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コモンズと自治(第6回定例会の振り返り)

滋賀県内の自治体や企業らが集まり、スマートシティのあり方を一緒に考える研究会。定例会の開催も6回目となりました。

今回取り上げるテーマは「コモンズ」です。参考図書にしたのは、ミシマ社から出版された、平川克美氏の「共有地をつくる: わたしの「実践私有批判」」という本です。

近年「コモンズ」という言葉が再注目を集めています。「コモンズ」とは共有財・共有地と訳され、日本における原型は「入会地」と言われています。

この研究会において、コモンズという言葉で注目したいのは、身近な仲間どうしで運営していこうという自治の考え方です。これまでの日本の行政自治では、いわば「自治体が構想を行い、自治会が実行していく」という関係が作られていましたが、コモンズで問われているのは構想と実行の一体化による、いわば身体性を伴う協同的な自治であり、このような自治がもつ価値を、まちづくりという枠組みを超えて、様々な地域経済の中から見出していこうとする試みが始まっています。

古民家利用者を村民と位置付けて一緒に古民家とその周辺の地域運営を行う「シェアビレッジ」という取組みや、自宅などのプライベートな空間をセミパブリックに開放してみる「住み開き」という試みなども、捉えようによってはコモンズ(&コモンズによって形成されるコミュニティ)の一種と言えるのではないでしょうか。

この研究会でコモンズを取り上げたのは、コモンズそしてその自治という考え方が、スマートシティの「あり方」にも結びついていくのでは?と考えているからです。どう結びつくのか?ということについては次回以降みんなで言語化しあうとして、、、今回は参考図書の話を中心に、「そもそもコモンズって何だ?」という点に特化して、身近なコモンズを思い浮かべてみるというワークショップを行いました。

以下、参加者の皆さんの振り返りです。この研究会では考えの種を共有しあうことを重視しているのですが、皆さんの振り返りを読んでいると、今回は考える前に「難しい」が先行した感じがします。

規制や帰責性という概念と「社会のスキマ」

行政の視点で見たときに「コモンズ」は魅力的に感じるものの、やはり行政である以上「規制」第一になったり、集まるための場所のハード整備だけして使われないということが往々にしてあるように思うので、行政として主体的に取り組むのはなかなか難しいのかなと思いました。
他方、公園などそれそのものを目的として作ったものではなくても、コミュニティ形成の場等に活用されているような良例も多くあると思うので、「コモンズ」に目的意識を置き過ぎることなく「そんなこともできるよね」くらいの関わり、距離感を持つのが大事かなとも思いました。

コモンズとしてはネット空間が真っ先に思い浮かんだのですが、リアル社会でのコモンズとしてイメージできるものが昔に比べると減っているように感じました。
本日の説明とディスカッションも踏まえて、責任の所在について言及される現代ではなかなかコモンズの成立が難しいのではないかと感じました。
また、コモンズとはスペースとしての場所はある(用意されている)ものの、使い方については規定されることなく、利用者が使い方を創っていく場の結果がコモンズなのではないかと思いました。

行政など特定の誰かが一方的に公共に対する主導権を持ち、責任の所在など白黒ハッキリつけて社会のスキマを無くしていこうとすると、どうしても自治ではなく統治的になってしまうような、そんな気がします。上記コメントで「リアル社会のなかでコモンズをイメージしづらくなっている」とありましたが、それはつまり我々が無意識のうちに社会のスキマをなくしているということなんでしょうね。

そのうえで、大事なのは制度や課題からコモンズをつくろうとする発想ではなく、コモンズが生まれやすくなるように公共や資本社会に対する私たちの姿勢や関係を見直そうという発想なのかなぁと思います。

この日のインプットパートでも取り上げたのですが、松村圭一郎さんの著書「くらしのアナキズム」などは、まさにそういった自治の視点を私たちにもたらしてくれる良著ではないかと思います。

