「脱偏差値型進路指導」の良さと、それでも気になるある視点【長崎県立諫早高校の取り組みに思うこと】
長崎県有数の進学校である長崎県立諫早高校が、脱偏差値型の進路指導(というか、教育方針)で成果を上げているという記事が出ています。
いろいろ考えさせる内容だと感じます。
多様な選択肢に対応するために、学校がいろんな取り組みをされている印象があります。
総合型選抜入試がひとつの入試の柱に育ったことのよさの一つではと思います。
それが、結果として普段の授業にも変化をもたらしたことは大変よいことではと思っています。
これについては、塾業界でも蔓延している「病的症状」だと思っています。
「成績が振るわないから塾に来ている」という側面があるのに、このような「生徒の悪口」を言う人は絶えません。
それは、一つの評価軸に価値を押し込めるために生じる現象なのだと思っています。
生徒さんを判断する軸が多様化すれば、一つの価値観のみで見なくなる。視点の多様さの良さが出ていると感じます。
ただ、そんな諫早高校の取り組みですが、違和感もあるなとも感じます。
それが、この学校の取り組みの根本となす、「キャリアエリート8項目」です。
どこかのコンサルが出してきそうな、「気の利いたご提案」のような感じもすることもありますが、それ以上に違和感が大きいのが事実上、
すでに大人が評価する項目は決まっている
と先生方が言い切っている点ではと思います。
さらにこれをキャリア「エリート」と呼んでしまう価値観も気になります。
これを生徒目線で見ると、「これが社会が評価しているあなたたちのあるべき姿です。みなさん、「エリート」になるためにこれにコミットしましょう」と言っているのに等しい。
「個性を発揮してね」といいつつ、「既定の価値観に従って、評価される行動をとりましょう」と解するしかなくなる印象もあります。
これに疑問を持つ生徒は、非エリートなんでしょうか。
これは見方を変えると、ジョージ・オーウェルの『1984』の世界で、
「ビック・ブラザーは、こう考えています。だから、皆さん、どうすればいいかはわかりますよね」と言っているようなものではと感じます。
また、ニュースピーク乃至は、二重思考として、
服従は、個性的行動である
としているとも言えなくもない。
これを思想的な側面では語られず、あくまで進路指導の一環なんだと「考えることができる」ことの違和感は強烈にあるのかなと思います。
大人でも議論のあるPDCAサイクルをここまで「無邪気に」評価していいのかなと個人的には強く感じます。
考えや行動までも評価の対象になる「気持ち悪さ」を感じなくなると、一般入試は、ろくでもない制度に見えてくるのかもしれません。
というのも、一般入試は、勉強以外は何を考えても自由ですから、その違いは顕著かなと感じるからです。
仮に、総合型選抜入試が「思考を規格化する」コンテストだとするならば、一般入試は思考という点では、とても自由でしょう。一方で、自由であるがゆえに、向上心がなく、退廃的で、画一的だと見えてしまうかもしれません。
自由であれば、自身のことを定期的かつ詳細に記録する必要もない。プランもDOも、チェックもいらない。アクションすべきは、テストの点数だけでよい。
総合型選抜入試の価値観を内面化させると、その自由は「敵意」を醸成させる可能性もあるのかもしれません。
少なくとも、「論理的・批判的である」生徒が、「総合型選抜入試は、問題のある制度です」という思考を獲得することはないでしょう。
総合型選抜入試は、どこに向かっていくのでしょうか。
2+2=4であるといえる自由は守られるのか。
総合型選抜入試が生み出す「エリート」は、どんな社会を作り出そうとするのか。
その意味では、別の問題点を意識づける契機となった印象もある記事でした。
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