Sai no Kawara / crystal-zに思うこと

6月11日、かれこれ15年くらいの付き合いになる、とても尊敬している友人から、「曲を作ったからよかったらMVも一緒に見てみて」と、久しぶりに連絡をもらった。それが下の曲だ。まずは何も考えず、一度MVを見て欲しい。

彼は、僕にとって音楽の先生のような人で、出会ったばかりの頃は、とにかくいろんな音楽を教えてもらった。一緒に海外のインディー音楽をコピーして演奏したこともあった。何より僕は彼のユーモアが大好きで、当時は彼を笑わせたくて、あの手この手を尽くした。そんな彼は、数年前までとあるクルー(というのかバンドというのか)に属して音楽活動をしていたが、いまは医学を志し、東京を離れて地方の大学で学んでいた。

前置きが長くなったが、連絡をもらった僕は、早速Youtubeのリンクをクリックし、MVを見た。まず耳に飛び込んできたのは、聴き心地の良いLo-fi Hiphop感のあるトラック。Lo-fi Hiphopといえば、数ヶ月前にhypebeastで以下のポストを読んだばかりだったし、この記事の中でも言及されているChilledCowをはじめ、その他のトラックメーカーが作った曲はプレイリストにして、通勤や作業用のBGMとしてよく聞いていた。(多くは日本の名作アニメをサンプリングしてMVにしているため、楽曲自体が削除されることも多い)

上の記事のアンビバレントな態度からもわかるように、Lo-fi Hiphopはその耳触りの良さやノスタルジアで人気を博す一方で、昔のジャズをそのままサンプリングしてビートを乗せた安易なビートメーカーが多いのも確かで、揶揄の対象になったりしていることも知っていた。だから、思慮深く、音楽に造詣の深い友人が、その手法を使って作曲していることが少し意外だった。

そんなことを思っている間にも曲は進んでいき、友人のまっすぐな声のラップがビートに乗り始めた。率直にライフストーリーを語る彼のリリックに、どんどん引き込まれる。1バース目では、クルーの解散、医学を志す決意、過去の自堕落な自分と決別し努力を重ね、徐々に実力と自信をつけていく様子が語られる。彼はとても心の優しい人だけれど、すごく照れ屋で、仲間や恋人への思いも、自分の意思を語ることも、少なくとも僕の前ではほとんどなかったから、飾りのない彼の語りを聞けただけで、なんだか嬉しくなった。

hookを挟んで2つ目のバースでは、努力を重ねても超えられない壁があったことが語られる。それが年齢というハンデ。どうも30代という年齢がネックになり、筆記試験を通ってもなかなか面接を通ることができない。だが結果的に、彼は彼女(のちに妻となる)と別居を決意し、地方大学の医学部を受験、見事に合格する。緊張感から一気に解き放たれた感のあるトラックも伴い、リスナーは、ひとまず安堵する。そして、世の中の不条理に、強い意志と努力で打ち勝った彼を祝福する。彼女とは離れ離れになってしまうけれど、医師としての彼とその彼女との明るい未来を想像して、きっと大丈夫、と応援する気持ちになる。

しかし、そこから曲の様子は急変する。実際に放送されたニュースの音声と、それに続いて中年男性たちのしどろもどろな声のサンプリング。「大学側の調査の結果、合格点に達していたことがわかりました。」「33歳という年齢は、私どもの大学に入る年齢では高いものと認識していた。」「不正ではない。」「私たちも一緒にそういうところを勉強させていただく。」ただならぬ言葉の数々に、リスナーは、まるで脳天にパンチをくらったような衝撃を受ける。ここまで読んでニュースを思い出した人も中にはいるかもしれないが、実のところ、彼ことcrystal-zは、少し前に話題になった以下のニュースの当事者なのだ。

これらの音声のサンプリングを聴くまで、リスナーは、不条理を自らの意志で乗り越えた、1人の人間の悲しくも、美しい成功の物語として、この曲を聴くだろう。しかし、女性アナウンサーの声が流れてきてから、彼が提訴という決断をしたことを知り、一気に現実に戻される。僕も、曲を聴き進める中で「そういう不条理なこと、世の中にあるよね。負けずに頑張って本当にすごいね。」と、差別を世の中に当然「あるもの」と無意識に受け入れた上で、彼を応援していたことに気づき、ハッとさせられた。いや、あってはならないのだ。

彼は、この曲を単なる「境遇による理不尽な困難を乗り越えた自分の物語」として描こうとしているのではない。差別に関して、まず責めを負うべき、そして是正されるべきは差別をした側であり、差別された当事者が強い気持ちをもって乗り越えるべき、と考えるのはやはり間違いだ。この曲は、そんな差別は存在してはならないし、あったとしたら全力で抗議しなくてはならないという強いメッセージであり、皮肉とユーモアたっぷりの告発なのだ。彼はその差別に、真正面から立ち向かい、毅然と、しかしどこかとらえがたい飄々とした態度で「No」を突きつける。その点が、「俺はヒップホップで不遇を乗り越えてきた。」と、偏見や差別を、受けた側の気概や努力、そして音楽で乗り越えることをマスキュリンに歌うことが多い、日本版のギャングスタラップやコンシャスラップの自分語りと一線を画すポイントではないだろうか。この曲を聴いた後、ぼくはサッカー日本代表の鈴木武蔵選手に向けられた人種差別的発言とそれに対する鈴木選手の反応を思い出した。