利他への気づきから創発される対話の装置

集まった人達が利他の精神で取り組むことが重要ではないでしょうか。
スマートシティ化は住民主導で創造すること、そして行政の役割はその仕掛けづくりではないかと思いました。

グループワークでは公園を例として議論しましたが、お母さんたち同士で会話が生まれることもあれば、毎日座るおじいさんとは時間を共にすれど何も生まれないことも考えられます。かといって目的として遊具やイベントを公園で行うと、それにはビジネスや利己的なルールが生まれ一変してしまう。
皆様のフィードバックから、時や場所を同じくする人で「守っていきたい場所」「持続していきたい関係」と思うことが、結果コモンズを生む一つではないかと感じました。
この土地にまた来たい・この人にまた会いたい。そんな小さな共有を育めることが、コモンズを形成していくのに大事なことかと感じました。

利他というと堅苦しく聞こえ、「〜のために◯◯しなさい」と自己犠牲を強いたりするように捉えてしまいがちですけど、あくまで利他とは、己が他者に対して自然に抱く気持ちをもって「応答」していく、それによって自分自身も影響を受けたりして、気がつけばその様を一緒に楽しみ合うような精神なのではないでしょうか。そう捉えると、コメントで指摘されているように、利他とコモンズには何かしらの関係がありそうです。

先述の「住み開き」でも、何かお菓子やおかずなどを持って家に行ってみると、その品から会話や交流が生まれたりして、それが何より楽しかったりするのですけど、そう捉えると「お土産」とか「お中元」「お歳暮」などは一種の利他への気づきから創発される対話の装置と言えるのかもしれませんよね。

公園の遊具やイベントも、同様の装置として機能していくと、その場がコモンズになっていくのだろうと思います。でもそれが遊具の目的や使い方を縛って「これを持っていきなさい」とか「こう振る舞いなさい」とかされちゃうと、しんどくなるというか、場が全然盛り上がらないのだろうと思うのです。

リビングラボやコワーキングの広がり

コモンズという言葉は定義が難しいと感じながらのグループワークでしたが、人が自然に集まるところはどのようなところなのかを考えることができました。最初は何か目的があったかもしれないけれど、目的が無くなっても行ってしまうような「なにか」がある場所なのかなと。その「なにか」については、次回以降の研究会で考えていければと思います。
また、コモンズを自治体などの取り組みにつなげることを考えると、「枠組みを超えた交流」や「個人では難しいことが、人が集まることで実現できる」ということがキーワード、ポイントになるのではないかと感じました。

私の住む市では、民間コワーキングなどいい感じの空間づくりが出来ているなか、市役所が新しくなり、新しいコモンズ起点の可能性があるなと実感しているので、とてもおもしろいテーマです。
駅前もここ2年で色々民間投資が起きつつあり、特にソフト事業でどうまちづくりを進めて行くかがテーマになりそうなんで、"コモンズ視点”、いいなと思いました。

次回の定例会ではリビングラボというものについてコモンズの観点から触れてみるつもりなのですが、リビングラボやコワーキングなどは、まさにコメントで言及された「個人では難しいことが、人が集まることで実現できる」、そのような場なのかなと思っています。

滋賀県内でもいろんな形態でのコワーキングやリビングラボ的なものが生まれているようで、注目しています。次回の定例会は県内外でこれらの試みを行っている方からお話を伺いつつ、自治とデータの関係にまで、話を展開できたらと思っています。

身近なコモンズを探してみる

有形か無形か、自然発生か発信による発生か等、考えだすとキリがないと思う一方で、各々の考えがたくさん出るテーマでもあると感じ、面白かったです。
まずは意識づけとして、普段生活する中で、身近なコモンズの場所があるかを探してみたいと思います。

キーワードから意識づけをして、身の回りの出来事を振り返りながら再定義を図ってみるというのは、この研究会で大切にしていきたいと思っています。今回のワークショップをきっかけに身近なあれこれを再観察して、次回ゲストの方などとフィードバックしあえたらいいなと思います。