒」セシル・B・デミル監督 「サウンド・オブ・ミュージック」ロバート・ワイズ監督 「赤ひげ」黒澤明監督 しかし、「アラビアのロレンス」「風と共に去りぬ」「タイタニック」などな大作映画は長かった記憶はあるが、「インターミッション」があった記憶は無い。 「映画興行」として

          「インターミッション(休憩)」のあった映画

          ドラマ「ブラック・ジャック」

          高校生、京都の駿台予備校に夏期講習に通っている頃、手塚治虫の作品と出会った。 当時、創刊されたばかりの「小学館文庫」の「シュマリ」である。 その後、朝日ソノラマの「火の鳥」に取り憑かれた、読み耽った。 そして、大都社の「奇子(あやこ)」「ばるぼら」「きりひと讃歌」などの、手塚治虫の大人の世界に立ち入って行ったのだ。 遂にたどり着いたのが手塚治虫の金字塔「ブラック・ジャック」。 僕は圧倒的な「手塚治虫ファン」になっていた。 大阪の「よみうりテレビ」に就職した僕は「1

          ドラマ「ブラック・ジャック」

          「パート2」監督

          前から気になっていた「パート2」監督をリストアップしてみよう。 ガイ・ハミルトン 「ナバロンの嵐」 ※「ナバロンの要塞」続編 ジョン・フランケンハイマー 「フレンチ・コネクション2」 テッド・ポスト 「続・猿の惑星」 ※「刑事コロンボ」も監督 ドン・テイラー 「新・猿の惑星」 ジャック・スマイト 「エアポート'75」 ※「大空港」続編 バート・ケネディ 「続・荒野の七人」 J・リー・トンプソン 「猿の惑星/征服」 「最後の猿の惑星」 ジェームス・キャメロン 「

          「パート2」監督

          「ミワリー」で散髪

          病院の理学療法士の先生から、自宅に帰っても、家の中の「リハビリ」だけでは無く、家の外も歩いてね、と言われた。 そこで、昨日は「昼食」「銀行ATM」「本屋」と歩き回った。 今日は、午前中に「家でのリハビリ」を済ませ、1ヶ月の入院で髪がぼうぼうに伸びているので、「散髪」に京王線・柴崎駅近くの理髪店「ミワリー」に昼の12:30、エントリーに行った。 電話予約だと、「予約料」として、追加で700円取られるからだ。 そしたら、なんと言う事か、18:20に来て欲しいと告げられて、

          「ミワリー」で散髪

          社屋の変遷

          僕が「よみうりテレビ」(当時はひらがな表記だった)に入社したのは、1983年(昭和58年)。 1958年に開局した当時の「大阪市北区東天満」にある社屋だった。 開局時、お寺の墓地を潰して半年間で建てられた社屋。 増築増築で社内は迷路の様に入り組んでいた。 スタジオは「第1スタジオ」「第2スタジオ」の2つ。「サブ」(副調整室・・・ディレクターがいて、指示を出すスタジオの上にあるスペース)は1つだった。 つまり、一度に「1つの番組しか収録(生放送)」出来ないのである。

          社屋の変遷