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改めて思う、社会は氷河期世代が受けた不条理に向き合うべきでは?【彼らが受けた傷は想像以上に深いと感じる理由】

東京都知事選挙が終わり、当選された都知事とは比較にならないほどの情報量を社会に発信しているのが、石丸伸二さんです。

メディアの手のひら返しの「お家芸」は、お決まりの展開ですが、石丸さんを語るうえで、彼のキャラクターに注目が集まっていますが、私は終始一貫して、彼が「(就職)氷河期世代である」点に注目しています。

彼らが社会から受けた不条理な扱いは、このまま放置してはいけないと常々思っています。

理由のひとつに、彼らの特徴として、私の目には過度に見えるほどの「自己責任論を内面化しているから」です。

こちらの記事でも紹介した、漫画家・山田玲司さんのYouTubeチャンネルでの一幕は私にはとても印象に残っています。

バブル世代の山田玲司さんが、
「生まれた時代が悪かったんだよ」とおっしゃることに、氷河期世代のお二人の出演者が、激しく抵抗されたからです。

この点を看過できないと思っているのが、
ダメだったら自己責任である一方で、うまくいった場合も自己責任であることを内面化するのではと思っているからです。

一人の人間が社会的に成功する、しないの要因は一つではありません。運もあるし、持って生まれた才能や環境も要因となります。成功者が本人の主観では、努力によって勝ち取ったと感じるのはやむを得ませんが、客観的には100%が自助努力の成果物とは言えない。

しかし、それでも尚、自己責任に固執するのが、この氷河期世代の方たちのメンタリティーなのではないかなと私は理解しています。

そう思うと、↓のニュースは、氷河期世代の男性が起こした「大問題」ではないかなと思っています。

元々、この方のパワハラであったり、いわゆる「おねだり体質」は問題だと思っていましたが、個人的には「どうして、ここまで過度な行動になるのだろう」という疑問がありました。

私の目には、常軌を逸している。ご本人にそのことへの客観性がない点も、スマートな知性があるはずの、エリートの経歴から考えても腑に落ちませんでした。

そうなると、どうしても考えに頭をもたげてくるのが、氷河期世代の方たちの強く内面化された「自己責任意識」ではないかなと思えてくるのです。

成功した自分は何をやっても許される。なぜなら、それは自己責任によって勝ち取った成果だからだ

という考えが私の目には透けて見えるように感じてしまいます。

私が懸念するのは、人間はこのような思考を内面化すると、軌道修正が難しいのではないかと思うからです。

この知事さんの周辺から諫言の一つや二つは耳に入っていたでしょうし、亡くなられた部下の方の告発も一種の諫言です。
しかしながら、彼が部下の方に早々に下した「処分」をみても、それを一顧だにしていない姿勢がみてとれます。

このような、行動をとれることも、自己責任の世界で成功を得た自分への過度な優越意識を感じてしまいます。

私の目には、氷河期世代の一つの現象のように見えてしまいます。

不本意な非正規雇用で苦しんでいる氷河期世代の方を、自己責任だと上の世代を中心に切って捨てる思考も問題だと思いますが、
成功したんだから、何をやってもいいんだという形で内面化する自己責任の思考はもっとタチが悪いのではないか。

これもまた、社会があまりに氷河期世代の方たちに寄り添わなかったツケではないかなと思っています。

石丸伸二さんについても、パワハラ気質を指摘する声がありますが、彼を擁護する人たちの問題意識も薄い点も気になります。自己責任思考の暴走の一面のように私には見えます。

また、強者に寛容である点も自己責任論者の方の強い傾向ではないかなと感じています。

繰り返しますが、成功は、個人の成果物ではない。いろんな要素があって、構成されているもの。その中には運も含まれる。私はそう理解しています。

謙虚になれとは言いませんが、過度に自己責任を内面化することは私はよくないと思っています。

うまくいかないときは、「社会が悪い」と思ってもいいし、
うまくいったからといって、「成功したんだから何をしてもいい」と思うことは行き過ぎた思考だと思います。

そして、何よりも社会はもう少し、氷河期世代の方々が受けた不条理に向き合うべきではないかなと思っています。

他の世代の方が俺たちだって苦労したんだと思う気持ちはわかりますし、私だってそう思う面もあります。しかし、氷河期世代の方は、それ以上の不条理さを味わったこともまた事実。そこは低く見積もるべきではないと改めて思います。


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