有川浩『クジラの彼』と、もっとも背徳的で贅沢な小説の味わい方
今月に入ってからすっかり仕事が忙しくなり、気づけば三分の二が過ぎようとしているのに本をろくに読めていません。
というわけで、ふと空いた仕事の合間の1時間やら、雨の日だけ乗る通勤電車のドア横やらで、なんとか時間を作って1冊読みました。
有川浩さんの『クジラの彼』。
自衛隊員の恋愛を描く連作短編で、そのタイトルの由来は、潜水艦をまるで巨大なクジラのようだとたとえた言葉から。
ところで、有川浩さんというのは女性作家なのですが、おそらくは初見で氏の作品を読む大多数と同じように、てっきり男性の作家さんだと思っていました。
本書を読み終えてからその事実を知ったのですが、それでもなお、本作には男性的な「つよさ」を感じます。
(いまどき、「男性的」「女性的」という分類は時代遅れなのかもしれませんが)
それはおそらく、登場人物たちが持つ、「まっすぐさ」ゆえじゃないかと思うんです。
人の気持ちは移ろいやすいもの。
そんな言説を一蹴する、いっそ清々しいまでに一途な登場人物たちの心。
前述した「クジラ」に関していえば、表題作になっている「クジラの彼」の主人公・聡子がいい例でしょう。
聡子の恋人は海自の潜水艦乗り、春臣。
ひとたび潜水艦が海に潜ってしまえば、海の底では電波が通じず、一切の連絡が取れなくなります。
そして、たとえ家族であっても潜行期間や行き先は国家機密。
潜水艦乗りの恋人たちは、彼がいまどこにいるのか、いつ帰ってくるのかも分からないまま、鳴らない携帯を片手に数ヶ月も連絡を待つことも珍しくないのだとか。
それでも、聡子は春臣からの音沙汰がないあいだ、彼の気持ちが変わってしまうことはおそれつつも、自分自身の気持ちには一切の揺らぎを許しません。
そのまっすぐさに胸を打たれます。
自分だったらどうだろう。
遠距離恋愛を失敗させた経験から言うと、つい近くにあるものに流されてしまいそうになる…。
移り気な(飽きっぽい)わたしには絶対に真似できない恋愛の形です。
でも、そういう恋愛が、フィクションの世界だけじゃなく、きっとこの世界にありふれているんだと思うと、他人事なのに胸が温かくなります。
フィクションのいいところは、自分には絶対にできない我慢を、努力を、誰かがかわりにやってくれることだと思います。
国防の最前線で文字通り「命がけ」の仕事をこなしながら、恋人と二人三脚で価値観のちがいや距離・時間の壁を乗り越える。
そんなふうに高すぎる壁を越えたあとに、手にすることができるほんのささやかな幸せ。
その尊さを、主人公のすぐそばで、まるで自分のもののように抱きしめて歓喜することができるんです。
虫が良すぎる話ですが、なんて贅沢で素晴らしいんだろうと思います。
わたしは心を動かす小説の主人公にはなれないけれど、そんなやさしい世界がこの地球のどこかに存在することは知っている。
それだけで、わたしもちょっと、やさしくなれた気がする。
それだけでいいんです。それこそが、フィクションを楽しむ最も贅沢な方法なのですから。
最後に、ついついほっこりした「あとがき」を引用します。
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