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私とサッカー⚽️大学時代〜裏方として走り抜けた日々〜


私の連載記事を読んでくださってありがとうございます😊



現在、私のフットボール人生⚽️の中の

サッカー人生を順に振り返りながら記事にしています。

ただいま、大学時代の話をいくつかの視点に分けて書いてます。

前回記事(リハビリ編)はこちらです。


それでは、今回は

《裏方として走り抜けた日々》

として、お送りさせていただきます。


チーム状況


さて、話に入る前に
まずこの時の私たちのチーム

『吉備国際大学シャルム』

どんな状況だったのかを
軽く説明したいと思います。


私が大学へ入学した年が

ちょうどチャレンジリーグ

女子のトップリーグであるなでしこリーグの次にあたるリーグ

に参入した年でした。

その年、チャレンジリーグwestで優勝

するも、参入した年で準加盟をとっていたなかったので、
次の年もチャレンジリーグ

そんな2年目に当たる年は
準加盟申請をとれ

優勝もしくは、準優勝でも入れ替え戦に勝てば
なでしこリーグへ昇格できる!

という年。

そして、チャレンジリーグで準優勝となり、
入れ替え戦が行われ

それにも勝ち

なでしこリーグ昇格‼️

が決まりました。

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なので、次の年
私が大学3年に当たる年からなでしこリーグでできる事になりました。


その年は、立ち上がりはまずまずだったが
最終的には入れ替え戦になり

でも、入れ替え戦には勝利して

大学4年に当たる年もなでしこリーグでプレー。

前年から負けが続き
なかなか勝てない中でチームも葛藤。

そして、
卒業する次の年から
なでしこリーグが
1部と2部とに分かれる事になり
(男子でいうところの、J1、J2です。)

そして、私たちは降格をさせてしまい
卒業した次の年から
後輩たちはなでしこリーグ2部でのプレーへとなりました。


またなでしこリーグと並行して
大学リーグであるインカレも奮闘をしていて


大学3年の時にインカレ優勝を経験。


色んなチームの波を体験した4年間を過ごしました。

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裏方にハマる


そんな中、私は選手としての時間よりも裏方としての時間を多く過ごしてきました。


大学時代の8〜9割が裏方だったのではないでしょうか?



そんな私が裏方の道を歩む事になったのは、
もちろん、この大学がそういったリーグへ参戦していた事により、

ホーム戦という運営があったからとも言えるでしょう。

そんな大学入学して間もない頃に

チャレンジリーグは開幕しました❗️


その頃は私もまだ何も知りません。

はじめてのホーム戦

先輩につられるがままに応援席へと向かい
応援が始まりました。

まだ歌もほとんど知りません。


そんな中でも、必死に応援する先輩の姿をみて
応援席から叫ぶ先輩の姿
私にはカッコ良くも見えたのです。



そして、とある応援歌の歌詞を見た時に
私は感動して涙が出そうになりました。

(その曲はこのnoteの記事の最後の方にアップしています。)


