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日曜日の本棚#38『邪悪なものの鎮め方』内田樹(文春文庫)【20年前の未来予測とその慧眼に学ぶ】

毎週日曜日は、読書感想をUPしています。

前回はこちら。

今回は、神戸女学院大学名誉教授で、思想家であり、武道家でもある内田樹先生の『邪悪なものの鎮め方』です。約20年前(00年代)のエッセイ集です。内田先生の本で比較的多いコンピレーション本の一つです。洒脱でキャッチーなタイトルですが、↓のツイートにもあるように、時間軸というモノサシを入れると興味深い本だと思います。

作品紹介(文春文庫作品紹介より)

「邪悪なもの」と対峙したとき、私たちの常識的判断や生活者としての論理は無効になってしまう。そんな「どうしていいかわからない」状況下でどう適切にふるまうか?霊的体験とのつきあい方から記号的殺人の呪い、災厄の芽を摘む仕事の方法まで―“人間的尺度を超えたものに"に対処するための知恵の一冊。

所感(ネタバレを含みます)

◆今読まれるべき内容が満載の本

上記のツイート(ポスト)にあるように今、まさに読まれる本だと思います。約20年もの時間の経過によって内田先生の思考が熟した感があるからです。

時の試練を悠然と飛び越えた論考は、当時よりも説得力があるのではとさえ思います。そして、本書に書かれている多くの指摘に対して、この国はなんら答えを出していない。政治家の劣化という点では、むしろ悪化している。

さらに「モラルハザードの構造」で書かれた内容は、むしろこれからもっと深刻化する問題であるとさえ思います。その点で、未来は本当に暗いんだなと実感させられます。

個人的には、「被害者の呪い」は、救われるお話でもありました。日常生活で苦労させられる、ある傾向のある人たちとはどんな人たちであるかが書かれていたからです。人間関係において、相手を正しく分析できればやりようはある。その視点を授けたいただいたと感じています。

「アメリカの呪い」という未来予測
「アメリカの呪い」はまさに「今」を言い当てていると思います。あまりの精度の高さに震撼するほどです。なぜなら、この精度は、今より「未来」に向かってより高めていると思うからです。

世界中から理解されないまま、それでも日本人はこれからもアメリカに尽くし続けるだろう。そして最後には「これまで尽くしてもなお信じてくれないなら、こうなったら日本はアメリカのために滅びてみせましょう」というシアトリカル(※演劇的)なエンディングを迎えることになるのだろう。日本人は「こういうの」がたいへん好きだから。

「アメリカの呪い」※は筆者

民営化して郵貯資金を溶かし、アウトレットなミサイルを爆買いし、安全性と性能に疑問符のつく飛行物体をせっせと配備する。次はNTT株でしょうか。
ここまでアメリカのために尽くす「メカニズム」に、合理性も論理性もないことは明らかでしょう。何のためにそんなことをしているのか。

それは私たちがアメリカにかけられた(と思っている)呪いだからと内田先生はいう。まさにその通りで「そうでないと説明がつかない」。そんな構造分析に言葉がない。
「呪いとか、ありもしない与太話」と思っている現代日本人が、まさにそのど真ん中にいるという現実に戦慄させられます。

まさに「空気に支配される」国民性の面目躍如なのだろうとさえ思うところです。

◆すでに書かれていた定量主義への警鐘

本書で最も驚いたのは、20年近くも前に内田先生は、何事もデータの存在するものでしか思考しないことへの警鐘を鳴らしておられたことでした。

いま私たちに取り憑いている「数値主義」とう病態では、「私たちの手持ちの度量衡で考量できないもの」は、「存在しないもの」とみなされなければならない。

「人を見る目」より

これまで自分でも呆れるほど総合型選抜入試について問題点を指摘してきましたが、

その根幹には、「一般入試入学者」と「総合型選抜入試入学者」では、入学後の「数値的」な有意な違いは存在しないとされてきたことへの疑問があったからでもあると気づかされました。

入試の現場でみた「頭のいい」高校生が、総合型選抜入試の理想像を体現する受験生に見事に「擬態し」、低コストで難関大へのキャリアパスを得る姿を見て、この入試制度は、何かが抜け落ちているはずであるという私なりの「確信」があったのだろうと思います。

しかし、それは数値化することは難しい。

論拠となる「データ」がなければ、問題は存在しないことになるのであれば、「そう考えるのが合理的」ということになるのも納得のいくところです。今後もこの入試制度は、これまでの一般入試諸悪の根源論とセットでもてはやされていくことでしょう。

実はそのことには私は異論はないのです。それは私のあずかり知らぬところで進む現実だろうと思っているからです。

「問題がある」ものを「問題はありません」とする一部の大学の先生たちの思考に違和感があるのでしょうね。
段々自分の中の論点が整理されたと感じています。

◆どのような読者にもフックを持つ理由

本書は、書いたようにコンピレーション本です。様々な立場の読者に何らかの引っ掛かりをもつ論考があるのではと思います。
それは、「専門はあるけれど、専門家しぐさをしない」内田先生の面目躍如だとも思います。
守備範囲の広い知性をもつ人は現代では本当に少ない。
だから、内田先生は、時代から求め続けられる存在なのでしょう。

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