上の記事からの引用になるが、差別は、「したものは一瞬でそれを忘れ去ることができるが、されたものは長い時間をかけて、何らかの能力を発揮して乗り越えなければならない、“非対称な関係”ができあがってしまう。それがどんな行為をされたか、言葉をかけられたか、意図的だったか、そうでなかったかにかかわらず。この“非対称な関係性”と“克服をめぐる労力の大きさ”にこそ、差別が差別になり、その人の尊厳を奪う理由が詰まっている。」

まさに彼が「寿命と引き換えに」一心不乱に努力を続けてきたのに、年齢が他の受験生よりも高いという理由で、数年間の蓄積を無にされてしまう。この曲は、そのことの悲惨さや、人生にもたらす重大な影響を、ニュース番組よりも明らかにリアルに、そして血の通った温かさを持って、ぼくたちに投げかける。

確かに「彼」は不条理を乗り越えることができた。でもそれはたまたま彼が強い心を持っていて、それを支えてくれる存在があって、諦めずに努力を続けられる環境があったからだ。でも、そうじゃなかった人も過去にはいたのでは?大学に拒絶され、そのまま医学の道を諦めた人もいたのでは?そんなことを思わずにはいられない。彼は、今後そのような理由で機会を奪われる人がいないよう、音楽以外の手段でも、正面から権威に立ち向かう。

そして、ちゃんと触れてこなかったが、どこか既視感のあるMVは、前述のChilledcowの24時間配信用MV(耳をすませばのワンシーンを切り取りループさせたもの)のサンプリングであることにあとで気づく。そしてよく見るとこの窓辺からの景色は、、まさにあの大学がある、東京のあの場所なのだ。さらに、あとからツイッターを見て知ったことだが、この曲のメインに使われているトラックは、Pharoah Sandersの楽曲、Japanのカバーなのだ。

ここまで知って、さらにゾッとした。まさにこの曲は、名ばかりの多様性が叫ばれ、その内実、むしろ他者への寛容性がますます失われ、分断が進む今の「日本」を描いた作品に違いない。うがった見方かもしれないが、このPharoahのJapanという楽曲をメインにサンプリングしたいがために、そして窓辺からのあの景色を描きたいがために、彼は、あえてLo-fi hiphopというフォーマットを拝借して、ChilledcowのMVのサンプリングをし、朝から晩まで勉強に明け暮れた自分の姿と前述のMVの中の少女を重ねたのかもしれない。そんなことを考えながら、これは大変な曲だと、あらためて鳥肌が立つ。

そしてSai no Kawara(再/賽の河原)という楽曲名も、この曲にあまりにもハマる。この曲について、他にも語りたい、でも語れない箇所はたくさんある。とにかく何度も繰り返し聴き、観ることで毎回違った発見ができる曲なのだ。また、MVの中の机周りは、彼を個人的に知る人、そして同世代の音楽好きの人は思わずそれそれ!と言いたくなるアイテムにあふれている。きっと音楽的な重要性についてはヒップホップ畑の人がいずれ詳しく語るだろうし、それをきっかけにどんどん活発に議論も行われることだろう。

ぼくは、とても尊敬している友人が、こんなすごい曲を2020年にボムったことが、とにかく嬉しくてならない。そういえば、十数年前、なにかのゲームをしていた時に、彼がふざけ半分に「言葉の力を信じている」と言っていたのを思い出した。まさに彼の言葉が、社会を動かそうとしていると思うと、なんだかとても感慨深い。年齢、人種、性別、生まれ、その他あらゆるタイプのカテゴリーによるレッテルづけ、そして差別がこの世界から無くなりますように(そのためにできることはなんだろう?)。そしてなにより、とにかく彼と彼の家族が、この戦いに一刻も早く決着をつけ、平穏で幸せな生活を築いていってほしいなと心から思う。

改めて文化の力を信じることができたし、社会にエンゲージした芸術がどうあるべきかという姿を見た気がして、ぼくも力をもらいました。crystal-zさん、本当にありがとう。応援しています。

最後に、英国カルチュラルスタディーズを牽引し、長年、反人種差別のための言説を世に送り出し続けてきたStuart Hallの言葉をここに引用して、このポストを閉じようと思う。Stuart Hallがオックスフォードに行ってから、約70年。。

長いこと読んでくれてありがとうございました。

What I realised the moment I got to Oxford was that someone like me could not really be part of it.                                                                    -Stuart Hall





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