そんな事から、支え側でもできる事がある、そんな輝きを知ったのかもしれません。


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大学1年生といえば
たくさん仕事があるわけですが


ホーム戦などの小道具の準備とかは
トップチームじゃない1年生が主にやっていました。

私は最初実家から通っていたので
そんな準備もあまりできなかったり知らなかったのですが、

引っ越したことで
チームの仕事の事も色々と知る事になります。


その中で、チームの事務所へと行くことがコツコツ増えていったんです。


そして…

ホーム戦の前に
サテライト(トップチームではないセカンドチーム)の先輩たちが
色んな準備をしていました。

当時、学生コーチというのもあり
学生たちが主体で動いていて

また実習や試験?などで抜けていた4年生たちも帰って来て、そんな事務所の中でホーム戦に向けて沢山の準備をしていました。


私はその時、見つけたんです❗️


今が試合に出られなくても
チームのために自分ができる事
ここにあるんじゃないか⁉️

って。


それから私も積極的に

『何かできる事ありますか⁉️』

そう聞いて、

最初の頃は先輩たちが主にしてくださってましたが、
少しずつ仕事をもらえるようになりました。



そして、
私が膝を手術してからというのは
選手としては、チームが勝つためには何もできないので

裏方だったら、自分もチームのためにできる事があるのではないか❓

そう思い、どんどん裏方へと関わるようになっていくのでした。



大切なのは

どんな立場でもチームの一員である事。
チームの目標に対して
今の自分の立場でできる事を考えること。

だから私は、運営に対して
サポートする事に対しても
手を抜かなかった。

むしろ全力だった。



そしてそれが、

きっと私にとって

その時の生きがいだったのだと思います。


どんな立場でも一緒に戦ってるんだ‼️



運営責任者のそばで 



なでしこリーグへ昇格してからだったでしょうか?

色んな事が忙しくなりました。

特になでしこリーグ最初の年は
わからない事がたくさんありました。


色んな申請もしないといけなくて

それこそ、スポンサー様の
バナーや看板にしても協会へ申請しないといけなかったり

ホーム会場の準備のことや

リーグ規定のことや

色んな資料の準備や
そのための下見や

ファンクラブやスポンサーの皆様への手紙やIDの作成など、

文章を考えたり
IDなどは手作りしたり

またリーグ規定のIDの作成も行ったり

ホーム運営の会場やコンコースなどに置く看板も手作りしたり、


色々と準備する事がたくさんありました。


なでしこリーグにあがるにあたって

ホーム戦会場となる場所には
色々と定められた条件がありました。

それらをみたしていくためには、
そんな沢山の準備が必要だったんです。


私は、いつしか
そんな運営責任者のすぐそばで動くようになりました。

授業が終わったら事務所へ行って手伝い…

ほんと家よりも事務所にいたような気がします。



全部自分で抱え込んでやろうとされるから

だから自分はいつも

『何かありますか❓』

ときいて仕事をもらう。


また何か作業されてたら、
手伝います❗️

といって仕事をもらう。


でもね、そんな自分も人にお願いするの苦手なタイプで

気付いたら自分の仕事もいっぱいになってたの😅笑

まあ、だから今は
そういうチームやグループで何かするときは、

人に頼めるものは頼んで
自分がやった方が良い事を優先したり

誰もやらなさそうな事を自分がやる

っていうようなスタイルをとるようになったんだけど…


けど、あの時は

『大丈夫。』

が口癖だったと思う。


本当に大丈夫だとも思ってたんだけど
気付いたら、こなせてなかったりして


でも後には、それを助けてくれる仲間も現れたんだよな✨



だけど、

最初の頃なんかは

ホーム戦の前日はほとんど睡眠してなかったり
事務所に泊まり込んだ日もありました。笑




ホーム開幕戦


そんなホーム開幕戦は
なんとすぽるとに取り上げていただいたのです。(ちなみにその日もほとんど睡眠なしの徹夜状態)





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今思うと、
なんでそこまでしても
あんなに運営として走り回る事ができたのだろうか?


今、そこまで全力で
サポートに回れるのだろうか?

そう思うと、
あの時の自分には勝てないような気がします。


でもね、

それだけ本気だったんだ。


そしてそれが、
自分がチームのためにできる事だと思ってたんだ。


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貴重な経験


その姿からか、

メンバーじゃないのに
アウェー戦へとスタッフとしても連れて行ってもらえるような出来事もあったり

ホーム運営責任者が集まる会議にも学生ながら参加させてもらう機会を得たり
(日本サッカーリーグの方々とのミーティング)

