「007/私を愛したスパイ」が傑作な訳
映画「007シリーズ」は1962年に第1作目「007/ドクター・ノオ」(日本初公開時は「007/殺しの番号」)が製作されて始まりました。
アルバート・R・ブロッコリというプロデューサーが「007」を映画化したいと、原作者のイアン・フレミングに交渉に行った時、「映画化権」はハリー・サルツマンという別のプロデューサーが既に持っていたのです。
しかし、「映画化」はなかなか進まず、原作者イアン・フレミング了解の下、二人でプロデューサーを務める事になりました。
この時、発足したのが現在でも「007シリーズ」を製作している「イオンプロダクション」。
場所はイギリスにあります。
全世界への配給は「ユナイテッドアーティスツ」と契約が結ばれ、「007シリーズ」の製作は始まりました。
そのハリー・サルツマンがプロデューサーを降りて、アルバート・R・ブロッコリ単独プロデュースとなった1作目が「007/私を愛したスパイ」なのです。
ブロッコリは「エンタテインメント指向」が強く、今までサルツマンに押さえられていた反動がこの作品で出ます。
だから、「アクション」あり、「パロディ」あり、「コメディー」あり、「大男のジョーズ」の登場があって、「シリーズ屈指の娯楽作」になっています。
次作「ムーンレーカー」では、その「エンタテインメント性」が出過ぎて、「荒唐無稽」な映画になったのだと思います。
「ムーンレーカー」の次の「ユア・アイズ・オンリー」では監督がルイス・ギルバートから、それまで「編集」や「第二班監督」を担当していたジョン・グレンが起用されます。
ジョン・グレンは「007シリーズ」をいちばん多く監督しました。
そして、その「荒唐無稽」さを払拭したのです。
その後、またまた「007シリーズ」は危機を迎えます。
第1作から脚本を担当していたリチャード・メイボームが亡くなったからです。
それを「007/カジノ・ロワイヤル」で見事復活させたのが、脚本家ポール・ハギスです。
さてさて、ダニエル・グレッグは「ジェームズ・ボンド」役を降り、次作から新しい「007」が登場します。
これは楽しみでたまりません‼ねぇ〜️‼️
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