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日曜日の本棚#13『ある男』平野啓一郎(文春文庫)【マイナスを覆す稀代の作家の実力】

毎週日曜日は、読書感想をUPしています。
前回はこちら。

今回は、本作を原作とした映画が絶賛公開中の平野啓一郎さんの『ある男』です。

初めての平野啓一郎作品でした。これまでは、純文学の中心を歩まれてこられた印象もあり、手に取ることのなかった作家でしたが、知人に薦められたこともあり、読んでみました。

この映画には、2つのバージョンに分けられたトレイラーがあります。
ドラマ編

ミステリー編

このように2種類のトレイラーがつくられているのは、本作がドラマ(文学作品)とミステリーの二面性を持つ作品だからだと思います。

ですから本作は両方の魅力が詰まっていると見ることができそうですが、私は平野啓一郎さんにとっては良い読者ではなかったようで、どちらにも受け入れられない作品だったように思います。

あらすじ

愛したはずの夫は、まったくの別人であった。
—「マチネの終わりに」から2年、平野啓一郎の新たなる代表作!
弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。宮崎に住んでいる里枝には2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。
ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。里枝が頼れるのは、弁護士の城戸だけだった。人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。「大祐」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。

人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品
(『ある男』特設サイトより)

文学作品の構成としては・・・

「谷口大祐」として、里枝(安藤サクラ)と結婚し、新しい人生を送っていた、作中でXとして描かれていた「ある男」(窪田正孝)。文学作品として、奇妙な構成になっていると感じています。というのは、このXの心情が「全く」伺い知ることができないからです。

戸籍を偽っていたことを苦しんでいたのかどうかさえも分からない。これは大きな瑕疵としか思えないかなと感じました。宮崎の山中で林業に従事し、危険な仕事という認識があれば、万が一を考えて妻と子に自分の「真実」を遺すものではないのかなと思うと何ともすっきりしなかったかなと思います。
次に苦しみを抱えていたはずの里枝も作品内の序列では、弁護士の城戸(妻夫木聡)の下位に位置しており、この点については、正直構成として納得がいかない部分がありました。

そのためか私には、最後まで「ある男」は、Xのままでした。誰であったことに意味はなく、Xが何を抱えて「ある男」になったのかが真ん中に来ない違和感は最後まで残ってしまったなと感じます。
 
だからでしょうか、城戸の内面をここまで丁寧に描くことの違和感が大きく、彼の内面の描写を読めば読むほど作品の本質から遠ざかる遠心力としてはたらいていたのかなと感じます。

ミステリーの謎解き役としては・・・

本作が、ミステリーの側面を持つため、城戸が謎解き役となります。しか、その役回りとしては、不十分な動きになっているのかなと感じました。

事件を主に行動すべきはずなのに、妻との関係に悩み、出自で葛藤を抱える城戸は、謎解き役としては、何やってんだ?という感じが否めません。

たとえ、シャーロック・ホームズが次男ゆえに財産を相続できない苦しみや兄マイクロフトとの葛藤を抱えていたとしても、ドイルはそれを書くことはなかったでしょうし、読者も求めていません。城戸の内面は、役目として無用であるがゆえに、城戸は寄り道の多い、名探偵とは言えない謎解き役ということになり、ミステリー作品としては、薄味ということになってしまうのかなと感じました。

それでも、読ませる筆力。それが平野啓一郎らしさということか

しかし、本作が駄作だとか、凡庸な作品かとではないことも間違いのないところです。それは、平野啓一郎さんらしさが詰まった、「彼しか作れない作品」であるからでしょう。

謎解き役の内面も読ませるし、パスが回ってくれば、里枝は高いパフォーマンスを発揮します。構成がイマイチでも、謎解き役が寄り道をしても、小説としてのクオリティは高い。それは、文体に魂があるからなのかなと感じました。彼の描く世界は、たとえいろんな瑕疵があってもそれを無力化、無効化する力あるということなのでしょう。いろいろ粗が垣間見られる作品だったからこそ、平野啓一郎の作家としての実力が発揮されているといえるのかもしれません。


 

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