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『エッセイ』クローゼットの中から 一大事!?

実家の2階のクローゼットにはギュウギュウ詰めに洋服がハンガーに掛かっている。
衣装ケースも積めるだけ積み重ねられ何が入っているか、もはや把握出来ないほどの量である。
実家は80歳をとっくに超えた両親の2人暮らし。
季節の変わり目以外は滅多にクローゼットを開けない。
昭和10年生まれの夫婦のモノを捨てる事への抵抗が、この量を産んだものと思われる。

数年前、ポックリ父がこの世を去った。四十九日が終わり、父の遺品整理を始めることにした。
父の書斎には愛用のパソコンと書類の山、これらは私の弟が中身を確認して処分をすることになり、私の担当は、滅多に開けない2階のクローゼットの片付けという事になった。
母は『私が整理するから』と言う。
自分の分まで娘である私が勝手に処分しやしないかと気がきでないわけである。
2人で整理しようと言う提案で母を納得させ、いよいよクローゼットを開けてみた。
いつだったかクローゼットを覗いた時より、更にモノが増えていた。
引き出物に頂いたタオルのセット、毛布、食器のセット、花器、鍋にフライパン、炊飯器まで…新品とはいえ、かなり時が経った事がわかる色褪せた包装紙とカビ臭さに、メルカリにも出品出来ない残念さを感じた。
破砕ゴミの日はいつだったかな!と頭の片隅で考えた。
クローゼットから全てを出さなければ、にっちもさっちも行かない。
クローゼットの横の6畳の和室に大きなブルーシートを敷き詰め、順番に出して行く作業に丸々1日を費やすはめになった。
両親のモノを全て出して、クローゼットがすっかり空になったと思ったのも束の間、何やら字の書いた木箱が天井までぎっしり積み上がっていた。
ぱっと見ただけでは木箱とは分からないくらい隙間なく綺麗に積み上がって壁にさえ見えた。
『これは何?』と母に訊ねた。
『二戸屋の2階から持って帰った道具類、置き場がなくてクローゼットに入れたんだったわ』
随分前に母が自分で積み上げたという。
二戸屋とは父の実家の屋号で、父の実家を指していた。
二戸屋は祖父母が他界した後、しばらく空き家になっていたが、親戚一同で家屋の取り壊しを決め、家の中にあった先祖代々の道具類を残し全てを処分した。
その時の道具類を長男である父が引き取っていたのだった。
この木箱をクローゼットから出すには若い力が必要で、母や私のテコに合わない。
頑丈な木箱の中身は陶器でかなりの重量がある。
後日子供達を動員して木箱を出す事にした。
木箱を出す前に、まずは父の衣装の処分をしなければ場所がない。
母と手分けして、ブレザーやズボンのポケットが空っぽか確かめてからゴミ袋に詰めようと相談した。
案の定、ポケットからは色々出て来た。神社の御守り、小銭入れ、親戚の子に渡せなかったお年玉や、折り曲げた1000円札、熨斗袋に入った5000円、どれもみなお札の顔が古いのである。
確認作業は終わり、ゴミ袋に詰め混んだその量に再び驚いた。

歳を取る度、持ち物をどんどん減らして増やさない工夫が必要だと母と話し合った。
母が『この際私の服も整理するわ』と言ったこの機会を逃すまい、続けて母の衣装の選別に着手した。
着るモノ、着ないモノ、使う物、使わない物時々意見の対立をしながら3日ががりで半分の量にした。
壁と化した木箱にいよいよ着手する日、子供達の出番がやって来た。
脚立を使って丁寧に降ろす作業は、若者にも重労働だったようで腰が痛いと言う始末。
よくもこれを母が詰み上げたものだと皆で感心した。ブルーシートに置かれたまちまちの大きさの木箱は40を超え、部屋いっぱいになった。 
クローゼットから全てを出したと思って見たら、太いチェーンが巻かれ上鍵が取り付けてある衣装ケースが残っていた。
『これは何?』と母に聞くと『初めて見たわ』と言う。
こんな鍵を掛けたお粗末だが頑丈な衣装ケースはどこにも売ってない。
父のDIYであることは明白だ。
何故鍵をかける必要があったのか不思議に思ったが、木箱の中の確認作業が目下の課題だったから、奇妙な衣装ケースの事は後回しになった。
ブルーシートに並べられた木箱をひとつひとつ開けて行く。木箱の蓋のウラには中身の詳細が書かれてあったが、母以外に読める人間がそこにはいなかった。