実際に、リーグの方の連絡先や名刺も沢山あって、色々と連絡をとっていたり、


なでしこの新人研修にもいったり
なでしこオールスターの試合に
スタッフとして同行させてもらったり

色んな経験をさせてもらう事にもなった。


多分、学生でこんな事は普通は経験できない。


本当に沢山の貴重な経験をさせていただいた。


だから実は、
大学を卒業する時、

チームスタッフへもそうだけど

他チームの運営責任者とかスタッフの仕事の話も頂いたりもしてたんです。


(でも私は違う道を行くわけですが…笑)
(その話はまたゆくゆく…)


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運営リーダー



そんな自分は
いつの間にか、
学生の運営のリーダーのようになってた。


運営に関する事は
選手に色々お願いする時も

みんなの前で色々説明するようになったり


ホーム戦当日に
運営ボランティアの方が来てくださるのだけれど

そんな方々への説明や

全体の情報を伝えたり
指示を出したり

運営責任者の次を担うような役割になっていました。



大切にしていたこと


そんな中で、
私が大切にしていた事があります。

それは、

『笑顔』と『感謝』

応援に来てくださってる方々はもちろん
ボランティアできてくださってる方や
一緒に運営をがんばってる仲間に対しても


常に笑顔で、
そして、感謝を持って接することでした。


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それには理由がありました。


それは、ホーム運営って
思ってるより大変なことってたくさんあります。


グランドの周りの陸上マットをスパイクで踏まないように、

人工芝のような緑のマットでグランドの周りを囲ったりするんだけど、

それとかだって、すごく重たいの。

雨なんか降った日は
重すぎるくらい。


他にも、スポンサー様の
バナーや看板、選手の横断幕

ゴールのネット張りや

コートのライン引きから
外回りの準備

テントだったり
座席のことだったり

有料試合なので、会場の外から見えないように
ブルーシートでフェンスを覆ったり

お客様の席をきれいにしたり、
その他快適に過ごしてもらえるための工夫や

その他催し物の準備


試合中も色々とあって
ほんと
グランドじゃなくて
グランドの外を走り回っていました。


そんな中で
お客様と会えば
笑顔で感謝を届けられるようにと心を込めながら

『いつもありがとうございます😊』

そう挨拶をしては、
足早に走って仕事に向かう。


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ボランティアの方が質問をしてくれば
それに対応する。

何か起これば
運営責任者からお願いが出される。

他のメンバーもそれぞれの役割を担っていて…


それでね、

ボランティアの人もそうだし

他の運営メンバーもそうだけど


みんながみんな、
それに対して誇りを持って
自発的に動けるわけじゃない。

いやいやしてる人だっていただろうし

それこそ、

前日に試合のメンバーから落とされて運営に回ったメンバーだったり

怪我で悩みを抱えてるメンバーだったり

トップに対して何か不満を感じてるメンバーだったりもいるんだ。


そんなメンバーがね、
どうやったら
運営に気持ちを入れてくれるか?



そんな事はそれぞれだから、わからないかもしれないけど


でも、自分が思ってたのは

『何事も楽しんでやる』


どんなに大変な準備や片付けも

楽しみながらやってたら
あっという間に終わる。


楽しんでたら、
身体も早々に動く。


そう、楽しむ事だっだ。



だから、
アホなこともいっぱいしたし

色んな事を言って
盛り上げようとしてた。


もちろん時には、
その元気さしんどいわ。

って言われることもあったけど、


でも別に、
そんな馬鹿キャラに思われてもいい。



それでもみんなが楽しんで
少しでも
その疲労や負担が軽くなって

取り組めれたら…


そんな事を思ってたんだ。



そして、
しんどそうにやるメンバーよりも

元気にできる自分がなんでも動く!

って思うくらいのエネルギーで
なんでも
ハイ、ハイ言って取り組んだ。


そうだよ。

そうやって、

大変そうに見えることも
全部楽しんでやったんだ。


それをみた周りの人がどう思うかなんかわからないけど


でも、その姿を追いかけようとしてくれた仲間もいた。


きっと試合に出るメンバーたちも

運営してくれる仲間をみて


選手が到着した頃には
会場が出来上がってて

黄色い横断幕に囲まれたグランドをみて

何か奮起してくれてた仲間もいた。


そう、それがなによりも嬉しい。

そうやって仲間のモチベーションに変わる時


一人でもいい

誰かのパワーに変わる時


それはきっと、
チームのためになれてたのだと。


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あれ?私…?



