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出会う。

昨日水を大量に噴出した洗濯機の点検を兼ねて、少ない洗濯物で試運転しながら、ぼーっとお茶を飲み、SNSを眺めていたら、近所に興味を惹かれる本屋があったことが判明した。

水が漏れてくることなく無事に洗濯が終わったので、服を着替えて出かける。
薄曇りの空からじんわり陽が射す、息のしやすい日だな。

うわぁ、思った通り!

選書が凄まじく好み。
Facebookで尊敬する知人が紹介していて読みたいなと思っていた本が置いてあったのはもちろん、「これは今読まなきゃいけない気がする」と思える本にも出会った。
小さな店内にぎゅっと詰め込まれた店主の想いを感じる空間に、あれも気になる、これは今度来たら買おう、とどんどんテンションが上がる。

通う。

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何年も前に出会っていても、あまりちゃんと話したことのない人っているもので。

「ソロでもバンドでも対バンしてたのに、初めてちゃんと話すよね」とか言って3年越しにお互いの中身を知る、みたいなことがあって、自分の中にあったステージ上のその人に対して抱いていた変な偏見が、解けていったりとか。

社会的な活動の中で何度も顔を合わせて挨拶程度の会話はしていたけれど、私にとっては講師とか弁士のイメージが強くて距離を感じていた人が、共通の友人の謎の計らいでいきなりプライベートな話をする酒席が設けられたことで、同じ人間だった(!)とわかり一気に“話せる友達”になったりとか。

たぶん。
出会った当初はそこまで話せる自分じゃなかったんだろうな、って思う。
再び出会うまでの間の人生経験があったからこそ、相手の話が聞けるし、受け止められる。
生き延びなきゃって思うのは、そういうことがあるからだ。

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再び、出歩くのが怖くなるような、偶然の出会いや再会が難しくなるような、気配が忍び寄ってきている。
社会がずっと混乱したまま、進歩や前進どころか、この国はまともな検証すらできずにグルグルと同じ道を辿りながらまるで底の見えない穴の中に落ちていこうとする。

公共の概念が崩壊している中では、誰もが自分の手で、生きていくためのあれこれを作っていかなければいけなくなる。
お互いの信頼のもとで分け合ったり譲り合ったりできる、小さな共有空間や助け合えるコミュニティが、あと何十年か先の未来の、公共を作っていく気がしている。

私は保育を通して、理論と実践を繰り返しながら学んでいるけれど、それをどうにかこうにか応用しながら、自分の暮らす地域の中で、信頼できる人間関係を大切に築きながら、できることをやっていきたいなと思う。

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