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『小さいおうち』中島京子

中島京子さんの『小さいおうち』を読みました。

直木賞受賞作であり、2014年に映画化もされているとのことで、比較的有名な作品なのだと思われます。


時は昭和の初めごろ。
山形から出てきて東京で住み込みの女中として働いていた主人公の「タキ」が、のちにノートに書き記したその半生を追っていく物語です。

物語の大部分はタキの一人語りのような形式になっていて、そこでは彼女が10年以上奉公することになった平井家でのできごとがほのぼのと語られます。


しかし、この昭和10年代に身を置く登場人物たちにとって、避けては通れない歴史的事実があります。
ご存じの通りではありますが、それは「戦争」です。

この話は、ありていにいってしまえば、「戦時下に生き、その時代に翻弄されながらも毎日を懸命に生き延びた女中の物語」とでも説明できるでしょう。
でも、あくまで描かれているのは平和的な、ありふれた家族や恋の出来事です。
「あのころは大変だった」という大きな流れに埋もれがちな人々のささやかな幸せ。それを描くという点では『この世界の片隅に』などとも共通した読後感を抱くのではないでしょうか。
(とかいって『この世界の~』は見たことないのですが…)


こうした「一昔前のお話」を読むとき、私たちの中にはふたつの視点が同時に存在しています。

この先の出来事を何も知らない「登場人物としての視点」と、

戦争があって、東京が焼け野原になって、日本が敗戦することを知っている「読者としての視点」です。

わたしたちはその顛末を知っているのです。
子ども達が大切に集めたブリキの玩具が金属供出によって回収されてしまうこと。
食料の配給制が始まって白米や酒が手に入らなくなること。
そして、戦争というものが大切な人の命さえ奪っていくことも。

でも、小説にでてくる、その時代を生きる人たちは、そんなことを知りません。
ただ生き生きと、希望にあふれた毎日を過ごしている。

その二重の構造がもの悲しいのです。
小説の世界に没入すればするほど、「読者であるわたし」が邪魔をしてくるのです。

次のページをめくったら、東京は焼け野原になっているのではないだろうか…。
タイトルにもある「小さなおうち」で繰り広げられるささやかな日常が、突然に終わってしまうのではないだろうか…。

ある程度結末が予測できてしまうからこそ、そこに至るまでの細やかな描写を味わわなければ、という気持ちになります。
ささいに見えることこそ、幸せなんだよ、と。


ちなみに、この作品は「タキの一人語り」の外側にもお話があります。
タキの回想として語られるその半生は、回想であるがゆえの危うさを持っています。うろ覚えによって事実と異なっていたり、都合の悪いことを書かなかったり…。
タキに感情移入して、まるで隣で昔話を聞くかのようにタキの話に耳を傾けていた読者は、最終章でタキが亡くなったあとにはじめて「事実の危うさ」に気付かされます。
そのひっくり返し感がまた秀逸なのですが、わたしの表現力ではとうていその魅力を伝えきれませんので、ぜひ文庫本を手に取ってみてほしいなと思います。

なお、映画版はアマプラやU-NEXTで配信されているみたいなので、今度観てみようかなと。レビューは賛否両論(おもに監督の思想的な話)ありますが、あくまで原作の補完として楽しめればいいなぁ。

おわり。


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