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『茶の湯の床飾り』展で再確認した私の微妙な審美眼

今年の行った美術展。

遥か昔の春のこと。出光美術館で開催されていた『茶の湯の床飾り』という展示を見に行った。お茶の勉強になるかと思って。

ことあるごとに、茶室に掛け軸は欠かせない物と聞く。『私たちはどうかしている』にもそんなシーンがあったな。その家の茶室の掛け軸に書かれていたのは、"嘘偽りはないか"というものだった。嘘をついている主人公がドキッとするんだよね。

残念ながら、私は書を理解していない。茶会のテーマを表す、その会のすべてだ、そんな感じだったような。だけど今のところ、引き算の美学を感じるお茶の世界で、掛け軸は主張しずぎているように感じてしまう。いつか理解できるのか。

展示会には元、明、南宋、平安、桃山、鎌倉などなど古い物。紀貫之、一休宗純、それからたぶんすごく偉い僧の方々といった有名人が書いた物がたくさんあった。こういう時代のこういう物は、他の美術館にある同類の物と同じように”作品”と呼んでいいのかな。

来場者はこういう世界に詳しそうなシニアが多くて、熱心に凝視し語ってた。書道をしている人も多いみたい。私も書道はやっぱり習っておきたかった。したかった習い事を思うと、ピアノよりバレエより書道や武道。それくらいできないなんて、恥ずかしいと思える。

覚えておきたいことがたくさんあったけど、館内は写真撮影禁止で叶わず。スマホに打ち込んだ覚え書きを見返してメモしておくわ。いつか自分の進歩を知る日が来るといい。

一番気に入ったのは、藤原定家だった。小倉色紙「あひみての」「百しきや」があった。この展示会では中国の書や絵、当時最先端だった中国の文化に影響されたであろう堂々とした力強い書がズラリと並んでたけど、藤原定家の書は細くて繊細で、柳が揺れるようなって表現そのものに感じた。

やっぱり日本人だからかな、こういうのが落ち着くな。

と思ってネットで調べてたら、藤原定家は悪筆なんだって。うわー、私の目の不確かなことよ。爆笑したわ。

佐竹本三十六歌仙絵「柿本人麿」もあった。ちょうど絵巻切断事件について読んでいた時だったから、展示されてると知らずに見た時は背筋が凍るような感じがした。切断したその人は、その時のことをどう覚えていたのか。切断されたからリスク分散できたっていう人もいるけど、いざハサミ?を入れる時は口から心臓が飛び出そうだったんじゃないかな。

ポツンと置かれてた蔦細道蒔絵硯箱という物も印象に残ってる。目に入った時は豪華な蒔絵だなとしか思わなかったけど、説明書きを読んだら伊勢物語の東下り、宇津山の場面を描いた物らしい。在原業平、好きだな。業様しばりで京都を旅をしたい。

ちょっ…この銅像はイメージと違う(笑)

おもしろかったのは、松平不昧公の茶碗。おおっ!と見入ったのに、説明書きに"超有名品(と思われる)物"と書いてあったんだよね。えっ?とここでも笑った。騙されたのか、偽物をわざと買ったのか。プロの学芸員に聞いてみたかった。

この不昧公の像はいいな。真面目な物と場所なのか、よくある映えスポットなのかわからない。お城もあるし、松江には早く行きたいな。

で、結局掛け軸の偉大さや美しさ、意味は全然わからないままだった。茶器も見られたからいいか。積極的にいろいろ行ってみないとね。

あと、この美術館にある焼き物のサンプルが置かれた一角がおもしろかった。

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