でもね、
私は運営に身が入り過ぎてた。


だから、トップに上がって練習ができるようになった頃

どこかでなんだか
運営の事を気にしてしまう自分がいて


選手に集中しなきゃだし
自分は試合に出る事を

選手としては一番考えなきゃならなかったのに


誰にこれらを引き継いでいくか?

とか、
色んな事を考えて…


だからね、
多分心に隙があった。


だから自分は結局

惜しいとこまでメンバーに残っていても

ホーム戦で
試合に出場することも
ベンチに座ることもなかったんだ。


私がベンチ入りしたのも
ピッチに立てたのも
全部アウェー戦だった。
(数少ないけど…)


本当はいつも応援してくださってる方々が観に来てくださる
ホーム戦の試合に出て

その姿を持って感謝を届けたかったのに

なのにそれは果たす事ができなかった。



終わりに



だから、ここまで色々話してきたけど、

結論をいうと

選手であるならば
まず選手の事を優先して考えること❗️


そうしなければ、
本当に叶えたいものは叶えられなくなるからだ。



その上で、
その時与えられたポジションが

ピッチに立てる
11人+αのメンバーでないならば

その与えられたポジションで
自分のできる事をやるという事だ。


試合だってそうだ。

例えば
普段はボランチでそこが自分の場所だと思っていたとしても、
その日はサイドを任されるかもしれない。

その時に、やりたいポジションじゃなくて
サイドだからって手を抜く…

なんて事はしないでしょ?

(するなら怒るよ、マジで❗️)

メンバーに入って試合出させてもらえてるという自覚を持て❗️って。

出れないメンバーの気持ちも考えたら
お前にするべき事あるだろ❗️

って本気で怒りに行くよ❗️


でも、やるでしょ⁉️


それと同じだよ。


その時のポジションが
ピッチじゃなくて運営だった。

それだけだ。


やるべき事は同じ。


チームのために
自分に与えられたそのポジションで
できる事をやる!

ほんとそれだけなんだよ。


それを思っていられたのは

この言葉があったからなのかもしれない。

『すべては笑顔のために✨』

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そうさ、

私はみんなの笑顔がみたかった✨

みんなで笑顔になりたかったんだよ。


だから、
フリーマンとして
ピッチの外を走り回るときも

笑顔で走り回ったんだ。


少しでも、運営してるメンバーにも
もっと笑って欲しかったんだ。


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また、話が膨らみそうなので
ここで終わります♪笑


熱くなると
なんでも語れてしまうようです。



という事で、次回は

『地域貢献活動』
について書いていきたいと思います♪





今回も最後まで読んでくださって

本当にありがとうございます😊



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今日も最後まで見てくださって
本当にありがとうございます😊

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女子フットサル選手
金森彩加
現在、夢と色んなおもいを持って挑戦を続けている。
2018-2019シーズンにスペイン🇪🇸へ単身で渡り、一度帰国する事になったものの、再びスペインへと挑戦を決め歩んでいる。
怪我との葛藤も多く、『引退』が近いことも医者に宣告されながらも、なおかつそれを乗り越える方法を探し、可能性を導こうと歩んでいる。
それはきっと、夢を諦めたり、自分を否定したりしてる、また同じように怪我で諦めようとしてる、そんなあなたに届けられるものがある!と信じています。
『可能性は無限大∞』
『道は必ず切り開ける❗️』

私はそう伝えたい。
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それでは、

Muchas gracias 😊 

Hasta pronto ☺️✨

女子フットサル選手。過去の経験から今がある!ことに感謝して、夢に向かって歩んでいます!そんな私の活動を応援していただけたら嬉しいです✨