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コミュニケーション能力って重要ですか?

私たち現代人は、程度の差はあれ、「正しい」とされる価値観と向き合って生活をしています。

その一つがコミュニケーション能力というものでしょう。これまで私は、なんとなくコミュニケーション能力は、重要なんだと思いつつ生活をしてきました。

あからさまではないものの、
「この人、コミュニケーション能力ないなあ」とか
「この人、コミュニケーション能力半端ねえなあ」などとテキトーなジャッジをしてきたように思います。自分のことは棚に上げて・・・(+_+)

ただ、私自身、コロナによる自粛生活を経験したことによって、このコミュニケーション能力について考えに変化が出てきたように思います。

今回はこの点について、書いてみたいと思います。

コミュニケーション能力ってそもそも何?

このようなテーマは意識高い系の人たち向けのビジネスをしているところからの発信がいいと思い、このようところでどのようなことが書かれているのか気になりました。

コミュニケーションとは「対人間での情報共有や意思の疎通」のことであり、コミュニケーション能力は、それらををスムーズに行うことができる力のことです。

定義レベルでいうと、割と普通ですよね。
私たちは、普段から周囲との協調を意識して生活していることもあり、ある程度のコミュニケーション能力がないと社会人としてやっていけない現実があるのかなと感じます。

若い人は、コミュニケーション能力が高い人が多く、就職などで殊更強調されなければいけないようには思えません。

そんなに重要なのかなと改めて思いました。

空気を読むと何が違うのか?

そう考えると、「空気を読む」との違いを感じてしまいます。「空気を読む」よりも度合いが濃い「忖度」を含めると、グラデーションの差を感じます。

「コミュニケーション能力」がポジティブで、「空気を読む」あたりからネガティブ要素が入り始め、「忖度」になると、否定語的なニュアンスなんだろうと思います。

相手の言い分と自分の意見とのバランスの観点が大きいのでしょうか。

「コミュニケーション能力」→相手の意見を聞くが、肯定しているわけではない。
「空気を読む」→相手(周囲)の意見に不本意ながら従う。
「忖度」→言語化されていない相手の意見を読み取り、それに従う。

みたいな感じなのかなと思います。

社会生活の適応の観点でみると、「コミュニケーション能力」って可愛い感じにも思えなくもありません。「空気を読む」あたりからうまく立ち回れるかどうかが重要になりそうですね。大きな組織でお仕事されている方になればなるほど切実な問題なのかもしれません。

文部官僚だった前川喜平さんの発言で話題になった「面従腹背」は、したたかに組織社会に生きるスキルになるのかなと感じます。

「論破」がもてはやされる時代

しかし、そのような自分の意見を引っ込めて対処するのは、やはりストレスが溜まるものです。そのためか、昨今「論破」という言葉がもてはやされているように感じます。

「論破」とも言うべきものが痛快に感じ始めたのは、私のイメージでは、テレビドラマ『半沢直樹』あたりからではと感じます。

また、安倍政権になってから、安倍元首相の言動にこの「論破」めいたものがあり、それに喝采を叫ぶ人が増えたように思います。学校教育で、ディベートを学んだ世代が増えてきた社会背景にも相関性があるのかもしれません。「論破」に勝ち負けの概念が入っていることもあり、勝った(ように見える)論に理があるように感じる人が多いのでしょう。

ただ、コミュニケーション的な観点では、相手の意見を聞く気がさららない「論破」はコミュニケーション能力の対極にあるともいえるので、現代人の本音を垣間見る思いがします。

コミュニケーションの可否から入るようにしている

私は、自分なりの処世術として、他者に対してコミュニケーションが成立するかどうかを重視しています。自説を曲げられず、自分の正しさを主張する人とは距離を置いています。幾ばくかの紆余曲折を経て、このような結論を出しています。

相手の意見を聞き、行動を変えられる人は極一握り。相手の意見を聞けない、行動を変えられない、場合によっては、意見が対立する人を攻撃することだってある。こちらがマジョリティであるのが現実ではと思うからです。

意見の相違が先鋭化する前に、意見の相違が予想される前に、うまく立ち振る舞う方がベターかなと思います。

たとえ、「このままではまずいのかな」と思う行動をしている人であっても、放置するのがよいのかなといくつかの失敗を経て考えが変わってきたように思います。

インターネット時代では、分かり合えないのがデフォルトでよいのでは?

私たちは、普段生活しているコミュニティで意見を同じくする人たちと出会えなくても、インターネットでは交流ができる時代です。

そういう環境では、意見は「変える」ことが難しく、意見は「変わらない」ことがデフォルトになっているくものではと思います。インターネットは、そういう装置でもあると感じています。

なので、意見の一致が難しい人には、雑談のネタを仕込むなどの工夫が必要なのではと思って行動しています。雑談を通して、関心の高いことを探り、
Aさんとは、ホークスの話題、Bさんとは、グルメの話。Cさんとは、ペットの話など・・・意見の対立などが先鋭化しない工夫をしています。

自分なりのコミュニケーション能力は、こんな感じになるのかなと理解しています。

そういう意味で、コミュニケーション能力は、大切なのかもしれませんね(笑)。

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