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林檎酒で乾杯

「申し訳ありませんでした」 
 仲が良かった同期の彼は、今日も自分は何も悪くもないのに、来たるクレームの電話に何度もこの言葉で応じているだろう。受話器から聞こえてくる相手の不快そうな声をできるだけ和らげようと、電話口の向こうからは見えるわけもないのに何度も頭を下げながら謝っている。

 東京事変さんの「緑酒」を聴きたくなる夜がある。多くは虚無感に襲われたときだ。私がこの曲と出会ったのは昨年の4月。テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト(通称WBS)」のエンディング曲として使われはじめたのがきっかけだ。番組の最後にこの曲がBGMとして流れはじめ、その日に取り上げられたニュースのハイライト映像とともに番組の終わりを告げる。
 私は音楽に疎いのでこの曲の音楽的な意味とかそういうものを論じることはしない。熱狂的なファンの方に申し訳ないからだ。あくまで私の人生の中での思い出を語りたい。
 この曲が使われはじめた昨年の4月というのは、私が社会人になりたての頃だ。学生時代に大学の近くに住んでいたため、初めて通勤ラッシュ、というものを経験した。慣れない満員電車に辟易とはしながらも、毎朝、通勤の電車の中でスマートフォンのアプリを開き、この番組を番組を視聴していた。いま考えるとお恥ずかしい話だが、「経済ニュースを毎日欠かさずチェックしている意識高い新入社員」になっている自分に酔いしれていた。 
 駅から会社までの道は、幅も広くて朝日がよく当たる。毎日それが少しずつ強くなっていくのを感じながら、それが私の充実した社会人生活のスタートを後押しするようにも感じていた。 
 実際、会社の同期ともすぐに仲良くなり、研修も充実していてこの時の私は非常に満たされていた。あの曲の歌詞に出てくるような少し悲壮感の漂うような社会人では私はなかったように思う。通勤途中にこの曲を聴くことで「俺は周りとは違うぞ」と思い、そんな自分に酔いしれていたのかもしれない。結局、現実はあの時に思い描いていた姿と全く違うものになったわけだが。

 さて、最初に話題に出した仲の良かった同期は、今もタイミングが合えば酒を酌み交わす仲だが、その機会は昨年の秋くらいからガクンと減ってしまった。それは私は次第に時間の融通が効くようになっていったのに反比例するように、彼は社会の荒波に揉まれ、忙しい日々を送っているからだ。甘味も苦味も、さらには酸味まである濃厚な果実酒のような体験を彼はしているのだろう。彼から仕事が大変だという話を聞くたびにどこか虚しさを覚える。恐らく私が経験してきたものの価値は、安いウイスキーに市販の炭酸水を混ぜただけの格安ハイボールくらいのものである。

 でも、逆にあの曲が問おうとしていたものは分かるようになった気がする。自由の身となったことで時間も生まれ、普通に生活していると気にすることもないようなことに目が向くようになった。今度どこかで書くとは思うが、この社会の中で「アタリマエ」とされていていることはたくさんある。私はあの頃、勝手に酔いしれていたが、その酔い方は正しくなかったように思う。今度は正しい「飲み方」で乾杯しよう。

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