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イマドキの受験生から見えてくる本当の「学力格差」(1)【じわりと進行する本質的な学ぶ力の差】

塾講師をしていると、当然ですが、中高生を定点観測することになります。
私が同じような年代だったころと変わらない部分もあるものの、当然に「大きな変化」も感じる部分があります。

今回はそのような視点から見る、実は結構進行しているのでは?と感じる「学力格差」について考えています。

まずは、上位層について。

今の成績上位層の生徒たちは、明らかに私たちのころの上位層とは質的な違いを感じます。それは、「楽しく学ぶ」ことができるという点でしょう。

上位層は「ほぼ例外なく」勉強を楽しんでいます。昭和の頃には、多数派ですらあった、やりたくないことを根性で乗り切るというタイプは見かけません。

ここ数年、受験を終えた生徒が塾にやってきて、受験した大学の入試問題について論評しあうというのが恒例行事になっています。彼らは、本当に楽しそうに話をします。ここで私は話の内容から合格を確信することが多くなりました。

今の若い人に全く絶望していないのは、このような生徒さんたちが多いこともその根拠にもなっています。

一方で、下位層もまた、時代の推移を感じます。

それが、不戦敗ともいえる、受験生にすらなり切れない人たちです。

彼らは、春先から驚くほど変化をしません。勉強の量も質も変化しない。当然、志望校として挙げていた希望リストは、絵に描いた餅。

E判定連発の模試の結果から現実を認識すると、将来の希望などよりも、「現実的な選択」という名の「努力せずとも手に入れられる合格」へ走り始めます。

恐ろしいことに、ここに十分すぎる受け皿が準備されています。その一つが、いわゆる「年内入試」。学校によっては、先生がこれを推進することもあり、ここまでくると越年してまで勉強をするというイメージが持てないのか、春先の志望の水準よりもずいぶん落ちていても、早く決めたいと思うようです。

それは、それでその人の人生なので、外野がどうこういうべきことではない。とはいうものの、「それでいいの?」と思わざるを得ません。

そんな彼らでも、塾に来る生徒は受験を考えて、在籍しているわけですから、私の言う下位層の生徒であっても、「学び」からは降りていません。

私の印象では、普通科から大学に進学する生徒で、ある程度受験勉強をしているのは、約3割程度ではないかなと見ています。それ以外は、特段勉強をせずに大学に進学している(できている)。その進学先が、必ずしもFランク大(ボーダーフリー大)とは限らないのではという印象があります。

もちろん、受験勉強が「真の学び」であるとは思いませんが、少なくとも「大学での勉強の基礎となる学び」であるのは事実だと思うので、可能な限り、学力は高めておく必要はあるのではと思います。

私は、このような現状をみると、世間で言われている意味とは違った「学力格差」を感じています。それは、能動的に学ぶということでしょう。

この格差の方が、質的に大きな意味を持つように思います。

それは、結果として学ぶスキルを自分のものにしている大学生とそうでない大学生ははっきりと分かれていくと思います。

それがはっきりと可視化されるのは、10年後くらいでしょうか。

そのころには、大学生の質は企業の採用担当にとって大きな悩みの種になっているのではと予想しています。

また、能動的に学ぶことと総合選抜入試で重視されている学ぶ意欲とは、質的に違っているのではとも思っています。

その点について、その2で書きたいと思います。




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