かなり古い年代物と思われた。箱を開ける度に家族のテンションが何故か上がって来た。
『お宝鑑定』が頭に浮かぶ、いくらの値がつくのだろう?もしや…ニヤニヤしながら会話は弾み疲れが飛んだ。
さらに、えっ!と
息を飲む、
時間が止まる、
コトバが出ない、
家族が一瞬フリーズした。
葵の御紋の器を見た、正しくは葵の紋の付いた漆器である。


『内の家のご先祖はね、松江藩の家老だった。松江城は松平直政公が治めてて、直政公って言うのは徳川家康公の何十人もいる孫の中の一人で、石高は低いけど初代藩主で…』今まで何百回と聞いた母の蘊蓄に家族は再び疲れを取り戻した。
『何かの折に直政公からご先祖が頂いた漆器だろう』と母が言う。
益々器は相当値打ちがあるものらしさを醸し出していた。
この骨董品をどうするか?家族会議が始まった。
色々意見は出たものの、結局プロに来て貰って鑑定して売却する方向性が決まった。
後日弟が骨董屋の主人を連れて来た。
手慣れた主人は木箱の中身を確認し、器は買取れないとはっきり言った。
年代が江戸後期の代物ばかりで価値が無い旨の丁寧な説明に、家族は肩を落とした。
期待していた葵の御紋付き器はと言うと、明治に入ってから自治体が作成した何かの記念品だとわかった。
途端、値打ちがあるものらしさを醸し出さなくなった。
家族から笑顔消え、次々に部屋を出て行く。
部屋に残ったのは骨董屋の主人と弟の2人きり、誰もが期待が外れたその場にいたくなかった。
しばらくして骨董屋は器以外の目ぼしいモノだけを引き取って帰った、部屋を覗いたら弟が1人木箱を見つめ『破砕ゴミに出すしかないな』と小さな声でつぶやいた。
数日して破砕ゴミになった木箱は部屋から消え、いよいよ奇妙な衣装ケースを開ける日が来た。


几帳面な父は、書斎のデスクの小引出しに鍵を保管してると思った。
私の考えは的中し、難なく鍵を開ける事が出来た。
『何でわざわざ鍵なんか掛けたんやろ?』と母は言いながら蓋を開けた。
中には封書や帳面がギッシリ詰まっていた。どれも江戸後期から昭和初期の頃のご先祖の書き物である。
せっかくだからとひとつひとつ読む母の傍らで、私には全く読めない苛立ちをお茶とお菓子で誤魔化していた。
かなりの時間を要して、ようやく終わりが見えてきた。やれやれと覗いてみたら、底から茶色の布に覆われた細長いモノがある。
『これは何?』
母は私の質問に即答した。
『刀…』
私は倍速の瞬きをした。
『まさかこんなとこに、刀が…えっ?』と母が言った。
父が衣装ケースに鍵を掛けた理由がこれで判明した。書簡の中に刀を隠していたのだ。


田舎の家から道具類と一緒に持ち帰るしかなかったんだろうと推察したが、家族に黙っていたのは父らしかった。
茶色の布袋から中身を出してみたが、引っ張っても鞘から中身が出ない
『真剣じゃなくて、偽物だよきっと』と私が言うと、『かなり重いけど木刀も重いしね、昔は真剣を持ってる風に見せかけてたりしたらしいから』と母は笑った。
母と私はすっかり偽物との結論で、奇妙な衣装ケースを作った父を笑った。
後日弟から電話がかかって来た。
『マズイよお姉ちゃん!刀抜いてみたら真剣やった。隠し持ってる事がわかったら銃刀法違反になる』
これは一大事!
後日、家族全員集合のグループLINEが来た。
実家で再び家族会議が始まった。
今となっては刀を隠し持っていた当事者は他界して詳しい事が分からない。
衣装ケースに30年以上眠っていた刀である。『知らなかった』で済む話だろうかと皆が心配した。
このままにしてはいられない、とにかく警察署へ連絡しようとなった。


後日、警察官が2人連れで事情聴取にやって来た。どこにどんな状態で保管してあったのか、誰の所有物か、何故見つかったのか事細かに聞き、刀を撮影しおまけに見つかったクローゼットの中で指差しさせた母を撮影して帰って行った。
母は人生初の事情徴収に望み、怖かったと言った。
これから刀をどうするか?骨董屋へ売却も考えたが、手放したくないと弟夫婦が言い出した。
しかし、1人暮らしの老婆宅に置いておくのは嫌だと母が言い、結局弟が家の守り刀にすると言って自分の家に持ち帰り、所持申請をすることになった。
あれから2年、弟家族が母親1人の実家に引っ越して来た。綺麗に手入れされた刀も戻って来た。
やはり刀はクローゼットの奥に静かに収まってている、今は新しい衣装ケースの中にである、当然鍵は掛けてない。

#創作大賞2024
#エッセイ部門

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