2015年と2050年。未来に備えておくべきことは何か【1000回目の投稿で、思いっきり未来の地獄を語ります】
今日で1000回目の投稿となります。
よくぞここまで続いたものだと我ながら驚いています。
なので、1000回目の今回は、これまでの投稿を通じて得た自分なりの学びを反映するような記事を投稿したいと思います。
で・・・それは、この国の絶望的な未来の地獄ということになります(・o・)
そんな暗い話なんかい!と突っこみたくなる自分がいますが、自分への言い聞かせということもあり書いています。
では、どんな地獄なんでしょうか。
それでは、1000回目の投稿の記事をどうぞ。
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2015年ってどんな年だったけ?
表題を見て、そう思われた方もおられるかと思いますが、本稿では、すでに過去になった実際の2015年には特に意味はありません。
ちなみに2015年の10大ニュースはこのようなものだったようです。
では、本稿でなぜ2015年をとりあげるかというと、この年は、
『バックトゥザフューチャーPART2』の舞台になった年であり、
手塚プロ自身が手掛けた『鉄腕アトム』のリメイク作品『ジェッターマルス』の舞台になった年だからです。
制作者側がなぜ2015年としたのかは、恐らくそこまでの意味はなく、「随分と先の未来」としてイメージと合致したということではと思います。
『バックトゥザフューチャーPART2』は、1989年の公開、
『ジェッターマルス』は、1977年の放映です。
私たちは、物語の舞台となった2015年よりも未来人ですが、この2作品が示した未来予測よりも、ローテクノロジーの世界に生きています。
テクノロジーは、そう簡単には進まないものだとつくづく思います。
テクノロジーの進化は、私たちの生活を一変させる力を持つものですが、そのようなテクノロジーは、そう簡単には登場しないものでもあります。
また、LED電球という進化した照明器具が登場しても、すべての蛍光灯を駆逐するということは起こらないどころか、タングステンフィラメントの電球すらまだ店頭に並ぶものなのです。
つまり、未来はそんなには急激に変化しないものなのですが、総務省が発表した2050年の人口予測は、急激な変化を予想しています。
総務省のグラフが感覚的につかみやすいです。https://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf
これは、当たるか当たらないか不明な未来予測ではなく、
さらに
起こることはほぼ確実だが、それがいつなのかわからない首都直下地震、南海トラフ地震とも性質を異にするものです。
この国の急激な人口減少は、確実に起こることだからです。
人間はいつ死ぬか誰もわかりませんが、ある程度の範囲にいる人たちが、2050年は向き合わないといけない未来です。
そこで、急激な人口減少社会に直面することになる。
これはのんびりと構えていい問題ではありません。
この人口減少、実は東アジア共通の問題でもあります。中国も韓国も日本以上に人口減少が進んでいます。
2050年の中国の人口についての記事がこちら。
現在、日本経済は、中国の存在なくして、見通しが立ちません。「現在は」人口10億人以上を抱えているわけですから、依存しているというより、自然とそうなるのは当然のことです。
しかし、日本も中国もどんどん市場も労働力も減らしていきます。2050年は、中国の市場が半分消えている未来でもあるのです。
資本主義の絶対的前提である「成長」はおろか、「現状維持」ですからほぼ不可能だということは理解しておくべきなのでしょう。
大都市に住んでいるので、人口減少など関係ないというわけにはいきません。大都市は、地方に、海外に食料調達を依存しているからです。
https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/nougyou_sansyutu/attach/pdf/index-13.pdf
当たり前ですが、東京の農業生産は「桁違い」に低く、そして、人口は「桁違い」に多い。
都市よりも加速する地方の人口減少は、現在のような食糧の供給が機能しなくなることを意味します。
大げさに言えば、未来の東京では、港区のタワーマンションに住んでいても、生鮮食料品が手に入らず、仕方なく成城石井で加工食品を買って食べるしかないことだってありえるのです。
2050年は、上記で挙げた2つのエンタメ作品の制作者が未来として考えた先よりも、近い未来です。
その未来に向かって、じわりじわりと現実が押し寄せている。
公共交通機関の運転手不足、介護従事者の不足、トラックドライバーの不足・・・すでに人口減少という視点での未来への動きは進んでいます。
では、何をすべきか?というと、それは自分で考えることかなと感じています。
政府や財界は真実をつかんでも、恐らく公にはしないでしょうし、何かをやろうとしても、ひっそりとやるでしょう。
というのも、小松左京の『日本沈没』を読んでもそう思いますし、悪意があるというよりも、どうしようもない現実に対してやれることは限られるからそうするしかないとも言えます。
なので、小松左京は、日本沈没という現実に対して、政府が「何もしない」という選択肢を俎上に載せています。
まず起こることは、富裕層の海外流出でしょう。すでに、小説家の一部の人は海外在住というのはチラホラみかけます。
あと、絶対やってはいけないのは、戦争だということはよく理解しておくべきでしょう。
一部のお金持ちは、戦争でお金をかけてあらゆるものを破壊すれば、再びインフラ整備に需要が生まれると妄想しているのかもしれませんが、その前に大量の人が死にます。
ただでさえ、人口が減っているのに、たくさんの人が死ねば、どうなるかは火を見るよりも明らかです。
そして、最大の問題点は、未来を意識して行動している政治家がほとんどいないことだと思っています。
彼らの立場になればそうでしょう。未来には地獄しかありませんとは口が裂けても言えない。
自分だけが助かるための政策を優先順位をつけて実行していくことが、できることの僅かな選択肢となるだろうと見ています。
また、そもそも何をやればいいのかを考える力がある人材も残念ながらいないとも言えます。
人口が急激に減るということは、どういうことかを理解することは、非常に難しいことだと思います。問題に直面して初めて状況を理解するということになる。
なので、私は可能な限り、これまでの生活を変えないという選択肢を重視すべきだと思っています。
便利だからと言って、安易にデジタル化しないとか、人件費を敵視せずに、人の雇用を維持するとか、過剰な効率主義に走らないとか・・・
そういう、世の中的に、進化とか成長とか言われている思考に距離を取ることがいいのではと思っています。
これまでの社会で培ってきたシステムであれば、人口減少の局面でもある程度のコントロールができるだろうと思うからです。
人口急減社会へ向けて突き進むこの国で何が起こるのか。
あるかどうかはわかりませんが、次の1000回目の投稿への第一歩として大切に考えていければと思っています。
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