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暴対法と おばあちゃん惨殺


かりに暴対法が施行されなかったとして、今の指定暴力団の上の方の人達が、今の裏の世の中や、今の社会の暴力の秩序者だったとしたら、今、ニュースの中心の事件の、容疑者達は、はたして、堅気のおばあちゃんを、惨殺するまでに、至っただろうか?


僕は、今の指定暴力団が、暴力の秩序者だったとしたら、いくらなんでも、堅気のおばあちゃんが、惨殺されるようなことは、無かったと、思う。


世の中も社会も、いくら社会が綺麗事を言っても、この先の未来ずっと、
表と裏が、在るに、決まってる。


表と裏、どちらにも、秩序が在るし、必要なのだ。


表と裏が、在っての、世の中の、全体なのだ。


それを、裏の人々は犯罪者集団だからといって、良くないと、言って、社会からcutすると、
現実、世の中には、絶対、裏の暴力は、存在するのだから、表の綺麗事だけでは、世の中も、社会も、成り立たないのだ。


だから、表だけの世の中は、現実に、裏が存在するのだから、その秩序とバランスを、崩してしまう。


暴対法が施行されなかったとして、今の指定暴力団の暴力の秩序が在ったとしたら、堅気のおばあちゃんを、惨殺するような若者たちは、その暴力の、秩序と価値観のなかで、秩序化されたり、淘汰されたりして、出てこなかったと、思う。


おばあちゃんは、死ななくて済んだと、思う。

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