見出し画像

映像授業サービスの現在、未来。その3

(追記)本シリーズですが、当初の方向性とは異なってしまったこともあり、タイトルを変更しました。

映像授業サービスのついて考察するシリーズ、今回は3回目です。
前回は、映像授業サービスのフロントランナー、東進の盤石な現状について考察しました。

そんな東進であっても、問題がなくもないかなと感じます。

今回はその点について触れます。

前回述べたように、東進の圧倒的なサービス力は、多くの講師を抱えている点にあると思っています。たとえ、看板講師を抱えていても貪欲に人を雇う体制は、サービス力の強化につながります。

ただ、そのことが必然的な要因を生むことになります。

それは苛烈な競争です。

基本的には競争は良い点が多いとされています。というのも、受講生は複数の先生の授業を見て、良い悪いを判断し、選択ができますし、運営側は講師の実力のチェックを受講生の数字を追跡することで確認できます。

淘汰の原理が働くことが、競争のメリットでもあります。

人気講師、実力講師を排出する選抜機能としてこのシステムは、東進に限ったことではなく、広く予備校業界が採用してきた仕組みでもあります。

しかし、時代は移っていきます。

東進は、時代の変遷という見えない壁に当たっているのではないかなと感じています。

というのも、長くこの業界に身を置くと、東進の変化のなさを感じるからです。

確かにこの業界は顧客が数年でほぼ入れ替わることもあり、元々変化の乏しい世界でもあります。なので、それでもいいという考え方もあり、変化を自ら仕掛ける必要性を感じられないのもやむを得ないところはあります。

しかし、それでも武田塾などの新しい風は吹いています。

そんな中でも、業界のフロントランナーである東進から、何か新しい流れが出ているという印象はありません。

その変化を生み出せない背景に、競争主義があるのかなと感じるのです。

競争主義は、競争に参加する人があってこそ機能する仕組みです。斬新な教え方を引っ提げて果敢に業界に飛び込んでくる新参者があって初めて活性化する仕組みでもあるのです。

もし、そのような講師が減れば、競争は縮小し、トップ講師は安泰となり続け、活性化という観点では、たとえ実力十分であったとしても、「代わり映えのしない」講師陣となります。

人間は歳を取ります、東進のトップ講師の高齢化は、すでに起きており、案外深刻な問題ではないかなと思っています。

このような状況が続けば、実力主義というシステムは空洞化し、事実上の年功序列化が進んでいくことがありえるのではと思います。

また、日本社会自体が、年功序列的な人間関係になっていることもあり、ひとつの組織だけが自由闊達な実力主義という環境を維持することは難しいでしょう。

これは、東進というより、日本社会に根深く存在する問題ではないかなと思います。

ただ、東進固有の問題があるとすれば、それは、東進のシステムそのものから生み出す弊害なのかなと思うところがあります。

それは次回に触れます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?